──今後の社会のことを考えると、怖くて仕方がなくなります。
安田 ただ、冷静に状況を見ていけば、カウンターの動きはちゃんとあるんですよね。現実社会でも、あるいはネット上でも、一色には染まっていない。そこはまだ気持ちを絶望から救い出してくれる部分だと思います。
少なくとも、私の本を出してくれる出版社はあるし、こうして話を聞いてくれるメディアもある。そして私だけじゃなく、少なくない書き手が現状に対する怒りを発信している。今回の「週刊ポスト」の件もそうですし、少し前の「新潮45」(新潮社)のときも発言する人はいたわけで、そういったところで日本社会すべてが同じ色に染まることはギリギリのところで防げている。
──インターネットもそうですし、地方紙やラジオなどのメインストリームでないメディアでは、現状に対する違和感がきちんと語られています。
安田 そういう活動には大きな意味がありますよ。たとえば、私が本を出したり取材を通じて発言することによって、私自身はネトウヨからボロクソに叩かれるかもしれない。でもこうやって立ち位置を鮮明にすることが大事なんじゃないかと思っています。もしかしたら、少なくない人に「勇気」を与えることができるかもしれない。
──勇気ですか。
安田 いまの状況への違和感を口に出して言えない人、いまの状況を怖いなと思っている人に、「仲間はいるんですよ」ってことを伝えることができる。
もっと言えば、いまの日本で沈黙を強いられ、言葉を発する機会さえ奪われているマイノリティの人々に対してですね。
いま、在日コリアンの友人と話をすると、口を揃えて「しんどい」と言う。これまでは、ヘイトスピーチが飛び交うなかでも「在日特権なんかあるわけねえじゃん!」といった感じで、内心はしんどくとも、表面上は笑い飛ばすことができていた人もいた。もちろん、深く傷ついている人はいっぱいいましたよ。でも、いま余裕のある人などいない。多くの人が恐怖を感じている。なにかをしたわけではないのに、単なる「属性」だけでここまで息苦しさと絶望を与えてしまう社会って、いったいなんなのかなと思いますよね。
そんな彼ら彼女らを矢面に立たせてはいけないと思います。矢面に立つべきは、叩かれたってなんの痛みも感じない、なんならそういった反発を小銭に変えられるかもしれない、私のようなジャーナリスト、メディアの人間、あるいは評論家、そういった人たちがあらゆる機会に発言していけばいい。流れに抗っていけばいい。ときには炎上すればいい。そして、そういった気概をもっている人は、実は少なくない。
そういった人たちの活動が制限され、「結果的に韓国を利するようことを言うのは控えてくださいよ」「安倍政権の批判はやめてください」といった注文が来るようなメディア状況が当たり前になったらいよいよお終いですが、いまはまだギリギリそうなってはいない。
──まだ希望はあるわけですよね。
安田 希望をすべて失ったら、家で布団かぶって寝ているしかない。分かってくれる人もきっと増えてくれるんだろうなっていう確信をどこかで抱えながら仕事を進めたいと思っているし、発言したいと思っています。
そういった美しい話がどこまであるのか疑問に思ってしまうこともあるけれども、諦めずに発言し続けることで同じ思いを抱えてくれる人が増えてくれるかもしれないという志は捨てずにいたいのです。
(取材、構成、撮影:編集部)

安田浩一『愛国という名の亡国』(河出書房新社)
日本における排外主義の高まり、外国人技能実習生に対する人権侵害、米軍基地に反対する沖縄県民を本土の人間が愚弄する構図、関東大震災における朝鮮人虐殺の事実を否定しようとする歴史修正主義の跋扈、生活保護バッシングの広がりなど、自称「愛国者」によって日本社会が壊されていく危機感を記した論考をまとめた最新著書。