
美味しい食パンは幸せの塊のようだ
朝の食卓の定番アイテムである食パンに異変が起きている。高級食パン専門店が次々にオープンし、ブームになっているのだ。
9月8日、埼玉県さいたま市にオープンした「モノが違う」もそのひとつで、究極のやわらかさと、とろけるような食感を実現するための独自に製粉した小麦粉、口どけの良さを出すために無添加の生クリーム、ふっくらとした焼き上がりにするために、地下海水を原料にした雪塩を使用するというこだわり。
商品は2アイテムのみ。プレーンの「ケタ違いの朝」は800円、レーズンパンの「まじ違う午後」は980円で、いずれも2斤の税込価格。コンビニやスーパーで売られているものよりかなり高い。
プロデュースしたのは、ジャパンベーカリーマーケティングの岸本拓也氏。岸本氏は、「考えた人すごいわ」「乃木坂な妻たち」「平成最後に俺の出番!なま剛力スタジアム」「もはや最高傑作」「偉大なる発明」「うん間違いないっ!」といったインパクトのあるユニークな店名の店舗を続々、全国各地に登場させている。高級食パン専門店ブームの仕掛け人のひとりだ。
2018年9月、東京・銀座に1号店をオープンした食パン専門店「銀座に志かわ」も、1年足らずで17店舗まで拡大している。先駆けとなった「乃が美」は全国に142店舗(オープン予定の1店舗含む)、「一本堂」も121店舗を展開している。
食パンは消費者にとって毎日の食卓に上る親しみのある食べ物で、スーパーでは特売にも使われる低価格のイメージも強い食品だ。一方で、こだわりのべーカーリーでは、フランスパンなどハード系に比べてアピール度がそれほど高くない商品だった。
こうした状況のなかで、高級食パン専門店は、原材料や製法にこだわり、大手メーカーの商品とは一線を画した。さまざまな種類が揃うコンビニ、スーパーのパン売場と異なり、単品に絞り込むことで専門性をアピールし差別化に成功したのだ。
さらに岸本氏は、店づくり、ユニフォーム、紙袋など包装資材にも目配りし、トータルのブランドイメージを打ち出すことでさらに注目度を高めた。そして何より、確かな商品力とブランディング力で消費者のハートをつかみ、もっとおいしい食パンを食べたいという欲求にピンポイントで応えた。
高級食パン専門店のブームは、6年前に発売されたセブン&アイ・ホールディングスのプライベートブランド(PB)「セブンゴールド」の「金の食パン」を思い出させる。「厚切2枚入125円」「1斤6枚250円」とコンビニやスーパーの食パンとしては割高で、開発するにあたって、高級スーパー紀ノ国屋の商品を参考にし、原料や製法にこだわった食パンだ。4カ月で1500万個を販売する大ヒット商品となって注目を集めた。
高くてもおいしいパンを食べたいという消費者の欲求に応えたもので、当時のセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長が言っていた「消費者が求めているのは価格ではなく質」という考えに基づいて作られたものだった。
今回の高級食パン専門店は、質を追求したらこの価格になったという図式。マーケットインでニーズに対応するのではなく、プロダクトアウトでモノづくりを行い、食パンとしては異例の価格となったが、その価値を消費者が認めて受け入れたということだ。ただ、原価計算をして値決めしたというより、“価格が高いというだけで、その商品の価値を認める”という消費者心理を考え、マーケティング発想でより高めにしたという思惑も感じ取れる。
食べ物は、食べればおいしいかすぐにわかる。そのおいしさに対していくら払うか、その価格を高いと感じるのか適正と感じるかは人それぞれである。さらに、おいしさだけではなく、パッケージや店の雰囲気も影響する。
こうした点を考えれば、岸本氏のアプローチは的を射ている。そして、高級そうな横文字の店名ではなく、あえて変わった店名にする変化球も、味付けとしてオモシロイと受け取られ、特別な店であるという認識を植え付ける役目を果たす。
高級食パンの通常の商品の数倍の価格がどう取られるのか、最初はまず買ってみるが、その価値を認めてリピーターになるかが焦点となる。食パンは毎日の朝食として購買頻度が高く、菓子パンや惣菜パンと異なり嗜好性の低いもの。気に入ればリピート率も高く固定客にもつながる。コンビニやスーパーの食パンではなく、たまには高くてもおいしいものを食べたい、そういうときに高級食パン専門店の出番となる。
さらに、価格が高くなったことでいままでなかった手土産などのギフト需要も生み出し、新たな購買動機を創り出した。コンビニやスーパーの食パンは誰でも贈り物にしないが高級食パン専門店なら、ギフトにもふさわしいというわけだ。
街中のベーカリーはいまでも開業が多く、これからも一定の需要を取り込んでいき、コンビニやスーパーのパンも利便性で買われていくだろう。そうしたなかで、いまはブームの高級食パン専門店だが、定着してひとつのジャンルとなっていくか注目される。そして、おいしくて安い価格破壊の業態の食パン専門店が登場するかも興味深い。
パンに限らず、単品を切り出し、バリューを高めることで専門店として成立する可能性のある商品はまだまだたくさんあり、アイデア次第で消費者のハートをつかむことができる。新たな専門店の登場を期待したい。