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Aマッソ炎上で噴出「コンプライアンスのせいで笑いがつまらなくなった」は正論か?

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ワタナベエンターテインメント公式HPより

 9月22日に行われたイベントに登場したお笑いコンビAマッソのネタに、あきらかな人種差別発言があった。Aマッソはネタの中で、村上愛が投げた<大坂なおみに必要なものは?>というお題に、加納愛子が<漂白剤。あの人日焼けし過ぎやろ>と返したという。

 イベントの観客が複数人、この発言を「笑えなかった」とTwitterに投稿したことから波紋が広がり、24日になってAマッソの所属するワタナベエンターテイメントは謝罪文を出した。Aマッソの二人も謝罪と反省の言葉を手書きで記している。

<特定の方のお名前を挙げて、ダイバーシティについて配慮を欠く発言を行った件につきまして、お名前を挙げてしまったご本人、思い出野郎Aチームの皆様、当日ライブを鑑賞していらっしゃったお客様、本件について不快な思いを感じた皆様、関係各位に多大なるご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます>株式会社ワタナベエンターテインメント

SNSを中心に噴出した“逆張り”

 人種に由来する皮膚の色を「漂白剤が必要」などと揶揄するのは明らかに差別、相手への侮辱であり、そもそも「ダイバーシティへの配慮に欠けた」などという領域の話ではない。特定の人種を優越または憎悪する価値観がそこになければ、侮蔑的な表現には結びつかないからだ。

 しかしともかくAマッソと所属事務所は、不適切な発言があったことを認め、謝罪し、アンチレイシズムを専門とする弁護士からのアドバイスを受けて「ダイバーシティ意識向上の徹底」をはかっていくという。少なくとも、人種差別を笑いのネタにすべきでない、という共通認識がそこにはある。

 ところがSNSでは、「お笑いなんだから、それくらいいいじゃん」とする反論の動きもある。一部のネットユーザーから「なんでもかんでもコンプライアンス重視の世の中になったら、お笑いができなくなってしまう」といった“逆張り”だ。一部、以下に抜粋する。

<芸人のライブでの発言を一々晒しあげてたら本当に面白いことなんてなくなっちゃうよ Aマッソのあのライブを観てAマッソ嫌いになる人がいるのは別に良いと思うけどなんでもかんでも晒して叩いてそれが平和なの正確なの?そんなの窮屈で仕方ない> 
<Aマッソが人種差別的なネタして炎上くらってるけど、尖りすぎた結果ですな。 それよりも、それに群がって批判してくる奴らがめちゃくちゃ気持ち悪いなって思いました> 
<Aマッソの話、落ち度や「読み違えた」みたいな点があるとすれば、無料イベントでそれをやったことの一点だけだと思う。ましてやお笑いが好きで何かと語りたがるような人達までがボケと差別意識の発露の区別もできず(せず)に、ただ人の多い方に乗ってみんなと一緒に叩いてるの、本当に終わってると思う> 
<Aマッソの問題発言の件、ようやく把握。今の時代、お笑いって難しいなあという感想。迂闊といえば迂闊。今回のことは決して褒められないけど、必要以上に吊し上げられるのは違うと思う。タブーに切り込めなくなるのは、お笑いとして辛いもの> 

 「タブーに切り込む」「尖ったネタ」「過激な笑い」は結構だが、それが人種差別と結びつく必要はどこにもない。世界中でこれまで起こってきた、いや現在進行形で起きている非人道的な民族虐殺や迫害を完全に無視したあるまじき態度で「笑いをとる」ことを、社会が許容してはいけないのだ。

 誰もが広い視野と深い知識を持つ必要はないだろうが、大勢の人々に情報を届けるメディア側の人間がこのことを理解していなかったら、すでに解決済みの事柄について無用な議論がいつまでも繰り返されてしまう。

 しかし残念なことに、日本のお笑い界に超大御所として君臨する芸人は、このことについて認識が非常に甘い。ダウンタウンの松本人志が、「ブラックフェイス」炎上に開き直り、積み重ねてきた議論を無効化したことは記憶に新しいだろう。

松本人志「じゃあ、今後黒塗りはなしでいくんですね」

 2017年の大晦日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ系)はグローバルな問題に発展した。

 ここでは浜田雅功が映画『ビバリーヒルズ・コップ』でのエディ・マーフィーのコスプレという設定で顔を黒塗りにして登場するシーンがあり、日本国内にとどまらず、BBCやニューヨークタイムズまでもが「人種差別的だ」と報じる国際的な問題になったのだ。

 しかし渦中の2018年1月6日に放送された同番組の完全版でも、問題の黒塗りメイクのくだりはそのまま再放送された。

 このケースでは、国際的な問題になっているのにも関わらず謝罪や撤回などはなく、それどころか松本人志は1月14日放送『ワイドナショー』(フジテレビ系)において、開き直りのような態度を見せた。

