
「Getty Images」より
2019年7月、厚生労働省が派遣会社に対して、派遣社員に勤務年数に応じた賃金を支払うことを義務づける方針であることが日本経済新聞で報じられた。(派遣社員、3年勤務なら時給3割上げ 厚労省が指針:日本経済新聞)
たとえば、派遣社員が同じ業務で3年相当の経験を積み、正社員と同等の仕事ぶりであれば、時給を初年度の3割増しにすることを派遣会社に求める指針をまとめたのだ。
これは、2020年4月1日から始まる「同一労働同一賃金」制度に合わせて、正社員と派遣社員との賃金差を縮めようという方針だ。
現在の派遣社員の平均賃金は正社員より2割程度低い。厚労省はこの差を縮めるために、派遣社員の賃金の底上げを行おうとしている。
では、この新たな指針は、派遣社員にとって朗報なのだろうか。
派遣社員と正社員の賃金差を縮める根拠
冒頭の報道の根拠は、2019年4月に公表された『労働者派遣事業関係業務取扱要領』内の記載であろう。そこには、「職務の内容、職務の成果、意欲、能力又は経験その他の就業の実態に関する事項」を公正に評価した上で派遣労働者の賃金を決めることが主張されている。具体的には以下の文面だ。
“派遣労働者の職務の内容、職務の成果、意欲、能力又は経験その他の就業の実態に関する事項を公正に評価され、賃金の改善に反映されるよう、適切な評価方法を定めることが必要である。”
“職務の内容、職務の成果、意欲、能力又は経験その他の就業の実態に関する事項を踏まえた
①賃金水準の見直し
②昇給・昇格制度や成績等の考課制度の整備
③職務手当、役職手当、成果手当の支給等が考えられること。”
その結果として、
“通常の労働者の待遇との均衡を図っていくことにある点に留意すべきであること。”
と述べられている。
つまり、同じ業務遂行能力や意欲があるのならば、派遣社員にも正社員と同等かそれ以上の賃金を支払わなければならない、ということだ。
派遣社員でも時給が3割増しに?
より具体的に言えば、職場が変わったとしても同じ職種で3年働き、正社員並みの仕事ぶりの派遣社員であれば、派遣を始めた時点の3割増しの時給にしなさい、ということだ。
ただし、派遣会社が、その派遣社員の能力はそれ以上だと判断したのであれば、勤続年数以上の時給にしても良い。一方、3年以上勤続していても、仕事ぶりが変わっていないと派遣会社が判断した場合は、賃金は上がらない。つまり、その判断は派遣会社次第になる。もっとも、派遣会社としても、派遣社員の賃金が上がったほうが売上も上がるので、敢えて低く評価するとは思えない。
このような方針が出された背景には、現在の派遣社員は同じ職場で3年しか働けないため、職場が移る度に時給がリセットされることがあるという事情もある。規模が小さな企業に移った場合は、時給が下がることも多い。派遣社員の賃金の水準をあらためて示すことで、派遣社員の待遇を安定させる狙いがある。
ちなみに、冒頭の日経の記事ではシステムエンジニアの例を出している。それによると、時給1,427円から始まり、1年後は1,655円、3年後は1,882円になるという。もし、1年目から3年目の正社員並みに仕事ができれば、時給は最初から1,882円ということになる。
この制度は2020年4月から施行されるが、罰則はない。ただし、行政指導は入る。
派遣社員は賃上げを素直に喜べない?
派遣社員も正社員並みの賃金を得られるようになるとすれば、派遣社員にとっては朗報に思える。また、人材派遣会社としても、より高い賃金を支給できるとなれば、優秀な人材を集めやすくなる。
ところが、それは同時に派遣会社が派遣先企業に対して単価を上げてもらう交渉を行う必要が生じることを示す。となれば、派遣先企業としても、派遣社員の活用に慎重にならざるを得ない。その結果、時給が高い派遣社員は敬遠されるようになるかもしれない。
さらに懸念すべきは、人件費の増加を避けたい企業側が、派遣社員の時給が上がる前に「雇い止め」を行う可能性もあるということだ。
これには前例がある。有期雇用の労働者(アルバイト、パートタイマー、期間雇用、非正規社員など)の無期転換制度だ。この制度では、有期雇用の労働者が5年を超えて更新された場合は、労働者が無期雇用を求めることができるという労働契約法だ。派遣社員の場合は派遣元企業に対して求めることになる。
この制度は、有期雇用の労働者の雇用を安定させることを目的としていた。しかし、固定費の増加を避けたい企業側が期間満了直前に雇い止めする事例を増やしてしまった。
この前例から、今回の賃上げ制度についても、賃上げを避けたい企業側が3年未満で雇い止めするように前倒しするかもしれないことは十分に想定できる。
正社員の年功序列が守られることになる?
「同一労働同一賃金」のスローガンのもと、派遣社員の賃金がその能力に応じて正社員並みに上がること自体は良いことだと考えるが、前述の通り、「雇い止め」や「派遣切り」を促してしまうのではないのかという懸念はある。
また、別方面からの批判もある。今回の派遣社員の賃上げ方針は、一方では正社員の年功序列型賃金を守ることになるので、本来進めるべき労働市場の改革が行われずに、派遣社員の雇用機会を狭める恐れがあるという考え方だ。
派遣社員の賃金を正社員の賃金に寄せるという考え方は、確かに正社員の年功序列型賃金を守ることになるように見える。理由はどうあれ皆の給料が上がったら良い、そのためには高い方を基準にすれば良いなどとも思えるが、それでは企業が立ち行かないという批判側の理屈があるのだ。
労働市場の流動化に対する心構え
実際、企業側が派遣社員の賃金上昇に対応するためには、企業自体の生産性を高めておく必要がある。そのためには年功序列にあぐらをかいている正社員を今一度厳しく評価して、必要に応じて賃金を下げることも見直すくらいの柔軟性が求められるだろう。
そもそも、派遣社員に対して能力に応じた賃金を支払えないような企業はどのみち淘汰されなければならない、という厳しい主張もある。ただ、そうはいっても、時給や給料を上げただけでは人材が容易には集まらない業界もあるのだ。
国の政策も企業側の対応も、労働市場の人材の流動化を目指しているという点では一致しているように思える。そうであれば、派遣社員にしても正社員にしても、今いる職場での評価以上に、市場での自分の価値を高めておくことを常に意識しておかねばならないということだろう。
組織に所属していない個人事業主の場合は、個人としての市場価値はどれほどのものかということを日々考えさせられる状況に置かれている。
しかし、労働市場の流動性が高まるこれからの時代は、派遣社員や正社員といった雇用の形に関係なく、自分の市場価値を意識しておかねばならない時代に入っていると考えておいた方が良いだろう。