フェミニスト批評本『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の著者・北村紗衣さんが出来るまで 北村紗衣×坂本邦暢

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いつからフェミニストに?

坂本 では修士では何をしてましたか。

北村 『アントニーとクレオパトラ』論を書いていました。それを5ページぐらいにしたものが新刊にも入ってます。

坂本 どういうテーマだったんですか?

北村 修士のときの指導教員が高田康成先生で、一回は作品論をやったほうがいいと言われて、『アントニーとクレオパトラ』にしたんですね。ただ、あんまりよくわからないうちに修士が終わってしまって。

坂本 作品論っていうのは?

北村 卒論で書いた道化論みたいに、1章目が『リア王』で、2章目が『十二夜』で……みたいなのではなく、1作を取り上げて論じるものです。

坂本 卒業論文は女性にフォーカスしたものでしたっけ?

北村 あまりしてなかったんですよ。ちょっとはフェミニスト批評も入ってたんですけど。今でも好きなんですが、卒論は、お祭りとかお笑いの話なんですね。修士論文になるとフェミニスト批評にかなり寄っていて、博士論文は完全にフェミニスト批評です。

坂本 さえぼうはいつからフェミニストをしてたんですか。

北村 多分、物心つくくらい。

坂本 物心ついた頃には。きっかけは?

北村 ずっとそうだったんですよね。中学生ぐらいのときに、読む本がなくて、ボーヴォワールとか読んでたんですよ。内容はよく分かんなかったんですけど。

坂本 周りにボーヴォワールを読んでいる人がいっぱいいたってわけじゃなく?

北村 旭川に学校の先生をしていた大おばがいて、大おばが亡くなったときに書庫にある本をもらったんです。倫理の教科書に載っているような本がいっぱいあったんです。それで手当たり次第にいろんな本を読んでたんです。

坂本 いまの活動に繋がるようなことはいつ頃からやってるんですか?

北村 大学生の頃から観に行った芝居とか映画の記録を全部ブログにつけてたんですね。いい加減にあらすじを書くくらいだったんですけど。

坂本 誰かに向けて書いてたっていうんじゃなくて?

北村 勉強のためみたいな感じです。食べたものを全部記録すると痩せられるっていう岡田斗司夫の「レコーディング・ダイエット」が大学生くらいの時に流行ってたんです。だったら見たものを全部書いたら勉強になるんじゃないかって思った覚えがあります。

坂本 岡田斗司夫のせいでこんなことになってしまったということですか。

北村 そうですね。

女性ユーザーがつくるシェイクスピア

坂本 博士課程ではキングス・カレッジ・ロンドン大学に留学していますよね。何をしていたんですか?

北村 シェイクスピアの女性ファンの研究をしていました。昔の人って、本に名前を書いたりするんですね。日本の蔵書印みたいな、蔵書票を貼ったりしていたんですね。18世紀くらいまでのシェイクスピアの戯曲本に書いてある名前をひたすら追いかけて、どういう女性が本を使ったのか、どういう女性からどういう女性に本が渡ったのかを調べていたんです。その成果は『シェイクスピアを楽しんだ女性たち』って本になっています。

坂本 それは、何を明らかにするための研究になるんですか。

北村 女性がシェイクスピアの普及に、どういう役割を果たしていたかいうことですね。

坂本 本って発売されたら自動的に広まるような幻想がありますけど、誰か読まないと広まらないってことですかね。

北村 読んでいるかどうかは微妙で。全集とかだとたぶん全部は読まないんですよね。あと、単に読む人だけではなく、本屋をやっていて本を売る人の手に渡ったりもするんです。

坂本 グローバルに広まっているんですか?

北村 はい。アイルランドに行ってたり、ニュージーランドまで行ってたり。

坂本 女性っていうのは、ポイントがあるんですか。

北村 批評だと、男性の批評家が中心になってしまうんですね。でも自分は女性なので、祖先であるシェイクスピアのユーザーを探したいと思ったんです。

坂本 シェイクスピア批評を表だって公刊しているのは男性ばかりになっちゃうということですか?

北村 それが現存している最古のシェイクスピア批評を書いたのは、マーガレット・キャヴェンディッシュという女性なんです。でもシェイクスピアの批評を集めた本には、キャヴェンディッシュみたいなとくに傑出した女性以外の批評はそんなに入っていない。でもキャヴェンディッシュのようなビッグネームだけを追ってもわからないことがあると思ったんです。それに一般の読者がどういう風に本と接するのかを調べたいと思ったのもあります。

坂本 普通に考えられてる文学研究と結構違うと思います。文学研究って揶揄される文脈も含めて「シェイクスピアはこういった」みたいなことをやってるイメージですよね。さえぼうの研究はそれとは違う。

北村 マーケティングの研究に近いですね。

坂本 ユーザーが、どう使っているのかを見るってことですよね。シェイクスピアが何を考えて書いたかとかよりも。

北村 実はシェイクスピアが何を考えていたのかはあまり興味ないんです。シェイクスピアってカンパニー付きの劇作家だったので、カンパニーの方針とか役者や劇場主の意向が結構反映されるはずなんです。どちらかというとシェイクスピアを取り巻いていたカンパニーが何をしたかったのかに興味があるので、そうするとマーケティングに繋がっていくんですよ。

