
トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた
東京地裁は今月12日、経済産業省が性同一性障害の女性職員に、女性用トイレの使用制限などの措置を行ったことについて、違法とする判決を下した。この判決は画期的なもののはずなのに、「怖いな」と思った。トランスジェンダーへの偏見がまた吹き荒れる予感がしたからだ。
2018年にお茶の水女子大学に出生時は男性だった女性も入学できることが決まったときのことだ。作家の百田尚樹は「よーし今から勉強して入学を目指すぞ!」とツイートし、男性も女子大に入れるのだと勘違いした人々はあれこれと理由をつけて決定を非難した。
このとき、からかう男性も、自分の声が十分に聞かれていないのに少数者の声ばかり尊重されると怒っていたシスジェンダーの女性も、トランス女性がどれほどの葛藤の中で性別移行をし、すでに日常の中で数え切れないほどの妥協を強いられているのかに思いを馳せることはなかっただろうし、その必要もなかった。
かれらは日常的に自分が思う性別のトイレで用を足し、間違った性別で扱われ続けたり、「心は男性」「心は女性」なんて限定的な呼称で性別を示され続ける心配なんてしなくて済むから、トランスたちがどうやって性別以降するかなんて知らないのだろう。
私ももし自分がトランス男性でなければ同じだったかもしれない。ニュースのヘッドラインを読み、自分が異性だと言えば明日から周りはその人に合わせなくてはならず、拒絶すれば罰せられるような違和感を覚えた人もいたかもしれない。
今回の裁判で勝訴した女子トイレの利用を制限されていた経産省職員は、報道によれば1998年に性同一性障害の診断を受け、11年の長期にわたり女性ホルモン投与を受け、見た目も変わり十分に女性への社会的性別変更ができたと感じてから、ようやく職場に女性職員としての処遇を申し出ている。
これほど時間をかけて慎重に進めても上司に「男に戻ってはどうか」と言われたり、トイレを自由に使うためには性同一性障害であると女性職員にカミングアウトするよう求められたりしている中で起きた裁判だ。
「心は女」だけに飛びついて茶化したり、「少数派のいきすぎた権利の主張」やらを議論する前に、この間原告がどのような気持ちで毎日過ごしていたのかを少しでも想像してほしい。女性として生活し始めてから一審勝訴まで、20年近くかかっているんだよ。
トランスジェンダーの権利は世界中で少しずつ保障されるようになっている。日本のように性別を変更するために、性別適合手術が必要であったり、未成年の子どもがいないこと、未婚でいること(結婚していたら離婚すること)などの条件をつけている国もあれば、それらをはずし、自分の意思だけで法的な性別変更ができるようになる国も出てきている。
そのうちの一つ、ノルウェーの知人に話を聞いたところ、この法律を議論する際にはたくさんのノルウェー版百田尚樹さんが登場し、トランスコミュニティへの攻撃が吹き荒れた。他人の目が気になって男女別のトイレを使えなかった人たちは、新しい法律によって法的な性別変更ができたあとになっても、相変わらず他人の目が気になって男女別トイレを使えないでいるらしい。
トランスたちが大手を振って歩ける社会など、いまだに世界のどこにもないし、法律でどうこうできる問題だけでもおそらくない。社会が少しだけ生きやすくなるとしたら、人々が今回のようなニュースをきっかけに虚像ではない、トランスジェンダーの人生に触れることによってだろう。