今年の5月に「学校に行きたくない子は行かなくても良い」と訴える小学生ユーチューバーが話題になっていました。
平均的に見れば、どの教育段階であっても、教育を受けるために支払うコストに比べて教育を受けることで得られるメリットはプラスになるため、学校には行っておくことが無難です。しかし、平均的に見ればプラスと言っても、その投資収益率は大きな分散を伴っており、人によっては大きくゼロを割り込むこともあります。教育ローンで破産するケースがあるのもこのためです。投資収益率が大きくゼロを割り込むのは、数学をあまり扱わない分野を勉強した場合や、教育の質が低くスキルや技術が身に付かなかった場合など様々な事前に予想が付く要因もあります。しかし、それ以上に個人個人の特徴に拠る、実際に起こってみないと分からない要因の影響が大きいです。
このため、学校には基本的に行っておいた方が無難だとは言えるものの、それが特定の個人となると、本当に学校に行った方が良いのかどうかは、よく分からないというのが実際のところで、いじめや家庭環境、子どもの特性などそれぞれの事情もあります。ですから、件の小学生ユーチューバーが学校に行くべきなのかどうかは「よく分からない」というのが私のスタンスです。
しかし、子供の権利という観点から見ると話が少し違ってきます。子供の権利条約で、教育に関する28条と29条の内容を大雑把にまとめると「子供は教育を受ける権利を有していて、小学校は義務的なものでなければならない。しかし、それは子供の尊厳を守りつつ、その才能を最大限度まで発達させるものでなければならない」というものです。これらに照らし合わせれば、学校に行かなくても良いと子供が言ってしまう状況というのは、その子供にとって利用可能な学校教育が不十分な物であり、子供がその権利を行使できない問題のある状況だ、とも考えられます。
この観点を踏まえたのかどうかは分かりませんが、小学生ユーチューバーの話題の中で、「米国にはホームスクーリング(学校ではなく家庭で教育を行うこと)というシステムがあるのだから、件の小学生もホームスクーリングにすれば良いのではないか」という意見を何度か目にしました。確かに教育は学校教育に限らないので、それも一案でしょう。しかし、一般的に日本で想起されるホームスクーリングは、恐らく米国で実際に行われているそれと大きく異なり「学校に行かなくても良い」というような単純なシステムではありません。
そこで今回は、ホームスクーリングにまつわる話を紹介しようと思います。
米国でなぜホームスクーリングが拡大するのか?
ホームスクーリングは、家庭が学校になるわけですから、学校選択制の究極の形だと言えます。米国で学校選択制やホームスクーリングが拡大している背景の一つには、「宗教」が挙げられます。
米国の東海岸や西海岸の大都市だけを見ていると、宗教とホームスクーリングと言われてもその間の関係性が理解しづらいかもしれません。しかし、米国には進化論を信じていない人が一定割合いるという、日本でもしばしば笑いのネタとして扱われるニュースを思い起こせば、この関係性を理解しやすくなるかもしれません。
米国では、州によりその割合は大きくばらつきますが、宗教的な理由から進化論を信じていない人達がいます。分権化された米国の教育システムでは、そのような人達が過半数を占める地域では学校の理科教育で進化論を教えないという選択を取ることができるので良いのですが、そうでない地域では、そのような人達にとって学校とは子供に良からぬことを教える場所となってしまい、ホームスクーリングが魅力的な選択肢となります。
また、米国の公立学校で、学区間の貧富の差を反映した、大きな教育財政格差が存在していることもホームスクーリングの拡大に影響を与えています。米国の貧しい都市の貧しい地区に存在する学校の状況は見るに堪えないところがあり、やはり学校状況が悲惨的なところほど、より多くの親がホームスクーリングを選択する傾向があります。
このように、米国のホームスクーリングは、日本とかなり異なる文脈の下に発展してきたシステムなので、パッと考えただけでも、日本で学校に行きたくない小学生に今すぐ実施するには無理がありそうですが、もう少し詳しく見ていきましょう。
ホームスクーリング実施上のいくつかの特徴
ホームスクーリングにはいくつかの特徴が見られます。
①家庭での教育だけ、という子供はそれほど多くない
