
「Getty Images」より
9月8日の夜から9日の朝にかけて関東を縦断し、広い範囲に被害をもたらした台風15号。なかでも千葉県の被害は大きく、君津市では送電線の鉄塔2基が倒壊。台風の通過から2日が経った11日現在でも停電・断水・物資不足・通信障害などが続いている。
11日の東京電力の発表によると、千葉県内ではいまも約40万軒以上が停電している。10日の時点で停電件数を12万軒まで減らすことを予定していたが、昨晩の千葉県の雷雨や夜間の作業効率の低下により予定が遅れているとのことだ。
千葉県の現状は、テレビのニュースを見るだけでは伝わりきらないかもしれない。私は台風の当日に千葉県南部のある市におり、10日になんとか安全な地域に移動した。台風通過直後の被災状況について、レポートしたい。
電気も水も食べものもない状況だった
台風15号が上陸した8日の夜は、風の音が大きくて眠れずに起きていた。夜中の1時半頃に停電したことを確認。すぐに復旧しそうになかったため、防災リュックの中から手回し充電の懐中電灯を出した。
夜中の3時頃には避難勧告が出たものの、辺りは停電して真っ暗闇、激しい風雨の中で外に避難することは、怖くてとてもできなかった。
台風が過ぎ去った後、朝7時くらいにようやく眠ることができた。その後、目が覚めて12時頃に外の様子を見に行くと、屋根の瓦の落下や電線の垂れ下がり、屋根の一部が吹き飛んでどこかにいってしまった家も複数見られた。行き慣れたお店の看板も飛ばされてしまったり、屋根が剥がれたりしていた。
近所のコンビニで売られているものも、すでになくなってしまっていた。聞いたところによると、水や食料を求めて30km以上離れている地域(千葉県内)から買いに来た人もいたようだ。その地域のお店は、すでに営業ができる状態ではなかったらしい。近隣のスーパーも営業をしていなかった。
私は防災バッグのなかに多少の食糧と水6リットルを常備していたため、9日の昼は、停電によって痛んでいなかった冷蔵庫の食材と、備蓄を食べて乗り切った。
9日のお昼頃には、断水している地域が出始めているとの情報が流れた。私の住む地域もいつ断水するかわからないからと、節水を呼びかけるアナウンスがあった。9日の夜はお風呂に入らず、タオルで全身を拭いてしのいだ。
結局、私の家は10日午前中頃までは水が出ていたが、その後、断水。市が用意したと見られる給水スポットは10日には近隣にも開設されていたが、前日の9日は車がないと行けない場所であったため、丸一日を備蓄で対応するしかなかった人も多いと思う。
スマホも圏外か電波1本の状態になり、ネットはほとんど使えなくなった。ネットニュースも、Twitterも見れない。そのため、自分が置かれている状況についての情報収集は、市の防災無線を聞くか、ごくたまに通じるネットのみ。
加えて、9日の千葉県は最高気温が32℃と暑い日であったため、熱中症にも気をつけないといけない状況だった。筆者は水で濡らしたタオルで体を冷やすなどの工夫をしたが、それでも暑かった。夜、窓を開けても家の中は蒸し蒸しとした暑さで、このまま寝てしまっては命に危険があると感じた。
私は10日午後には知人の助けを借りて東京へ避難することが出来たが、今も現地の停電・断水・通信障害は続いている状況だ。
被害状況が伝わっていない
これは避難した後で知ったことだが、経済産業省がtwitterで<暑い場合には車のエアコンの活用、冷たいタオルを首に巻く、水分をこまめにとるなどの熱中症対策に取り組んでいただきますようお願いいたします。>とツイートし、炎上したという。被害の実態が知られていないという声もあるが、その通りだと思った。
タオルを濡らすどころか飲み水にも困る状況だった人もいると思う。10日には、南房総市の93歳の女性や、市原市の65歳の男性が、熱中症とみられる症状で亡くなってしまったことをニュースで知った。
被害に遭った9日、東京にいる仕事関係者や知人からは「台風の被害や影響」とは全く関係のない要件で連絡がきていたことから、千葉県の被害状況が知られていないのは感じていたが、10日に電気が通っている地域に避難してみて、ほとんどテレビなどで報道されていないことを知った。
今朝(11日)見た、とある番組のニュースコーナーでは、千葉県の台風被害を紹介していたが、その内容は「電車がまだ復旧しない」ということが中心だった。停電と断水が続いており、通信や物資が途絶えた地域に大勢の人がいる、という事実と、報道内容の温度差を感じた。
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