神戸の教員暴行発覚で問われる「教師の質」 昭和の教師たちはどうだったのか?

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「Getty Images」より

 神戸市須磨区で起きた教員の暴行暴言問題。「そんなことがあるのか」と眉をひそめた人は多いだろう。ネット上では加害教員4人に対する非難が殺到。現職国会議員までTwitterで解雇の必要性を訴えた。

 世間の反応の大きさは、そのまま問題の深刻さを浮き彫りにしている。管理する側の校長の責任、教育委員会の指導力も問われる問題で、加害教員に対する処分についても注目される。

問題のある教師はいつの時代にもいた

 絶えない教師の不祥事。文部科学省の『平成29年度公立学校教職員の人事行政状況調査結果について』によると、平成29年度に懲戒処分とまたは訓告などを受けた教職員の数は5109人。わいせつ行為や体罰など悪質な事例も見られ、教師の資質を問いたくなる内容だ。

 こうしたことがニュースになるたびに世間は「またか」となり、子を持つ親は不安になる。そして、日本の教育を憂慮する声も聞こえ始める。今回の教員暴行問題を受け、ネット上では「日本の教育は終わった」などの意見も見られた。

 確かに今回の神戸のような悪質かつ幼稚な事例に出くわすと、暗澹たる気分になる。しかし、教師の質が問われるような出来事は、何も今の時代に限った目新しい話ではない。問題のある教師はいつの時代にもいた。犯罪や不祥事、行き過ぎた教育が問題になることはたびたびあった。むしろ、昔の教師のほうがもっとひどい事件を頻繁に起こしていたりする。社会学や教育学の世界では、教師像や学校現場の状況は時代や社会情勢の影響を避けられないとする考え方もある。

 たとえば体罰。昭和の時代には認められた指導法も、現代においては厳しく管理される。だからといって、体罰をしていた昔の教師の質が低かったとは一概に言えない。また体罰が減った現代の教育現場は昔と比べ、質が上がったとも単純に言えないだろう。

教師が“聖職”とされた時代の犯罪の数々

 では、過去にはいったいどんな教師がいたのだろうか。その参考として、作田誠一郎佛教大学准教授の『戦前昭和期の教師観と学校問題』という論文を取り上げてみたい。

 これは昭和初期の新聞報道から教師の事件を取り上げ、当時の教師像と、事件が社会に与えた影響について考察を加えたものである。事件の内容とその反響から、当時の教師たちがどのような評価を受けていたかが見えてくる。

 紹介された新聞の見出しタイトルだけでも衝撃的だ。その一部を抜粋しよう。

  • ●25歳尋常高等学校男性教師、16歳の女子生徒を理科室に閉じ込めて暴行。同女に就職後も執拗につきまとい、拉致・暴行・金品強奪などの悪行を働く(昭和2年)
  • ●32歳小学校男性教師、6年の女子生徒数人を裸にして謄寫版室(とうしゃばんしつ)に連れ込み、わいせつ行為に及ぶ(昭和3年)
  • ●32歳男性教師、日本刀をもって強盗(昭和4年)
  • ●38歳男性教師、青竹で園児を撲殺(昭和5年)
  • ●28歳男性教師、ふたりの少女をホテルに連れ込む(昭和5年)
  • ●24歳女性教師、教え子の少年をそそのかして駆け落ち(昭和5年)
  • ●42歳校長、保険金欲しさに妻を毒殺(昭和5年)
  • ●22歳男性教師、酒を飲みカフェーで大暴れ(昭和7年)
  • ●51歳尋常小学校男性教師、11歳~12歳の男女生徒6名に対し、鉄槌で殴打したり、カミソリで切りつけたりする凶行。理由は、「言うことを聞かなかったから」
  • ●44歳小学校の主任教師、自転車を盗む(昭和8年)
  • ●25歳女性教師、寄宿舎に侵入し窃盗行為(昭和10年)

 昭和初期といえば、世界恐慌で国内の景気状況はどん底、失業者の増加や企業・銀行の倒産など、多くの経済的問題を抱えていた。そのうえ、政治や外交の方面でも不穏な事件が多発し、先行き不透明な時代。今と比較にならないほど世相は暗く、大きな社会不安があった時代という点は考慮する必要があるだろう。

 不埒を働く教師に対する保護者の怒りは大きく、マスコミの批判報道も過熱したようだ。教師は権威ある存在で、悪いことなどしない聖職者というイメージが今より強かっただけに、犯罪が発覚したときのショックも大きかったのだろう。

昭和初期、すでに教師の権威は失墜していた

 前出の論文では、昭和初期に教師が主犯となる事件が相次いだ背景として、ある高等師範学校の教授の見解を紹介している。要約すると次のようになる。

 「近代教育制度がスタートした明治初期は、まだ教師の数も少なくその存在は貴重であった。儒教の影響もあり、教師に対しては社会全体が畏敬の念を持つ空気もあった。それが今日において社会の教育観は一変し、父兄の教師に対する見方も変わってしまった。彼らが教師に求めるのは自分たちの望むような子どもに育ててくれることで、そのためには種々の要求も行う。そこに特別な敬意はなく、教師を数ある職業のひとつとしか考えていない。また、教育普及の結果、教師の数は増え、いい先生もいれば悪い先生もいる時代となった。人格も思想もさまざまで、なかには罪を犯すような悪質な輩も出てくる始末である。このような時代の変化を考えると、教師の権威が地に落ちたのはごく自然なことといえる」

 教師の立場が相対的に弱くなり、口を出す保護者が増えたという指摘は、現代にも通じる問題でなかなか興味深い。また、社会構造の急激な変化に対して教育現場が追いつかない状況は、現代教育においても取り上げられる課題である。

 学校側の対応はどうだったのか。小学校入学式の校長のあいさつ文が記された『生活指導小学校行事の研究』(1933年)に、その一端を垣間見ることができる。

 「学校や校長の非難は決して子どもの前でなさらないようにお願いします。『学校は日本一のよい学校だ。校長先生は日本一の偉い校長だ』と言っていただきたい。そこに貴い教育が生まれるのであります」

 この文言からも、当時いかに先生や校長、学校が保護者の批判にさらされていたかがわかる。同時に、教師の権威を学校側が必死で守ろうとした姿勢も透けて見える。

 また論文によると、昭和初期の学校事件を研究していたある弁護士が、以下のような主旨のことを言っている。「教師の事件は全体的にみれば多いとはいえず、むしろ少ないほうである。が、教師は聖職者というイメージが強く、問題を起こせば非難論難は他の職業の比ではない。世間的には些末な事件も、教師がそれに手を染めようものなら特別な注目が加えられるのである」。

 現代においても似たような見方はある。犯罪率の職業別データをみると、教師の犯罪率は決して高いとは言えない。しかし、教師も聖人君子ではないから、間違いを起こす者は必ず出てくる。たとえその数が少なくても、世間に与えるインパクトは大きく、マスコミ報道も煽情的になる。程度の差こそあれ、教師が聖職者としてみられるのは今も昔も変わらない。

 どんなにひどい事件を起こす教師が現れても、それをもって日本教育の終焉と考えるのは飛躍がある。少し視野を広げれば、「いつの時代もバカな教師はいるものだ」ということがわかるし、「昔と比べればマシなのかな」など異なる見方も生まれる。そのうえで、今の時代に適合する対策について議論を深めていくほうが、生産的ではなかろうか。

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