安倍政権の台風災害対応はなぜ30時間以上も遅れたか

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自由民主党ホームページより

 台風15号の上陸から2週間近くの時間が経過したが、被害の大きかった千葉県などではいまなお日常を取り戻せていない状況が続いている。

 この状況を招いた原因のひとつとして政府の初動対応の遅さが指摘されており、安倍政権に批判が集中している。

 実際、台風上陸後、最初に災害対策会議が開かれたのは30時間以上が経過してからだった。

 その一方で、内閣改造は予定通り強行。停電復旧の見通しがなかなか定まらないうえ、熱中症による死者まで出ているのにも関わらず、スケジュールを優先したのだ。

 こういった動きに対して当然、国民からは批判の声が出ている。同じようなことは、1年前にも起きたばかりだ。言うまでもなく、昨年7月、西日本豪雨の最中に起きた「赤坂自民亭」騒動である。

 「赤坂自民亭」騒動とは、気象庁が西日本の大雨に警戒を呼びかけ、災害発生が懸念される状況にあったのにも関わらず、自民党議員が開いた宴会に安倍首相や小野寺五典防衛大臣(当時)が参加していた問題だ。

 この酒宴が政府の初動対応を遅らせたのではないかとして安倍政権は批判を浴びたが、似たことを今回もまた繰り返したわけだ。

組閣より災害対応を優先させることは可能だった

 その責務を理解せず、国民の生命を軽視してゴルフを楽しんでいた首相もいる。

 森喜朗元首相は、2001年2月10日に起きたえひめ丸事故の際、一報を受けたのにも関わらず、そのままゴルフを続けたことが大問題となり、結果的に退陣に追い込まれる原因のひとつとなった。

 9月14日放送『報道特集』(TBS系)で、キャスターの金平茂紀氏はこのように語っている。

<政府の対応なんですけどね、非常災害対策本部会議が開かれなかったというのは、大きな禍根として残ると思いますね。内閣改造を優先したというふうに言われても仕方がないと思いますね。菅官房長官は災害への対策については『迅速かつ適切に行われた』と言いきっていましたけれど、これは被災した県民にとってはあまりにもむごい響きではないかと思います。組閣を延期するぐらいの対応だってあったかもしれない>
<『棄民』という言葉があります。災害や戦争などでひどい目にあっているのに、国やメディアなどから見捨てられた人々のことです。台風15号による被害と同時並行で、にぎやかに発足した安倍改造内閣。災害と組閣、ふたつのことを一緒に見ますと、『棄民』の意味がわかります>

 過去を振り返れば、1999年10月1日に行われる予定だった小渕恵三首相の第二次改造内閣は、東海村JCO臨界事故に対応するため延期され、同月5日に組閣している。

 政府が目前にある政治スケジュールをいったん脇に置き、災害対応に全力を傾けることは決して机上の空論ではなく、本来は可能なのだ。

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