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障がい児を育てる専業主婦が、離婚を決意した理由

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「Getty Images」より

 これまでこの連載では、子育て世代に突如襲う病いの体験について取材をしてきた。自身が病いを抱えながらの子育ては本当に大変なことだ。だが、同時に、わが子の「病い」もまた親にとっては大問題だ。いやむしろ、自分ではなく愛するわが子だからこそ、子どもの病いや障がいとどう付き合っていくか、親としてどう生きていくかが深く問われることもある。

 今回は、複数の疾患と知的障がいを持つ子どもを育てながら、幾つもの岐路に立ち、大きな選択をし続けている女性に話を聞いた。

病いと子供と私

生後5カ月の初手術から10年

 都内に住む高橋のどかさん(仮名)は、現在、パートで保育士をしながらシングルマザーとして10歳と7歳の男児を育てている。

 長男は生まれてすぐ、上顎と唇が裂けている口唇顎裂と、鼻の軟骨がない鼻骨欠損であることが判明した。さらに大動脈と肺動脈をつなぐ管が開いた動脈管開存症という心臓疾患があることもわかった。

 長男は、生後5カ月で口唇形成手術を受けた。10歳になった今年、骨盤からの上顎骨移移植が予定されており、18歳になるころには鼻骨手術を行う予定だ。

 小児科はもちろん、臨床遺伝子科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、循環器科、泌尿器科、歯科、眼科など、体が弱い長男を連れて、のどかさんは今も、病院通いを続けている。

 さらに、3歳児健診で知的障がいがあることがわかった。てんかんの症状もでていることもあり、療育センターに通いながら、大学病院と総合病院が二軒、10科以上で受診する。

「身体的な構造の不具合と、精神発達の遅延の両方があります。身体的な疾患に関しては、遺伝子科などで原因を究明しつつ、定期的な検査と手術の目処を医師と相談しています。知的障がいについては療育を受けるのはもちろん、長い目で子育てに寄り添ってくれる人が必要です」

 妊娠中はこうした障がいや疾患があるとは指摘されなかったし、思ってもみなかった。

 のどかさんのはじめての子育ては、最初から波乱に満ちたものだった。

“育てにくい子”と乳飲児をワンオペで育てて

 複数の疾患を持って生まれた長男を抱えたのどかさんにとって、都市部での育児は孤独なものだった。当初は一緒に病院に通ってくれていた夫も、激務に戻り、日付が変わるまでに家に戻れるのは週2、3日しかないような生活。無我夢中で子育てをした。

「長男は、今思えば、動きが激しかったり、言葉の出が遅かったり、食べこぼしがひどかったりいわゆる“育てにくい子”だったんですが、周りに子どもがいない環境だったこともあり、大変だけど育児ってこんなものなのかな、と思っていました。でもやっぱり、助けてくれる仲間が欲しくて、藁にもすがる思いで情報を集めて、自主保育のサークルや、NPO自然育児友の会と出会ったんです」

 子育て仲間を通じて外遊びをしながら、子どもをみんなで育てていると、ストレス解消にもなった。

 そんな頃、東日本大震災が起こり、より自然が多く安全な環境で子育てをと、のどかさんたちは東京郊外に引越しをする。丁寧で自然な食事と外遊びに力を入れている保育園を見つけたこともあり、入園を目掛けての引越しだった。

「その保育園に入れたいがために、ヨガを教える仕事を始めました。ちょうど引っ越し先が決まってすぐのタイミングで二人目の妊娠もわかりました。ただ、このころはまだ、長男に知的障がいがあるとはわかっていなかったんです。

 次男が生まれて、長男が3歳になってから、保育園で少し発達で気になる部分があると言われました。3歳児健診で引っかかり、診断を受けました」

 幸い次男には身体的な疾患はなかった。しかし、ホッとする間も無く、長男の療育に通うことに。2歳違いの乳飲児も抱えて必死で子育てや仕事をする日々。夫は相変わらず仕事で不在がちで、ほとんどワンオペの育児が続いた。

