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雅子皇后は25年間にわたるバッシングを受けてきた〜皇后を褒め称える前に忘れないでほしいこと

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『女性自身 皇室SPECIAL 即位記念号』(光文社)

 10月22日(火・祝)に行われる「即位礼正殿の儀」。台風19号の被害を鑑み、祝賀パレードは11月10日への延期が発表されたが、天皇が即位を内外に宣言される即位礼正殿の儀などは予定通り実地される。

 国を挙げての一大行事に即し、祝福ムードを高めるべく、あれだけ秋篠宮眞子さまと小室圭さんのご結婚ネタに執心していた女性誌もこぞって雅子さまを祝福する記事を量産している。下記は、一部の記事タイトルを抜粋したものだ。

<雅子さま、いまだ体調との綱引きはあれど、美智子さまの想いを覚悟で引き継ぐ!>「週刊女性」(主婦と生活社)
<雅子さまに待つ驚きのハードスケジュール…5時起床で18時間>「女性自身」(光文社)
<雅子さま“常に笑顔で”の誓い…カメラへの苦手意識も克服>「女性自身」
<雅子さま 即位の礼へ準備万端!“令和の奮闘”5カ月が糧に>「女性自身」
<世界が驚嘆する「日本の皇室」という奇跡 皇后雅子さまは「唯一無二のエンプレス」>「女性セブン」(小学館) 

 いずれの記事も、雅子さまがご病気を乗り越え、即位式に臨まれて皇后にならんとする“美談”を綴ったものだ。

 「女性自身皇室スペシャル即位記念号」(光文社)によれば、雅子さまは即位に際して精力的に公務に励んでおり、9月だけで3つの公務をこなしたという。

<約3週間で、3県のご訪問はかなり大変なスケジュールですが、雅子さまも無事に務められました。沿道にいる地元の人々にも、常に笑顔をお見せにいらっしゃり、そのご回復ぶりには目を見張るばかりです>

 今年5月のトランプ大統領夫妻来日においては、雅子さまが通訳を介さずにメラニア夫人と会話するシーンもあり、多くのメディアが雅子さまの語学力の高さを誉めそやしていたことも記憶に新しい。

 しかし、こうした報道の数々は、かつて雅子さまがメディアから受けてきたバッシングを振り返ると、極端な手のひら返しとの印象を拭えない。むしろ、雅子さまが優秀な外交官であったことが、皇室内ではマイナスだとする向きさえあったのだ。

ご結婚からおよそ25年間、雅子さまが浴び続けてきたバッシング

 1993年1月、天皇陛下と雅子さまの結婚が発表された。

 当時、まだ“小和田雅子”であった雅子さま。記者会見で、雅子さまは「外交官の職を捨てることに悔いはないか?」との質問を受けて、「いろいろと考えた結果、今私の果たすべき役割というのは殿下のお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることなのではないか、と考えましたので、決心したわけですから、今は悔いというものはございません」とお答えになられた。

 雅子さまは、これまでのキャリアを生かし、皇室という新天地で活躍することを”決心”していたのだろう。
 
 しかし、その意気込みは踏みにじられることとなる。皇太子妃として一にも二にも求められることは“お世継ぎ”を産むことだったのだ。週刊誌は、雅子さまが体調不良で公務をお休みになったり、ヒールの低い靴を履いていたりする度に、「ご懐妊か?」と騒ぎ立てた。そのプレッシャーは想像を絶するものだっただろう。

 そんなおり、「週刊朝日」1999年12月24日号(朝日新聞出版)は<雅子さま 懐妊の兆候>との見出しで雅子さまのご懐妊をスクープした。ご結婚から約6年半後のことだった。世間は祝福ムードに包まれたものの、その直後に雅子さまの稽留(けいりゅう)流産が発表された。

 妊娠初期はデリケートな時期であり、安定期に入るまでは妊娠の公表を控えるのが通常だ。それを一方的に暴かれた雅子さまの心労は幾重にも重なっていたことが容易に推察される。

 2001年5月には、雅子さまのご懐妊が正式に発表された。同年12月には愛子さまがお生まれになる。しかし、雅子さまにかかるプレッシャーは、「次はお世継ぎを」「第2子には男児を」と、言葉を変えて存在し続けていた。

 2003年には、湯浅利夫宮内庁長官(当時)が会見で「やはりもう一人ほしい」とデリカシーを欠いた発言をして物議を醸した。雅子さまが置かれていた状況は辛いものだっただろう。

 この直後から、雅子さまは体調不良を訴え出すようになったという。2003年12月、帯状疱疹を発症し入院。翌年には適応障害との診断が発表され、療養に入られた。

 2004年5月、まだ皇太子であった現天皇陛下が会見に臨み、次のようなお言葉を述べられている。

「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

 この“人格否定発言”は、強い衝撃を持って受け止められた。しかし、それからというもの、週刊誌は雅子さまバッシングをさらに強めていった。この直後から、現天皇陛下と雅子さまの“離婚説”がにわかに囁かれはじめ、雅子さまが「皇太子妃を辞めます」と激昂したとの報道まで見られた。

 2006年3月、愛子さまが5歳のおりに皇太子一家は東京ディズニーランドとディズニーシーを訪れた。進学を控えた愛子さまに「同世代の子どもと同じ体験をしてほしい」との教育方針であったというが、この時にも雅子さまに対して「療養中なのに遊んでばかり」などと誹謗中傷が巻き起こった。

 このように、病気療養のため公務に参加できない雅子さまに対するバッシングはすさまじかった。

「週刊現代」2008年1月5日・12日合併号は<雅子さまの私的なお出かけ>を批判。<愛子さまの送り迎えなどを含む雅子妃の私的なお出かけは、本誌がカウントしただけで、ゆうに50回を超える>とし、<乗馬にショッピング、友人とのレストランでの食事、さらには大学での聴講―まさに、充実したプライベートそのもの>と皮肉った。そのうえで、<治療の方針がどうなっているのか、国民にわかりやすく説明すべき>と綴られている。

 もはや一挙手一投足が監視下に置かれ、バッシングの対象とされるような状態であった雅子さま。プライバシーもなにもあったものではない。

 2010年、学習院初等科2年生だった愛子さまが同級生の“乱暴”が原因で不登校になられた際にも、「週刊文春」2010年6月3日号は<雅子さまと愛子さま 「母子密着」20人の証言 いまも「学校をやめたい」>と題した記事を打ち、“過保護”バッシングへと導いていた。

 ご結婚から25年あまり、週刊誌は雅子さまネタを量産し続け、そのキャリアはおろか、人格や愛子さまへの愛情さえ否定するようなバッシングを差し向けてきた。その大義のない姿勢がどれだけ雅子さまをどれだけ苦しめてきたのか、想像に難くはない。

 にもかかわらず、「回復して良かった」「素晴らしい皇后さまだ」と、メディアは今、雅子さまを賞賛する。誰が雅子さまを苦しめてきたのか、振り返ることはないのだろうか。

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