「ええっ……。こんなに混んでるの……」
女子高生やカップルであふれかえる新大久保駅の改札口を見て、そう思った。
この日は友人の誕生日プレゼントを買うために新大久保で降りたが、どんな店があるかも分からないまま、昨今の日韓関係の悪化が嘘のように思えるぐらいひとであふれかえる駅前の大通りを歩いていた。
通りには地元の商工会で雇ったと思われる警備員が「押さないでください!」と歩行者たちに大声で注意を呼びかけていた。つぎの予定もあり、プレゼントをさっさと買いたかったのだが、自分の身を人ごみの流れに委ねるしかなかった。
シーズン真っただ中の流れるプールにいるような気持ちで歩きながら、友人が喜ぶであろうプレゼントを置いていそうな店に、人ごみをかきわけながら入っていった。
店内には見たこともないような化粧品が置かれていたがなにを買えばいいのか分からず、手に取ってどんなものかを見ていると、制服を着た女性2人が隣で「韓国人って、毎日、こういうのをつけられていいよね。韓国人になりたいなぁ」「だったら韓国人の彼氏見つけた方がよくね?」と大きな声でしゃべりながら化粧品を手に取っていた。
2人のさりげない会話に驚きつつ、地元近くのショッピングモールにある雑貨屋さんを通りかかったとき、店頭には韓国で大ヒットしているというお菓子がたくさん並べられていて、商品の上には「韓国人になりたい!」というPOPが貼られていたことを思い出した。小さなころから親に「韓国人と分かるとよくないイメージで見られる」といわれて育ったわたしは「どんだけ韓国が好きなんだよ……」と絶句した。
制服を着た2人は一番人気だという洗顔料を手に取ってレジに向かっている様子をみて、わたしも同じものを購入した。
プレゼントの入ったビニール袋を片手に店の外へ出てみると、あいかわらずたくさんのひとが歩いていた。この通りをまた歩かなければいけないのかとうんざりしながら、スマホで時間を確認すると、つぎの予定に遅刻するのは間違いなかった。
「すみません!ちょっと遅れます!」とLINEして、駅まで戻ろうとしたとき「こんにちは。○○大学○○学部の○○です」というタイトルのメールが来た。
いったいなんだろうと一瞬考えていると、先日、大学時代お世話になった先生から、教え子が卒論を書くために在日にインタビューしたいと言っているので協力してほしいと頼まれ、メールアドレスを伝えたのを思い出し、メールを開けた。そこには卒論のテーマとともにインタビューを依頼する旨がとても丁寧に書かれていた。
「ぜひお会いしましょう」と日程や時間、待ち合わせ場所を書いて送ると、ひとであふれかえる道のなかに入っていった。
インタビューされる日の朝、いつもより早く起きて、リビングへ降りる。いつもは同居している家族たちの声で賑やかなのに、この日は皆、朝早くから仕事だったせいでわたしだけがテレビのある部屋にいた。
冷たいご飯の上に昨晩、残ったナムルを乗せたものをインスタント味噌汁と一緒に食べながら、その日の天気を知りたいと思い、テレビをつけた。
「娘の不正入学疑惑が伝えられている韓国の法務長官である……」
プラズマ画面が映し出したのは隣国の政治家のスキャンダルを伝えるものだった。ここ数カ月ぐらいワイドショーでは、韓国のことをやたら報道するようになり、毎回、同じような口調の司会者が、似たようなつくりのパネルの前でしゃべり、変わり映えのしない「韓国を知っているゲスト」が「解説」するのが定番になっていた。
あるとき、昼のワイドショーで元大使だったというひとが「韓国の人は感情が高ぶったときになにをするか分からないので」と言っていたのを知り、ワイドショーは見ないと思っていたのだが、結局、見てしまっている。
味噌汁を飲みつつ、同じようなことしか伝えない画面に向かってこんなことを言っていた。
「もっと、ほかにやることはないの?」
韓国特集から天気予報になり、きょうは1日、晴れるようだと分かると、テレビを消した。
出発の時間になったので、最寄りの駅から電車に乗った。待ち合わせ場所の上野駅まで、途中の駅で乗り換えなくてはいけない。構内を歩いていると売店が見えた。飲み物でも買おうと立ち寄ってみたら、店頭に置かれていたタブロイド紙の一面には明日にでも韓国が崩壊するような文言が大きく書かれていた。
先日、韓国の友人から「日本は大丈夫ですか」という連絡が突然来て、「全然、平和だよ」と返事したが、あれは嘘になるかもしれないとタブロイド紙の一面を横目に、売店で水を買って、都内に向かう電車に乗った。
車両の席はすべて座られており、仕方なく、つり革につかまった。ふと、上を見上げてみると朝、観たワイドショーで報じているものよりも過激なことばで韓国について書いた中吊り広告があった。
馬鹿の一つ覚えみたいに韓国のことばかりを取り上げるのはいったいどうしてなんだろうと不気味に思い、中吊り広告から目をそらし、スマホでSNSを見る。すると、そこには「文在寅は反日で再選を狙っている」だの、「韓国は親北派に乗っ取られた」だの、根拠もなければ事実も間違っていることばが流れていて、首をかしげた。
いちいちツッコミを入れるのも面倒なので、本でも読もうとバックを漁ったが、この日に限って、いつも持ち歩いている本を忘れたのに気づいた。時間を見るとまだ余裕があったので、エキナカに本屋がある駅で途中下車して、本を買うことにした。本屋のある駅に着くまで外の風景をぼんやりと眺めていた。飽き飽きしている「韓国」という文字が見えず、ちょっとだけいい風景に見えた。そのせいか、目的の駅に着いたと伝えるアナウンスが聴こえると、なにも考えなくていい時間が終わることに名残惜しさを感じていた。
どんな本を買おうかと、駅を降りて構内にある本屋の店頭にまで行くと、そこにあったのは韓国が反日国家であると書いてある本だった。本屋はいつからネット言説を垂れ流すようになったのだろうと絶句していると、初老の男性がその本を手に取ってレジに向かったのを見かけた。
「どんだけ韓国が好きなんだよ…。」
そうつぶやいて、なにも買わないまま、電車に乗った。
***
時間より少し早く、上野駅の待ち合わせ場所に着くと、「金村さんですか?」とある女性が声をかけてきた。「はい。そうです」と返事をすると「○○と申します。本日はどうもよろしくお願いいたします」と自己紹介をしてきた。メール通りの丁寧なあいさつに、年上であるわたしは恐縮してしまっていた。
2人でインタビューが出来そうな喫茶店へと入ったが、その時間にしては珍しく、満席に近い盛況ぶりで、すこし騒がしかった。たまたま空いていた席に座り、コーヒーを2つ頼むと、彼女は卒論で書きたいという韓流ブームが在日の生活にどう影響しているかというテーマについて詳しく話してくれた。コリアンタウンといえば東上野のことで、新大久保のことは知らないし、K-POPにも興味のないわたしが、インタビューを受けてよかったのかと思っていたとき、ウェイトレスがコーヒーを持ってきた。
そのときを見計らったように彼女は「それでははじめさせていただきます。よろしくお願いいたします」と言って、わたしにいろいろと訊きはじめた。答えられる範囲でひとつひとつ答えていたが、彼女が「韓流ブームで金村さんの生活がなにか変わったことはございましたか?」と訊ねてきたとき、どう答えていいのか分からず、しばらく沈黙してからこう答えた。
「とくに変わったことはないですね。ただ、韓国のことがお好きなひとは増えてきたようで……」