<じゃあ、今後どうすんのかなって。僕らはモノマネタレントではないので、別にもういいんですけど、この後、モノマネとかいろいろバラエティ(番組)で、じゃあ、今後黒塗りはなしでいくんですね。はっきりルールブックを設けてほしい>

 ルールブックはすでにある。外務省の人種差別撤廃条約を読めばいい。そのうえで、現代の価値観と照らし合わせて自分たちがどんな表現で笑いをとるか試行錯誤するのが、プロの芸人ではないのか。

ブラックフェイス擁護発言で司会者がクビに

 国際的にも参照すべき「ルールブック」としての事例は数多ある。

 たとえば、2018年にアメリカのテレビ番組『Megyn Kelly Today』(NBC)で、司会者のメーガン・ケリー氏が次のような発言をして大炎上した。

<白人がブラックフェイスに、黒人がホワイトフェイスにすると問題になる><子供の頃は、キャラクターのように変装することについては、OKだった><(ハロウィンで)黒人歌手のダイアナ・ロスに扮し、肌を黒くしたら、物議を醸し、人種差別者扱いされた。分からないわ。ダイアナ・ロスを好きじゃない人なんているかしら?>
(2018年10月27日付ニュースサイト「mashup NY」より)

 メーガン氏は謝罪したが、『Megyn Kelly Today』はNBCとの契約途中で打ち切りになった。

 かたや、日本テレビはその後も『笑ってはいけない~』を打ち切っていない。ドル箱コンテンツだからだ。ダウンタウンや吉本興業と番組制作との“関係”にも配慮しているだろう。

 放送事業者であるテレビ局を管轄する総務省が動いた気配もない。結局、『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』の「ブラックフェイス」は容認され、議論はうやむやになったのだ。

インターネットテレビでゾンビのように蘇る「昭和」

 本稿序盤で引いた「コンプライアンスのせいで笑いが面白くなくなった」という一部視聴者の感覚は、『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル』(Amazonプライム・ビデオ)をはじめ、インターネットテレビで「これこそが新しい笑いだ!」と称して、セクハラ・パワハラやり放題のコンテンツが製作されている状況の根っこになっている。

 これらの番組は媒体こそインターネットテレビという最新のメディアだが、そこで放送されているものは、もはや地上波テレビでは製作することのできなくなったような昭和のテレビ業界的企画がゾンビのように再生産されているだけで、その中身は新しくともなんともない。

 人種差別発言は言うまでもないが、「チビ、デブ、ハゲ、ブス」のような外見を貶す笑いや、相手との力関係の差を利用したパワハラの笑いなども、これからの社会には必要のないものだろう。インターネットテレビが新しい表現の場だというのなら、昭和でない令和の笑いを模索すべきだ。

 すでにそのことに気づき、実践している芸人もいる。バービー(フォーリンラブ)は2019年8月30日放送『ACTION』(TBSラジオ)に出演した際、いわゆる「自虐ネタ」に関してこのように語っていた。

<一回コメントをもらったことがあるんですよ。私がテレビでギャンギャン“ブス”とか“デブ”とかいじられているのを見て、女の子からのコメントで『私はバービーちゃんのことそんなにブスだと思ってないし、私と同じぐらいだと思っているから、私が“ブス”“デブ”言われているように感じてすごくショックだった』っていうコメントをもらって。
そのときに、自虐はいけないなと思ったのと、やっぱ自虐してるっていうことは、(価値観の)物差しをもっているわけじゃないですか、ここからはいじっていいとかダメだとか。だから、『すべての人は平等ですよ』とか言っているわりに、その自虐の物差しは許されるっておかしいなっていうのは気持ち的にはあって>

バービーは「ブス自虐」をしない! いじり・いじられなくても面白くカッコいい笑いは出来る

 お笑い芸人・バービー(フォーリンラブ)が語る「コンプレックス」への意識の向け方が各所で共感の声を呼んでいる。 バービーは8月30日放送『ACTIO…

ウェジー 2019.09.07

 芸人たちがテレビや舞台上で見せるコミュニケーションのあり方は、市井の人々のコミュニケーションのあり方に非常に強い影響を与える。

 メディア側である芸人やテレビマンはそのことにいま一度自覚的になるべきだ。ましてや「コンプライアンスのせいで笑いができなくなった」などと思考放棄することは、プロ失格といえる。

 旧時代の遺物となり始めている「人を傷つける笑い」「ハラスメントに頼った笑い」にこだわる姿勢は、その芸人の技術のなさや、時代に追いつくための勉強を怠っている怠惰さを証明するものに他ならない。むしろ定型化した笑いの方法論から脱しようとする創作アプローチこそが、新しい表現を生み出す源泉になるはずだ。

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