「Getty Images」より

離婚のきっかけは「やまゆり園事件」

 のどかさんが離婚を決意したのは、今から3年前、長男が7歳になった頃だった。だが、それよりもずっと前から、夫婦の間には少しずつ溝ができていた。

「夫が育児を手伝ってくれなかった、ということではなくて、ただ、なんというか妊娠・出産・育児を通して、私の選ぶ生活スタイルや興味が、以前とは変わってしまったことにすれ違いの原因があったんだと思います。

 私も昔は彼と外食に行ったり、政治や世の中のことについて客観的に議論を交わしたりするのを楽しんでいました。でも、子どもが生まれて、私がいわゆる“自然派”に変わっていったんです。

 食事や生活用品などにも天然な物にこだわったし、長男の育児を通して仲間を作ってその人たちと一緒に体を動かしたりしながら子育てをするのが楽しかった。そういうことに、夫はついていけなかったんでしょうね。

 それに、今思えば夫もやっぱり、育てにくい子の子育てにどうしていいかわからず、疲れ果てていたんだと思います」

 離婚の決め手となったのは、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件だった。知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に元職員が入り込み、入所者19人を殺害、職員を含む27人に重軽傷を負わせた事件だ。

「容疑者が『重度障がい者には価値がない』といった内容の発言をしましたよね。そのことをどう思うか、夫に聞いたんです。すると、『息子を愛しているし障がい者に価値がないなんて思わない。でも、これからの日本経済も低迷していくなかで最初に保護が打ち切られることはあるかもしれないし、淘汰されるのが障がいを持っている人でもしかたがないのかもしれない』と。そのときに、あ、これはやっぱり目指していく世界が私とは違うのかもしれない、と思ってしまったんです」

 のどかさんは、この頃、長男をもっと理解したいと、特別支援の勉強会に参加し、他の発達障がい児の親をサポートするボランティア活動もはじめていた。そんな中で、特別支援の面白さや、障がい児に対する視点が大きく変わっていった、という。

「障がいがある子を育てるのは大変だけど、でも、その子たちがいて、近年注目を集めているおかげで、児童像も多様化してきました。知識詰め込み型の一斉教育という日本の学校のあり方が変わりつつあります。

 障がい児と健常児とを分けずに、誰もが主体的で本質的な学びを受けるインクルーシブ教育も注目されていますよね。

 障がい児や障がい者がいることが、多様で優しい世の中が生まれるきっかけになっているとしたら、そんな世界って素敵だなって。私はそんなふうに思えるようになっていたんです。

 だから、夫の視点はやっぱりショックで、どうしてもこれから一緒にはやっていけないなと思いました」

 しかし憎しみ合って別れたわけではない。現在も、別れた夫とは頻繁に連絡を取っているという。子どもたちの学校行事には必ず参加してもらうし、時には子どもたちを預かってもらうこともできるようになった。母子3人が生活していけるだけの養育費も受け取っている。

 距離ができたからこそ、お互いを尊重し、ささいなことでしていたケンカも減った。元夫の、子どもたちへのまなざしも柔らかいものになってきた。今は、それなりにいい関係が築けていると言う。

 だが、離婚を決めた時には現在のような良好な元夫婦関係になれるかはわからなかっただろう。のどかさんは実家も遠く、実母とも育児観が異なるため、簡単に子どもたちを預けたり、助けを借りたりもできないという。障がいや複数の疾患を持つ長男と、病気や障がいの診断はないが、こだわりが強く癇癪を起こしやすい次男を抱えて、シングルマザーになることは大きな決断に違いなかった。

 二児の子育てにサポートが必要なことはどう見ても明らかだった。のどかさんは情報を集め、すぐに行動した。

<インタビュー後編は、10月20日に公開予定です>

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