ホームスクーリングと言われると、家でだけ学んでいる子供を想像するかもしれませんが、それは正しい実情ではありません。現在米国ではサイバーチャータースクールと呼ばれる、オンライン上の学校が増加しており、貧困層の子供を中心に学生数も増えています。統計の取り方にもよりますが、これらの子供達は物理的には学校に行っていないのでホームスクーリングしていると見なされることがあります。さらに、ホームスクーリングをしている子供達のうち、20%程度はパートタイムで地元の公立学校にも通っていますし、ホームスクーリングの組合を活用することで保護者以外の大人から「授業」を受けている子供達も存在しています。
②自由気ままに子供の教育ができる、わけでもない
米国は大体なんでも州ごとに大きく制度が異なるので、一概にこうだと言うことはできませんが、多くの州ではホームスクーリングを選択したとしても、保護者がフリーハンドで子供の教育を出来るわけではありません。
ホームスクーリングをするという届け出が必要なのは言わずもがな、学習する科目に決まりがあったり、保護者に資格が必要だったり、ホームスクーリングに「出席」していることの報告が義務付けられたりしています。さらに、過半数に近い州で学力テストへの参加が義務付けられ、成績によってはホームスクーリング実施許可の取り下げに至ることもあります。
③ホームスクーリングを長続きさせるのは、難しい
上のことから推測されますが、ホームスクーリングを継続的に実施するのは大きな困難が伴います。実際に、ホームスクーリングを始めた家庭の1/3以上は1年目で脱落してしまいます。最初の一年を乗り越えられれば、比較的多くの家庭がホームスクーリングを継続できるのですが、それでも一定数は脱落していきます。宗教的な理由からホームスクーリングを実施している家庭は動機も強いのですが、それでも6年間ホームスクーリングを続けられるのは半数にも満ちません。そして、非宗教的な理由でホームスクーリングを開始した家庭に至っては、6年間完走できる家庭は1/6未満となります。
ホームスクーリングの効果
では、肝心のホームスクーリングの効果はどうでしょうか? 実は、まだ確証を持ってこうだと言える段階には至っていません。ホームスクーリングを選択する家庭は、前述のように近所の公立学校の状況が劣悪だったり、独自の教育ニーズを持っていたりします。このため、ホームスクーリングの子供の方が、近所の公立学校に通う生徒より成績が良いという結果が出ています。ただ、このような単純な公立学校の子供とホームスクーリングの子供の成績の比較では、それがホームスクーリングによる効果なのか、それとも親の教育熱心さや財力による効果なのか判別が付きません(しかし、ホームスクーリングを受けた子供は、そうでない子供と比較して、数学力が劣る傾向はあるようです)。
当然ですが、ホームスクールの効果を測定するために子供をランダムにホームスクール組と公立学校組に割り振る、といった実験を行うことは倫理的に不可能です。さらに問題なのは、先ほども言及したように、誰がホームスクーリングを受けているかの定義付けが難しい上に、継続的に行われる割合が極めて低く、かつ州によっては届け出義務が無いのでそもそも捕捉できていないという状況です。データがしっかりと整備されていれば、疑似的に子供をランダムに割り振るという分析ができる可能性も生まれてくるのですが、現在のデータの整備状況ではこれも難しいというのが現状のようです。
まとめ
「学校に行きたくない子は行かなくてよい」というのが、親の思想の押し付けでもなく、学校に行きたくない自分の正当化でもなく、そして学校に代わる教育機会が保障されているのであれば、その通りなのかもしれませんし、よく知らない特定の子供が学校に行くべきかどうかの判断は部外者にはまず不可能です。
ただし、周りの大人が安易に、「米国ではホームスクーリングがあるのだから、それを学校に代わる教育機会とすれば良いではないか」と主張するのは、慎まれるべきだと考えます。
アメリカのホームスクーリングは、日本と全く異なる文脈で発展を遂げ、その字面から思われるほどには家庭で自由に出来るようなものではありません。少なくとも、算数は電卓を使えばよいし、わからない漢字はググれば良い、というスタンスでは学力テストをクリアできず、ホームスクーリングの実施許可が取り消される可能性が高い代物であるというのは留意が必要です。
大人であるからには、その実態も、効果も良く分かっていないものを、無責任に子供に勧めるのは慎みたいものですね。
ホームスクーリングに興味を持たれた方は、下記の今回の記事の参考文献に目を通してみて下さい。
Education Weekの記事
国立教育統計センターのレポート
What have we learned about homeschooling?
Why do parents homeschool?
Academic achievement and demographic traits of homeschool students