<特別編・瀧波ユカリさん>私が私であることを証明してくれる、愛すべき「ヘン」な柄たち

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百女百様/はらだ有彩

 ある日、ふと思いついた。

(ビーバーのぬいぐるみって、誰が作ってもヘンになるだろうな……)

 気づいてしまうと、もう居ても立ってもいられない。インターネットを駆使して国内外のぬいぐるみメーカーのwebサイトをひたすら回る。探さなければ生涯出会わなかったであろう珍妙なキャラクターデザインのビーバー、ビーバー、ビーバーの数々。無数にサジェストされるぬいぐるみたちと対面し、適宜購入・見送りを検討する。情報をまとめてtwitterにpostするところまでが1セットだ。

(ふう~、ヘンだった。心行くまでヘンだった。さて、次はタコのぬいぐるみを探してみるか……)

 これが瀧波ユカリさんの日常である。

 説明するまでもなく、瀧波ユカリさんの職業は漫画家だ。2004年、『臨死!!江古田ちゃん』(講談社)で「アフタヌーン四季大賞」を受賞しデビュー。育児エッセイ『はるまき日記』(文藝春秋)、平安時代を舞台に妄想癖のある貴族女性の日常を描いた『あさはかな夢みし』(講談社)、「母の看取り」をテーマに据えたエッセイ『ありがとうって言えたなら』(文藝春秋)など多数の作品を経て、現在連載中の『モトカレマニア』(講談社)は2019年秋にドラマ化が予定されている。

 しかし、漫画家業を営む傍ら「『ヘン』なものハンター」という副業を持っているのではないかと思うほど、瀧波さんのSNSは見慣れなかったり、目が離せなかったり、思わず二度見してしまうもので溢れている。韓国の一般家庭で使われている靴下「ポソン」、崎陽軒のシウマイブランケット、人体解剖図が描かれたカップ、冒頭に登場したタコのぬいぐるみ。ジャンルは多岐にわたるが、瀧波さんによって紹介されるものたちは全員、どこか憎めない顔で鎮座している。その憎めなさのなせる業か、数日後にはpostを見てつい購入してしまった人たちの投稿でタイムラインが埋まることも多い。

 収集対象は「もの」に限らない。ヘンな「柄」もハントの獲物だ。錠剤柄の靴下。スパムおにぎり柄の鞄。スーパー玉出柄のトートバッグ。しめじ柄の下着。車柄のジャケット。成人男性柄のタンクトップ。歯柄のワンピース。女湯の暖簾柄のワイドパンツ。大漁旗柄のドレス。お祭り柄のブルゾン。

 もちろん「ヘン」でさえあれば何でもいいわけではない。見慣れたものを新鮮に塗り替えるノイズは人生には欠かせないが、必要なノイズと、必要ではないノイズがある。「作者の主張が強すぎないこと」という指針を働かせ、しっくりくるものを厳密に選り分ける。しかしこの確固たる指針は生まれつき備わっていたものではなかった。

 中学生の頃から、ずっとファッションを模索してきた。地元・北海道には当時まだヤンキー文化が色濃く残っていた。短ラン・長ランの世界を掻い潜り、制服を着ていない短い時間のために雑誌を読みふける。篠原ともえちゃん……は、かわいいけど、自分が着るのはちょっと違う気がする。吉川ひなのちゃん……も、かわいいけど、自分にはかわいすぎる。『オリーブ』(マガジンハウス)だって文句なしにかわいいけど、自分のキャラクターには合っていないように思える。少女の奮闘は続く。

 高校時代は雑誌『CUTiE』(宝島社)に青春を捧げた。ピタTや厚底サンダルを愛し、「BA-TSU」や「SUPER LOVERS」、「BETTY′S BLUE」を興奮をもって眺めた。服はもっぱら、家族旅行で訪れたハワイや東京で調達した。20〜30年前のハワイはまだローカルブランドのショップがたくさんあって、派手な服がずらりと並んでいたのだ。

 そうか、私、「盛る」のが好きなんだな。トライ&エラーによって自我が確立され、東京の大学へ進学し、アルバイトもして好きなだけ服が買えて、楽しい!……はずの10代後半から20代前半は、しかしファッション暗黒期と呼べるかもしれない。

 入学したての頃はまだ「盛る」ことを楽しんでいた。ある日などは人の顔が描いてあるシャツ、人の顔が描いてあるスカート、人の顔が描いてあるバッグを持って「今日、人、3人いるじゃん。着てる本人を入れて4人じゃん」と言われていたほどだ。

 しかし新しい環境に馴染み、同級生たちと交流するようになった頃、思いがけない衝撃に襲われる。

 ……東京生まれ・東京育ちのシティガールズ&ボーイズの、「盛るのってダサいよね」という斜に構えた態度!

 今まで以上に奇抜な服にアプローチしやすい街へ越し、気合いを入れていた大学一回生の少女は愕然とした。ファッションで自分を表現しようとすればするほど「おしゃれ」じゃなくなっていくような気がする。何も表現しようとしていない彼らの方がおしゃれに見える。これは都会と地方都市のおしゃれ格差なのか!? 彼らは無自覚に「おしゃれマウンティング」をしているのではないのか!?

 1998年、瀧波さん18歳。5月にX JAPANのhideが亡くなった。同月末、椎名林檎が「幸福論」でメジャーデビュー。「あんまり頑張りすぎるのは気分じゃない」という気だるいムードが蔓延し、愛読していた雑誌のトーンも少しずつ変わる。時代が流れつつあること、愛したファッションの流行が終焉を迎えつつあることを肌で感じ取っていたのだと今なら分かるが、あの頃はまだふんわりとした不安を言語化できなかった。

 「盛る」のをやめて「いかにおしゃれに興味がないか」という方向へ舵を切ったのは、ひとえに「おしゃれに見せたい」という気持ちがあったからだ。試行錯誤して結局、一着のツナギを選んだ。これまで「盛る」ことしかしてこなかったから、力の抜き方が分からない。気合いを入れて、力いっぱい力を抜いてしまう。流行のスタイルを好きになれずに4年経つ頃には、トレンドが分からなくなっていた。「だから当時描き始めた『江古田ちゃん』は不思議な形と柄のスカートを履いているのかも」と滝波さんは笑う。

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