人を憎み関西を憎み「反省しない」と宣言した死刑囚の最終陳述

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「次に殺す相手も具体的に考えていた」

 大阪市阿倍野区で両親、弟、妹と暮らしていたが、暴力事件を2度起こした事で高校を中退。その頃から家庭でも暴力をふるうようになった。その後大倹に合格し、2000年4月に東京都内の私立大学芸術学部に入学。ところが同級生に数回暴力を振るったことから処分を受け、翌年9月、中退した。実家に戻ってからは、バイトをするも長続きせず、父の収入で長く暮らしていた。

 事件前年の2006年、バイト先の店長に暴力をふるい、バイト仲間の財布を奪ったことから、9月4日に懲役2年、執行猶予4年の判決を受ける。

 その翌月に実家で暴れて、父に勘当されてしまう。別居中の実母を頼り、高知に身を寄せた。だが、その時実母と交わした「モノを壊さない、飲酒しない」という約束を速攻で破ったことから、11月7日に家を追い出され、以後、母も頼ることが出来なくなっていた。

 11月中旬に滋賀県内の養豚場に住み込んで働くようになったが、家畜を殴って傷をつけたことから翌月に解雇となる。住む場所と仕事の両方を失った松村は、祖母に金を無心したが断られていた。

 さて松村は祖母から金の無心を断られた直後の12月20日、1人目の被害者が住んでいた長岡京市の岩井さん宅を訪ねた。家に上げてもらったが、順子さんの夫から生活態度を注意されてしまう。岩井さん宅を出た松村は六甲へ向かい、翌日に「入水自殺を試みたが断念した」と119番通報をする。これにより、実父に保護を求める連絡が入ったが、実父はこれを拒否した。

 移動や治療費で所持金が底をついた松村。実父には保護を断られたが、実母に連絡をすると、金を送ってくれた。この金で関東まで移動。クリスマスイブに、2人目の被害者となる加藤さん宅を訪ねる。泊まらせてほしいという松村の求めに、加藤さんは応じてくれたのだが、27日には1万円を渡され「年末年始に人が来る」と遠回しにそれ以上の延泊を断られてしまった。また別の親戚を訪ね、宿泊を願い出るが断られ、1万円を渡される。

 いよいよ八方塞がりとなった松村は、ついに28日、東京都内の保護施設に入所を申請し、その許可を得た。滋賀県内での住み込みの仕事も決まり、入寮を済ませた。だが、事件前日の1月15日。

「面接時に担当者に抱いていた不満を思い出した」

と、結局、入社初日の朝に寮を出てしまう。家族が不在の時に実家に忍び込み、夕食の残りを勝手に食べたりしながら、夜は野宿をして、事件の日を迎えた。

 松村は京都地裁で開かれた初公判において、1人目の被害者、岩井さん殺害の理由を「恨みがあったから」と語る一方、加藤さんについては「勘定合わせで殺した」と不可解な供述に終始した。これについて再び弁護士は記者会見で「『1人だけ殺して自殺するのはバランスが悪かった』と本人は言っているが、私にはよくわからない」と困惑しながら弁明している。

 さらに続く公判では、“第3の殺人”まで計画していたことを明かす。松村曰く、2件目の強盗殺人ののち、自暴自棄になり「さらに悪いことをしよう」と「次に殺す相手も具体的に考えていた」というのだ。その相手は東京都に住むある男性で、小学校・中学校時代の同級生だった。相模原市で2件目の殺人を犯したのち、同級生を殺すために東京に向かった松村だったが、殺害の前に、母校を見に行くことに。その際、身柄を確保されたのだった。

 その“第3の殺人”を決意したのも「昨年12月に『会おう』と電話したのに軽くあしらわれ、畜生と思った」「自分は大学中退なのに、大卒で会社にも勤めていて、嫉妬があった」という理由からだったと語る。

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