坂本 新刊にも様々な人がかかわっているわけですよね。ある意味、この本を分析しようと思ったら、さえぼうだけじゃなくていろんなものを分析しないといけない。

北村 そうなんです。18世紀のシェイクスピアには、よく分からない手伝いの人がたくさん絡んでいるんです。たまにその中に女性がいたりするんですよ。新しい版の単語の意味をチェックしてくれた人へのお手紙が残っていたり。

坂本 確かに、昔から校正者に女性って多いですよね。娘を校正者にしたという学者も結構いっぱいいる。

北村 ニクさんも昔、ギリシャ語とかラテン語まで校正させていた人の話とかしてなかったでしたっけ。

坂本 有名な印刷所を経営していた人物が、娘に校正させていたというエピソードがあります。娘はギリシャ語やラテン語を理解できないので、より文字そのものに直接意識が向くんです。なまじラテン語やギリシャ語が読めると、一文字ぐらい間違ってても飛ばしちゃうんだけど、娘は飛ばさないからいい、という。そういう人の活動って工夫しないと目に見えないんですよね。シェイクスピアって巨大な現象を作り上げていた舞台裏には、女性の校正者も読者もいた、ということですね。

北村 そうなんですよね。あと観劇に来る人もいるんですが、これが難しいんです。日記を書いてくれればいいんですけど、残る資料ではないので。

坂本 全部ブログに書いてる人とかいないんですか。

北村 いないんです。19世紀になると、チケットなどを全部取っておく人もいたらしいんですけど。ダブリンの超有名なアビー座という劇場が燃えてしまった後、チケットを資料にしてデジタル復元をしたことはあるんですが、そのレベルで資料を貯め込んでいる人はそんなにいないんです。

坂本 だとすると貴重な資料ですね、さえぼうのブログも。もう初期のものはなくなっちゃいましたが……。留学時代はどんな生活をしていたんですか?

北村 朝、起きる。大英図書館へ行く。夜、芝居に行く。みたいな生活でした。

坂本 私の当時の記憶だと、朝起きるとさえぼうから「今、アメリカ大陸にいるんだけど」みたいなチャットがきてたんですね。3週間前には「今、ニュージーランドにいる」みたいなチャットがきてたのに、こいつは本当にじっとしていられない人間なんだって思ってました。いろいろ移動していたよね。

北村 移動してましたね。なまじ、壮大な研究計画を作ってしまったせいで、各地の文書館に1人で、自分で行って本を見なくちゃいけなくなったんですね。大英図書館で数百冊くらい見たんですけど、ちょっと足りないねっていうことで、アメリカの大きいフォルジャーっていう図書館に行って100冊くらい本を見たりとか。ニュージーランドに行かなくちゃいけなくなって、ニュージーランドに行って本を見たりとかしていました。

坂本 見ているのはシェイクスピア全集みたいな?

北村 と、その翻案。翻案が1作だけ入ったペラペラの本もあるんですけど、それも見ましたね。訳の分かんないシェイクスピアの歌だけ抜いたやつとか、チラシみたいなやつとかも。

坂本 そういうのを見ると、女性が購入したりするのもわかる?

北村 購入はしてないのかもしれなくて。というのも、女性の財産の位置付けが微妙なので。夫とか父親が買ったのをもらったのかもしれないと思うやつもありました。確証はないですけど。

坂本 要は、遺産相続?

北村 遺産相続はすごいよくあって。母から娘に本をあげた送り状みたいのが付いてたりとかはするんですよ。あと、本はジェンダーニュートラルに、つまり人にあげても下心を疑われない贈り物だったので。

坂本 花とかだとやばい。

北村 本だと文芸仲間ってことで、異性の友達にあげてもそんなに問題なかったらしいんですね。

坂本 それって、本が人間関係を取り持っているというか、それを見ることによってどう人間が動いてるかっていうのも分かってきますよね。当時の社会的な慣習も。

北村 そうですね。

坂本 他にはどんなところに行きました?

北村 フランスとベルギーに行ったこともあります。フランスでは私のフランス語がひどいのと、ビブリオテーク・ナショナルの閲覧室でいっぱいシェイクスピアばっかりを請求する人なんてそんなに来るわけじゃないと思うので、ぜんぜん話が通じなくて、請求するだけで結構大変でしたね。

坂本 確かに図書館にも地域差があるでしょうね。

現在の仕事

坂本 博士論文を書いて、残念ながら日本に帰ってきてしまったと。今は何をやってるんですか。

北村 武蔵大学でシェイクスピアを教えています。去年は映画批評というクラスを持っていました。

坂本 他には?

北村 Wikipediaプロジェクトクラスっていうのをやってますね。これは日本に帰ってきてから始めたプロジェクトで、Wikipediaの記事を英語から日本語に翻訳して、学生が作ってアップするというものです。200以上記事作ってるので、ひょっとしたら皆さんが見た記事の中に、私の学生が作ったものもあると思います。

坂本 変な記事が多くない?

北村 もみあげとか。そんなのばっかりなんです。

坂本 そうだよね。語尾が、何とかで終わる映画とかなかったっけ。

北村 「オブ・ザ・デッド」で終わる作品の一覧とか。学生の名誉のために言っときますけど、これを作ったのは私です。

坂本 オブ・ザ・デッドの映画が100個ぐらい並んでるんだよ。

北村 6カ月ぐらいかかりました。

坂本 無限にありそうだよね。

北村 そう。無限にあるので。

坂本 ではいよいよ新刊の話に入っていきたいと思います。

※後編に続く

(構成/カネコアキラ)

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