あおり運転加害者に多くの国民が執着する異様な雰囲気の正体

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ジャイアンにやっつけて欲しいという願望

 犯人を「厳罰に処せ!」と声高に主張している人は、自分自身でも犯罪を抑止するために主張していると思い込んでいるかもしれないがそれは違う。潜在意識のレベルではまったく別のことを考えており、それが犯罪報道をきっかけに「厳罰に処せ!」という主張に無意識的に転換されているだけである。

 その潜在意識とは、「勝手気ままに行動する人が気に入らないので、誰かにその人を罰して欲しい」という願望である。そして、「勝手気ままに行動する人が気に入らない」という意識を持ってしまうことの背景には、「自分は我慢に我慢を重ねているのに」という被害者的価値観が存在している。

 残念なことに、日本社会は基本的に陰湿なので、多くの人が、他人を貶めたり、足を引っ張ったりしようと毎日、虎視眈々と機会を狙っている。こうした社会で安全に生活するには、自己主張をせず、声の大きい人の意見に盲目的に従っている方がよい。その結果、リアル社会では皆が意見を言わず、伏し目がちに押し黙っている。

 こうしたコミュニティの中に、自由気まま、勝手に振る舞う人が出てくると、それは場合によっては怨嗟の対象となるが、勝手な行動を取る人は、声が大きく暴力的なことも多いので、リアル社会ではやはり黙って指をくわえて見ているしかない。

 だがネットという絶対安全空間で、こうした人物が犯罪者という形で取り上げられれば、安心して総攻撃できる。宮崎容疑者はその対象になってしまっただけであり、皆が本気で犯罪の抑止について関心を寄せているわけではないのだ。

 公共の場での傍若無人な振る舞いに対して本当に憤っているのなら、周囲に迷惑をかけている喫煙者に対して直接注意する人が続々と出てきてもよいはずだが、そのような人を目にすることはほとんどない。犯罪の抑止に対して社会が高い関心を寄せているのであれば、テクノロジーを駆使した予防措置がすでに導入されているだろう(中国では監視カメラをAIが解析することであおり運転を自動検出するシステムがとっくの昔に導入されている)。

 厳罰を求める声高な主張の根底にあるのは、自分が気に入らない人物を、公権力など、自分以外の力によって罰して欲しいという願望であると考えたほうが自然だ。簡単に言ってしまえば、ドラえもんに出てくるガキ大将「ジャイアン」にやっつけて欲しいという願望である。

幼い娘と新幹線に乗ったところ誘拐だと通報される

 幼い娘と新幹線に乗ったところ、誘拐犯であるとして110番通報されたという出来事も、似たような文脈で捉えることができるだろう。

 ミュージシャンで漫画家の劔樹人氏が自身のブログ(note)で明らかにしたところによると、幼い娘と長野新幹線に乗ったところ、娘が愚図りだしてしまい、後方に座っていた中年男性から「うるさい! デッキ行けよ!」と大声で怒鳴られてしまった。やむを得ずデッキに行ったところ、そこも大混雑となっており、娘もなかなか大人しくならなかったという。

 ようやく大宮駅で多くの人が降り、列車が上野に到着すると警察官が現れ、誘拐の通報があったとして尋問された。その間、列車は上野駅で停止させられたまま、終点の東京に向けて出発できない状況になっており、劔さんはいたたまれない思いをしたそうである。

 当然のことながら、この通報を誰が行ったのかはわからない。子どもの泣き声に苛立った乗客かもしれないし、別の乗客がその様子を見て通報したのかもしれない。だが、いずれにせよ、この通報がまともではない可能性は高いだろう。

 新幹線という密室の中で乗客は長時間、同じ場所にいるわけだから、劔さんと娘さんが親子であることは誰の目にも明らかだったはずである。子どもが泣いたことへの嫌がらせとして通報したのであれば、まさに陰湿な嫌がらせだし、中年男性と幼女という関係性だけをもって誘拐犯と見なしたのであれば、その認識もかなり異様である。

 幼い子どもは母親といるべきという無意識的な価値観があり、それにそぐわない行動をしている人を、無意識的に、そして公権力を使って暴力的に排除しようという行動は、やはり病的であると言わざるを得ない。

 日本がこうした陰湿な社会であることは以前から知られていたことではあるが、ネットというツールが普及したことで、一気に可視化されるとともに、行動に対する抑制が薄れてしまった。直接的ではないかもしれないが、日本の経済力が落ち、相対的に貧しくなっていることも大きく影響しているだろう。もしそうなのだとすると、有益な解決策を見つけ出すのは容易なことではない。

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