濃い肌色への侮蔑
アメリカ黒人(奴隷の末裔)の肌の色には、白人のような白さから濃いチョコレート・ブラウンまで相当な幅がある。ほとんどの黒人に白人の血が流れており、中には白人の血が黒人よりも濃いケースもある。理由は奴隷制時代のレイプだ。
白人奴隷主は黒人奴隷の女性をレイプし、ミックスの子を産ませた。ミックスであっても当時の法に則り、黒人奴隷として育てられたが、「肌の色が薄いほうがマシな黒人」という概念が白人と黒人の双方に芽生えた。白人は色の濃い黒人を徹底的に侮蔑していたからこそ、肌の色が薄く髪の縮れも少ないミックスの黒人を「マシ」と捉えた。黒人たちも白人に「マシ」と捉えられ、多少でも優遇される色の薄い黒人を羨んだ。
この事象は現在に至るまで延々と続いており、シンガーや女優など黒人女性セレブの圧倒的多数が色の薄い人物であることからも分かる。
セレブは一般人の憧れであり、小学生ですら「あんなふうに薄くなりたい」と願う。社会全体が、時には家族までもが「色が薄いほうが可愛い、綺麗だ、美人だ」と囁き続け、幼児期にそれを感じ取ってしまうのだ。ゆえに「クラスで一番色が濃い」女の子は大変なコンプレックスを抱えることになる。
『ダーク・ガールズ』と題されたドキュメンタリー映画がある。肌の色が濃い黒人女性たちへのインタビューから成る。トレイラーの冒頭、幼い黒人の女の子が肌の色が異なる5人の子供のイラストを見せられ、「どの子が一番醜い?」と質問される。少女は最も色の濃いイラストを指す。「どの子が可愛い?」には、最も色白なイラストを指し示す。
そして27秒目。肌の色の濃い女性が、「バスタブに浸かりながら、母に漂白剤を入れてとせがんだことを覚えている。そうすれば肌の色が薄くなると思って」と語る。
Aマッソのジョークがなぜ許されるものではないか、このシーンだけで十分に理解できるはずだ。
幸いにも近年は少しずつだが、濃い肌色の女優やモデルに脚光が集まるようになっている。トレイラーにも登場するヴァイオラ・デイヴィスが牽引役だ。『ブラックパンサー』のルピタ・ニョンゴはこの映画と連動する同名写真集の表紙を飾り、ランコム初の黒人スポークス・パーソンにもなった。とはいえ、まだまだ「薄い=美しい」が浸透しており、完全な意識の改革には遠い道のりがある。
生理的嫌悪感
クラスメートから「手を繋いでもらえない」という虐めを受けた子供は人種に関わらず存在するはずだ。先生から「隣の人と手を繋いで!」と言われても、なお手を繋いでもらえないとしたら、これは心底堪える。なぜなら「お前の肌に触りたくない」という生理的嫌悪だからだ。
生理的嫌悪の対象になると、こちらは一切努力のしようもなく、相手に「なぜ?」と問うことすらできない。自分はそこまで徹底的に疎まれる存在なのだ……と黙って受け入れるのみだ。金属バットの「黒人が触ったもん座れるか!」は、黒人の肌に直接触ることはおろか、黒人が触ったものにすら触れたくない」という、究極の生理的嫌悪を表す言葉だ。
だからこそ、たとえ人種差別反対の意図であったにせよ、使ってはならないフレーズだったのだ。
アメリカはスポーツにも激しい人種差別があり、黒人は参加できるスポーツが限られてきた。バスケットボールや陸上は黒人選手ばかりではないかと反論が出そうだが、体操、フェンシング、ウィンター・スポーツなど黒人選手が極端に少ない競技は多数ある。
今でこそ徐々に範囲が広がり、オリンピックのたびに「アフリカン・アメリカン選手として初の~」という言葉を聞くようになった。逆に言えば、これまで黒人が参加できなかった種目ということだ。そうした種目のひとつが水泳だ。
アメリカの水泳オリンピック・チームに黒人スイマーが初めて加わったのは、なんと2000年だ。黒人は今も泳げる者が少ない。昔から貧しい黒人地区にプールは作られず、子供たちは水泳を学ぶ機会がないまま、大人になった。泳いだ経験を持たない親は、子を泳がせることをしない。これがサイクルとなっているのだ。
仮に親や本人が勇気を振り絞って白人地区にあるプールに出向いたとしても、かつては追い返されることがあった。入場できても、そこには生理的嫌悪があった。黒人と同じ水に浸かることを拒否する白人がいたのだ。究極の生理的嫌悪である。
これが、金属バットの「黒人が触ったもん座れるか!」が理由にかかわらず、絶対に使ってはならないフレーズだった理由だ。
追記:幸い、水泳界の様相は変化しつつある。前回2012年のリオ・オリンピックには3人の黒人スイマーが出場し、シモーン・マニュエルは金銀合わせて4ケのメダルを獲得し、一大旋風を巻き起こしたのだった。
(堂本かおる)
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