社会

「大事な娘を死刑囚の息子にやれるか!」 林眞須美死刑囚の息子が直面した現実

【この記事のキーワード】
「大事な娘を死刑囚の息子にやれるか!」 林眞須美死刑囚の息子が直面した現実の画像1

『もう逃げない。 いままで黙っていた「家族」のこと』(ビジネス社)

 1998年7月に発生した和歌山毒物混入カレー事件の“犯人”として逮捕された林眞須美死刑囚(58歳)の長男が、『もう逃げない。 いままで黙っていた「家族」のこと』(ビジネス社)を上梓した。そこで綴られている両親の逮捕後に入所した児童養護施設での過酷な日々の一端は、前編で紹介した。

 高校の卒業を待たずに児童養護施設を出た長男は、自立の第一歩として部屋を借りようとした。連帯保証人はいなかったが、不動産屋が紹介してくれた保証会社を利用して、なんとか部屋を借りることができた。

 「安普請のアパート」だったが、不自由で暴力的な児童養護施設や、公園での野宿に比べたら、天国のように感じたという。

「生活のすべてを自分で決められることがうれしかった。なによりも、X学園(引用者注・児童養護施設)を離れ、高校も卒業したことで、僕の素性を知る人がまわりに一人もいないということが、気持ちよかった。自分を「カエルの子」扱いしてくる人はいないのだ。このまま過去を捨て、カレー事件と関わりなく生きていくことができたらどんなにいいだろうと思った。しかしそういうときは必ず、一抹の後ろめたさも感じた。母を断ち切ることに対する後ろめたさだ。」(和歌山カレー事件林眞須美死刑囚長男著『もう逃げない。 いままで黙っていた「家族」のこと』より)

 長男はレストランの仕事に就き、毎日生き生きと働いた。しかし、働き始めて1年が過ぎた頃、店長に呼ばれた。

「正確な言葉は忘れてしまったが、「林君、カレー事件の林眞須美の息子なの?」といったことを聞かれた。
 突然、頭を殴られたような気がした。この居心地のよい職場を失うのだろうか、という恐怖を感じながら、「そうです」と答えた。(中略)
 店長は僕にこう言った。「うちは食べ物扱ってる店だから、衛生的に問題があるんだよね」。このフレーズは正確に覚えている。忘れたくても忘れられないのだ。「衛生的に問題」というのは、カレー事件から毒物を連想してしまうということなのだろう。」(同上)

 仕事を失った長男は、その後、何度か転職し、現在の運送業に就いた。安定した収入を得られるようになると、結婚がしたいと思うようになった。しかし、何人かの女性と付き合ってはみたものの、いざ結婚となると両親、特に母親のことがネックとなり、うまくいかなかった。

 そのうち、相手のことが好きなのか、ただ結婚がしたいだけなのか、わからなくなってしまったという。ところが24歳のときに出会った女性に対しては、はっきりと「この人と結婚したい」と感じた。しかし、その気持ちが強すぎたせいか、両親のことを正直に話すことができず、「2人とも交通事故で亡くなった」と嘘をついてしまった。

「嘘がバレるまでの間は、大好きな人に嘘をついているという良心の呵責はあったものの、このまま嘘をつきとおすことができたら、問題なく彼女と結婚できるのかもしれないなどと考えた。施設育ちというだけで差別する人もいるだろうが、「交通事故死」と「父が前科者で、母は死刑囚」では雲泥の差だ。僕は、彼女へ素性を打ち明けることを1日延ばしにしていた。」(同上)

 長男と女性はやがて同居するようになった。あるとき、どこかへ食事に出かけようという話になり、女性がスマホで店を検索しはじめた。隣で見ていると、「林眞須美 息子」という検索履歴が現れたので、一瞬、頭が真っ白になったという。

 長男が「知ってたの?」と尋ねると、女性は黙って頷いた。女性は、数日前に出かけた大学の同窓会で、友人に長男の写真を見せたところ、たまたま長男のことを知っていたその友人から、彼の「正体」を明かされたのだ。

 そのときは、ショックのあまり長男と別れようと考えたというが、帰宅し、台所で料理をしている長男の姿を見たとき、親が誰だろうと関係ない、「両親は交通事故で死んだ」という長男の嘘に合わせて生きていこうと決心したという。

 長男は女性にプロポーズし、その翌週、女性の両親に挨拶に行くことになった。もちろん、両親にも自分の「正体」を正直に伝えるつもりだった。しかし、正直に伝えたら絶対に反対されると確信していた女性は、「両親は交通事故で亡くなった」という嘘をつきとおしてほしいと主張した。

1 2

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。