社会

「薬物依存症になっても解決策はある!」脅さない薬物乱用防止教育とは/松本俊彦先生インタビュー

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「敢えて一線を越え、薬物に手を出す人」の背景を想像してほしい

 メディアの薬物に関する報道だけでなく、学校教育でも「薬物を使ったら廃人になる」などの恐怖を植え付けられてきた覚えがある人は多いだろう。

松本:学校などで行われる「薬物乱用防止教育」にも言えることですが、これまで日本は、ことさらに薬物の害を誇張し、まるで「神話」のような話をしてきました。この神話は「日本には薬物を使う人がいない」という前提があれば通用するのでしょうが、実際に薬物に手を出してしまう人はおり、社会から責められ、排除される。結局、「薬物乱用防止教育」は「薬物を使ったらこの社会から排除されるぞ」という姿勢を示すだけで、“脅し”としてしか機能していません。

 有名な薬物乱用防止の「ダメ。ゼッタイ。」や「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」というキャッチコピーも、“脅し”の機能は持つが、同時に、薬物に手を出してしまったら「人間をやめる」こととイコールだという烙印を押してしまう。

 筆者が中学校で薬物乱用防止教育を受けたのは、もう十年以上前のことだが、現在の薬物乱用防止教室も内容は変わっていないのだろうか?

松本:残念ながら、全く変わっていません。変わっていないことを象徴しているのが、小中高生を対象にした薬物乱用防止のポスターのコンクールで、ほとんどの受賞作で薬物依存者が骸骨やゾンビなど、まさに“人間”ではなく“廃人”ように描かれています。
子どもがそういう作品を描き上げること自体が、リアルではない薬物乱用防止教育の成果とも言えますが、しかし、薬物依存者を廃人のように描いた作品を金賞に選ぶことで、子どもたちに薬物依存患者に対する偏見を強めているわけです。学校現場が差別意識を植え付け、共生社会をつくることを拒んでいるのではないでしょうか。

 芸能人が薬物で逮捕されるとネット上でも強烈なバッシングが展開される。それも「薬物乱用防止教育」の“成果”といえるだろう。

松本:教育現場で「薬物犯罪者は、どんなに叩いてもいい」というメッセージを出している。バッシングはある意味“いじめ”と同じですが、現在の薬物乱用防止教育は結果的に、薬物使用者へのいじめに肯定的になっています。道から逸れた人間は叩かれてもしょうがないし、村八分にされて当然、といった具合に。そういう点で日本は、先進国とは思えないほど、かつてのムラ社会から進歩していないのです。

さらに、そういった脅し教育は、実際には「最初の一回」を防ぐのにさえ、役立っていません。というのも、子どもたちに薬物の誘惑を提示するような人たちは、決してゾンビのような顔はしていません。繰り返しになりますが、薬物を使用したからといって廃人になるわけではありませんから。しかも、人間関係などで生きづらさを抱えている子どもにとって、これまで出会ったどんな大人よりも優しくて、自分の話を丁寧に聞いてくれる相手になり得ます。はじめて自分の存在価値を認め、必要としてくれた人から「友達になろうよ」と薬物を差し出されたら、それを断れる子どもはいないでしょう。

あるいは、子ども自身が自分の人生に自暴自棄になっていて、「早く死にたいから」と薬物に手を出す子もいます。薬物犯罪に厳しい日本で「敢えて一線を越える人たち」にはどんな背景があるのかに想像力を働かせなければ、本当の意味で効果のある薬物乱用防止教育はできないのではないでしょうか。

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