
Gal Gadot Instagramより
映画『ワンダーウーマン』の主演女優、ガル・ガドットが、米放送局「ショータイム」で放送が予定される女性発明家ヘディ・ラマーの人生を描いたTVシリーズ(正式タイトル・放送時期未定)で、主演と製作総指揮を担当することが発表された。
2017年、女性監督パティ・ジェンキンスが手がけて世界的な大ヒットを記録したハリウッド映画『ワンダーウーマン』。その主演をつとめ、新しい時代の女性スーパーヒーロー像をもたらしたガル・ガドットは、Wi-FiやGPS、Bluetoothに繋がる技術を発明して“現実世界のワンダーウーマン”とも称された女性発明家、ヘディ・ラマ―の人生をどう解釈し、演じるのだろうか。
世紀の発明家、へディ・ラマーはハリウッド女優
現在、オーストラリア、ドイツ、スイスでは、ヘディ・ラマ―の誕生日の11月9日が「発明家の日」として制定されている。しかしラマーは、元々はハリウッドのセックスシンボルとして知られた人気女優だった。
1914年、オーストリアのウィーンにユダヤ系の両親のもと生まれたラマーは、演劇学校を卒業後、16歳でスクリプトガール(監督助手)の職に就き、映画の世界へ入った。しかし、その美貌が製作者たちの目につくと表舞台に立つようになり、18歳でチェコ映画『春の調べ』(1933年公開/グスタフ・マハティ監督)に主演。この作品でラマーは、映画史上初のヌードシーンを演じている。森の泉で全裸になって泳いだり、女性がオーガズムに達するシーンがあったりと、当時としてはセンセーショナルな表現で“性の解放”を謳った本作は、聖職者らをはじめとした人々から反感を買い、アメリカでは上映禁止になるなど問題作として物議を醸した。しかし同作は後に、映画表現における一つの道を拓いた作品として、高い評価を受けている。
かくして映画女優の道を躍進するかと思われたラマーであったが、19歳でオーストリアの兵器製造会社を有す実業家フリッツ・マンドルの猛アプローチを受けて結婚。しかしその結婚生活は、彼女自身が“黄金で出来た牢獄”と形容するほど不自由を強いられる毎日だったという。嫉妬深いマンドルは、『春の調べ』をはじめとするラマーの出演作のフィルムを買い占めようとし、あげくはヘディを映画界から強引に引退させてしまった。ラマーは、自らの意思とは反して、家庭に押し込められてしまうことになる。
しかし、自由を求めたラマーは何度かの脱走未遂を起こした末、結婚4年後の1937年、メイドを薬で眠らせ、宝石を詰め込んだ鞄を手にパリへの逃亡に成功する。そこで出会ったアメリカの巨大マスメディア企業・MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)創始者で映画プロデューサーのルイス・B・メイヤーに見い出され、契約を結ぶことに。翌年ハリウッドでデビューすると、ヘディはセクシーなキャラクターを次々に演じてセックスシンボルとしての人気を確立した。その人気は絶大で、ヘディの黒髪を中央で分けるヘアスタイルが大ブームとなり、あの『風と共に去りぬ』で主演をつとめたヴィヴィアン・リーにも影響を与えたほどだった。
発明のきっかけは、女性のバスト研究だった
女優として活躍していたヘディ・ラマーが、その傍らで発明家としての才能を開花させるとは、誰が思っただろう?――しかし、後にラマーの伝記を執筆した作家のリチャード・ローデスは著書内で、幼い頃のラマーは父親とウィーンの街並みを散歩することを日課としており、世界や機械の仕組みについて教わっていたと解説している。大人になってからも、自室に機械の製図台などを揃えるなどテクノロジーに興味を持ち続けていたラマーにとって、技術研究や発明は心を躍らせる趣味の一環だったのだ。
こうしてハリウッド女優として活躍しながら様々な分野の研究にも勤しんでいた25歳のヘディ・ラマーは、当時まだ明らかにされていなかった“女性ホルモン量とバストサイズの関係性”について興味を持ち、個人的な調査活動を重ねていた。
ラマーはこの調査を進める中で、ホルモン作用の観点から女性学を考察する記事を『エスクァイア』誌に寄せていた、前衛音楽家で発明家のジョージ・アンタイルと知り合う。ラマーはジョージから女性の身体の解剖学的構造について指南を受け、これをきっかけに彼との交流が始まった。
この頃、時代はまさに第二次世界大戦の最中。元夫・フリッツの兵器によって沢山の命が失われていることに心を痛めていたラマーは、アンタイルに魚雷攻撃の通信防御システム開発のアイデアを持ちかけ、開発に取りかかった。ラマーは、フリッツとの結婚生活中に兵器会社の技術者会議や実験室に同席させられていた際に学んだ水上艦の誘導システムに関する知識を駆使して開発に取り組み、魚雷の無線誘導を活用する「周波数ホッピングスペクトラム拡散」と呼ばれる技術を発明した。1942年には、ラマーとアンタイルはふたりの名義で特許を取得している。
しかし、米軍は、この技術の実装が困難であることに加えて、アンタイルを前衛音楽家、そしてラマーをセックスシンボルとして知られる女優として色眼鏡で見ており、彼らの発明を「信用できない技術である」と判断、第二次世界大戦での実地採用を見送った。
そして特許失効後の1962年、米海軍によって改めて採用されたこの技術は、後に通信技術の基礎様式となり、1990年代後半には携帯電話やGPSなどの開発にも取り込まれて広く実用化されていく。テクノロジー界では大きな注目を集めていた発明だったが、ラマー自身がこのことについて公に語ることはなく、一般的にはその名が知られることもなかった。
またその頃、ラマーは女優としても「歳のいきすぎた女優」としてハリウッドからのオファーがかからなくなっており、1950年代後半には女優を廃業状態に追い込まれ、失意のなかで薬物依存に苦しむことになる。
こうして世の中から忘れ去られた“現実世界のワンダーウーマン”は2000年、85歳で死去。ラマーは生涯のうち5人の男性と結婚・離婚を繰り返し、3人の子供に恵まれており、息子はラマーの生前の意向を汲んで、遺骨をウィーンの森に散骨したという。
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