その女性は、ピラミッド型のスタッズで飾られたリングとブレスレットをまとって現れました。光る金属に私はそっと指で触れます。痛くない。スタッズは使い込まれ、丸く柔らかい。そして体温がなめらかに伝わってくるんです。このアクセサリーが小川雅代さんを象徴しているんだ。そう思いました。
小川雅代さん。『母・小川真由美との40年戦争 ポイズン・ママ』(文藝春秋)の著者であり、バンド「JETT SETT」のリードボーカル・ギター、そして会社員です。両親に有名な俳優をもつ人でもあります。
同書は著者・小川さんが主に母親(さらには父親や親戚からも)から受けた虐待を、淡々とつづった手記。人格的に「親」に不向きな人たちを家族にもつ苦労を、小川さんは鮮やかに描き出しました。いわゆる毒母、毒親です。本書は今日のメディアにおける「毒親ブーム」とでもいうべき状況の火付け役にもなりました。現在からは信じられないかもしれませんが、本書が出版された2012年当時は「毒親」という言葉すら一般的ではありませんでした。公にしていいのは「子を愛さない親なんているはずがない」という、規範にのっとった言葉のみ。
“本物の”毒親とは
私自身、機能不全家庭出身です。そのころと比べ、子どもへの親からの虐待が「起こる可能性のあるもの」として社会で認知され出したのは、よい変化だと思います。けれども「毒親」「毒母」という言葉が解釈にバラつきのあるままメディアで乱用され、関係ない人まで傷つけながら独り歩きしている現状は残念でなりません。最近ではなるべくこの言葉を使いたくない、と個人的には思うほどです。
「毒親」という言葉に不具合を感じるので、「機能不全家庭」という言葉を私はよく使います。私の考える「毒親」とは「ありのままのお前として生きるな」と子どもに刷り込む人のことです。先日、子に習い事を強制するなど口うるさい人のことを「毒親」と称しているテレビ番組を見ました。もちろんこれはこれで、されている当事者は大変です。ただしこれはあくまで「過干渉」というすでに名付けがされている行動。「毒親」とはちょっと違うのでは? というのが個人的な想いです。この記事で「毒親」と表記する場合、私の解釈によるものであることをご了承ください。
小川雅代さんは、そんな私の考える本物の毒母(!)をもつ人です。けれど私は小川雅代さんに関する記事を書きたい。彼女のご両親に興味はない。ですので、この稿は、毒母・毒親家庭から抜け出した【あと】にフォーカスし、生き抜いてゆくヒントを前篇では仕事についてを中心に小川さんにうかがいます。