<特別編・瀧波ユカリさん>私が私であることを証明してくれる、愛すべき「ヘン」な柄たち

【この記事のキーワード】

 一筋の光を降らせたのはインターネットの台頭だった。漫画家としてのデビュー後、いよいよ外に出かける機会が減り、しばらく通わずにいるうちにお店の興亡も分からなくなり、歩き回って探すほど欲しい服がなくなっていた瀧波さんにとって、少しずつ市民権を得てきたインターネット・ショッピングは救世主だった。ウェブショップはもはやインターネット黎明期の粗悪で怪しいものではない。

 ああ、調子がつかめてきた!

 と思った瞬間、次の試練が訪れた。妊娠が発覚したのだ。体形が変わる。何も気にせずに過ごせていた日々が思い出せないくらい、毎日変調が訪れる。臨月を乗り切ってぶじ出産を終えた後には、自分でも驚くほどファッションへの関心がゼロになっていた。身体がつらい。重い。子供を優先しているうちに自分の装いなんて後回しになってしまう。

 最も違和感があったのは、授乳のための服だった。マタニティ・ファッションというものは、なぜあんなにフェミニンで、やたらとほっこりしていて、とにかくフワフワなのだろう。全然理解できない。理解できなくても、1mmも趣味に合っていなくても、着なくてはいけない。必要だから。必要最低条件に合う「どうでもいいもの」を消去法的に精査し、しぶしぶ手元に置く。

 「どうでもいいもの」を着続けていると心が死んで行くのを感じる。自分の顔が捉えられなくなる。自分で自分をどう見ればいいのか分からなくなる。この三十年間ずっと一緒だったはずの姿が、しっくりこない。

 今までのように落ち着いて化粧を施す時間がないとか、産後の身体が栄養を失っているから、という確実に存在する物理的な理由だけではなかった。何が好きだったのか、何が好きなのか分からない。あんなに気に入っていた服が似合わない。ようやく体力が少し回復し、着替えて外に出られる頃になっても、「●●ちゃんのママ」としての姿かたちを求められる。「ママ友」と呼ばれる集団に馴染まない恰好は、いつでも非難の対象だ。苦悩は5年以上続いた。

 転機をくれたのは、奇しくもまたツナギだった。

 『ありがとうって言えたなら』でも描かれていた母の死に直面し、手続きや片づけに奔走する中、疲れた心でふと手に取った二着だ。一着は真っ青な、いわゆる作業用のツナギ。そしてもう一着は「X-girl」の迷彩柄ツナギ。図らずも90年代の熱狂を思い起こさせるネームタグに、身体の中から熱が沸き上がる。もちろんツナギで「ママ友」の輪へ入っていけば目立つが、東日本大震災を機に引っ越したことで人間関係がリセットされた事情もあり、いつしか気にならなくなっていた。思い切って娘の運動会で迷彩柄のツナギを着用してみる。カーキとベージュの模様で全身を包み、グラウンドを全力疾走していたら「一人だけ装備がガチすぎる保護者がいる」と注目された。どうやら目立ちすぎると「●●ちゃんのママ、派手じゃない?」という尺度をいっそ無効化し、「あの人、運動会に本気すぎない!?」という別の尺度に塗り替えることができるらしい。嬉しい発見だった。

 「ママ」のペルソナから解き放たれ、母を思い出す。思えば子供の頃から母は派手だった。黄色のパワーショルダーにソバージュ・ヘア。父もスーツの内側を和柄で飾ったりと、独自のおしゃれを貫いていた。両親ともに「皆と同じなのはつまらない」という人なのだ。

 北海道の冬は寒い。小学校へ登校する瀧波さん姉妹に、母はファーの上着を着せた。同級生たちが上下ジャージで登校してくる教室では浮いていたかもしれない。

 小学校6年生、卒業式では架空の制服を模した「なんちゃって制服」を着せられた。当時通っていた小学校には、進学する地元公立中学校の制服で卒業式に出る習慣があった。一人だけ見慣れない(実在しないのだから当然である)制服で式に現れた瀧波さんを見て、同級生たちは「ユカリちゃん、東京の私立中学に行くらしいよ」と噂した。

 そういえば、私は昔からちょっと変な格好をして、影で笑われていたじゃないか。瀧波さんは思い返す。アルバイトへ行く時だってちゃんとアルバイト用の格好に身を包んでいたのに、やっぱりどこかはみ出してしまっていた思い出が懐かしい。私はそれでいけばいいのだ。

<特別編・瀧波ユカリさん>私が私であることを証明してくれる、愛すべき「ヘン」な柄たちの画像2

 母の形見として持ち帰った服を眺める。洒脱な母らしい、ちょっと良い服だ。自分なら選ばないようなデザインと色。自分の服と組み合わせてみると想像もしなかった結果になる。こんな風にどこか「予測しきれない」部分があっても良いのかもしれない。

 おしゃれをすることにのめり込みすぎると、なんだか型にはめ込まれてしまう気がする。例えば70年代のファッションは好きだけど、完璧に70年代を再現したいわけじゃない。パーフェクトな姿を目指して無理やりヒール靴を履くのだって疲れてしまう。出かける前に姿見で全身をチェックして洗練を完成させるのも良いけれど、インスピレーションを組み合わせたまま、何が起こるかわからないまま出かけてしまうのだって楽しい。

 最近、成長した娘は瀧波さんが買い与えた服を独自にコーディネートしている。その様子を見守りながら「ああっ、そういうつもりで買ったんじゃなかったんだけど!」という朝も多々ある。自分なら選ばないようなデザインと色の組み合わせ。母と娘はやっぱり違う人間なのだと改めて面白い。

 こんな風に予測できない新鮮な喜びが、「ヘン」なものを発見した時に蘇ってくるのかもしれない。自分では思いもつかないような造形と機能たち。それを「好き」だと感じて手に取ることができる喜び。「この『ヘン』は好きだけど、こっちの『ヘン』は心に刺さらない。そのセンサーの精度を高めていくと、図と地のように自分の顔がくっきりと浮かび上がる。

 次はどんな「ヘン」なものを見つけられるだろう。心が掻き立てられた瞬間、また新しい自分と出会えるかもしれない。世界にはまだまだ「ヘン」で愛おしくて、魅力的なものが溢れているのだ。

【瀧波ユカリさん】
漫画家・エッセイスト。デビュー作の『臨死!!江古田ちゃん』では24歳フリーター女性の楽しくもシビアで、味わい深い日常を描く。他にも『あさはかな夢みし』など一言では片付けられない女性のリアルな機微を描いたマンガ作品、『はるまき日記: 偏愛的育児エッセイ』『ありがとうって言えたなら』など人生の場面を大切に抱くエッセイ作品を多数刊行。
twitter:@takinamiyukari
WEBSITE:https://takinamiyukari.com/

<特別編・瀧波ユカリさん>私が私であることを証明してくれる、愛すべき「ヘン」な柄たちの画像3

『モトカレマニア(3)』(KC KISS)

 現在3巻まで発売中の『モトカレマニア』 (KC KISS)は10月17日からドラマ放送スタート(毎週木曜よる10時放送/フジテレビ)

1 2

「<特別編・瀧波ユカリさん>私が私であることを証明してくれる、愛すべき「ヘン」な柄たち」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。