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「大学での教員養成課程は意味がない」は本当?

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「Getty Images」より

 萩生田光一文部科学大臣が今年9月に、東京オリンピック・パラリンピックのような国際大会に参加した選手が、大学の教職課程を経なくても、一定の研修をもって小中高校などで教員を目指してもらう仕組みを考えたいという趣旨の発言をされていました。教育現場を通じて障害者の雇用が進むのであればそれは良いことだと私は思いますし、障害者の方々が教壇に立たれるというのもインクルーシブな社会の実現という観点からも良いことだと考えます。

 しかし、読者のみなさんが我が子の教育を考える時に、「大学の教職課程を経なくても、一定の研修をもって小中高校などで教員を目指してもらう仕組み」で養成された教員に我が子を教えてもらっても本当に大丈夫なのか、気になるのではないでしょうか?

 実は大学での教員養成課程はたいして意味を持たないので、社会人経験者に教員免許を発行して教育現場に立ってもらおうという議論があります。教員もまた社会人ではないのか、というツッコミはさておき、この議論の震源地は米国にあります。

 そこで今回は、学校の先生が教職に就く前に受けてきた教育(準備教育)は、教員としての能力に影響を及ぼすのか、米国の研究結果をご紹介したいと思います。

準備教育をしっかり受けてきた教員はやはり優秀

 都道府県や政令指定都市が教員採用を担当する日本と異なり、米国の主流なシステム下では学区が教員採用の権限を持っています。このため、ニューヨークやロサンゼルスといった大都市でも、貧しく治安が悪い学区では、学校環境が悪いだけでなく教員給与も安いため、教員のなり手がいないか、いても新人ないしは他の学区で職を得られなかったような人が雇用を求めてやってきます。貧困と低学力が強い鎖で結び付けられているのです。

 こうした連鎖を解消するべく、教員になりたいわけではないけど社会問題を解決したいという志を持つ若者を、数年間だけ貧しく治安の悪い学区に派遣する、というNPOが立ち上がりました。

 そしてNPOによって派遣された若者達と元々いる教員達に指導された子供たちの学力を比較したところ、学力の伸びに大差がなかったという研究結果が出たのです。この結果は拡大解釈をされ、NPOの世界展開とともに、教員養成は必要ないのではないかという議論がグローバルに広がってしまいました。

 しかし上の議論は、「やる気も無く待遇の悪い所でしか働けないけど準備教育はしっかり受けた教員」と「準備教育は受けていないけどやる気にみなぎる若者」の比較であり、教員養成が必要ないという答えを導き出すことはできません。教員養成が教員の能力と関係があるのかどうかを理解するためには、やる気にみなぎる若者の中で準備教育をしっかり受けた者と受けなかった者という条件を揃えた比較が最低限必要です(これでもまだ準備教育の有用性について議論するには完璧とは言えないのですが)。

 実際、やる気にみなぎる若者同士で比較してみると、準備教育を受けてきた者たちの方が優秀であるという研究結果になったのでした。

誰が「しっかりと」準備をしてきた教員か?

 やはり、自分の子供を任せるのは準備教育を受けてきた教員の方が良いようです。ただし「準備教育」と言っても、その中身や実施機関は様々です。そうなると、教員の準備教育の実施機関や中身の違いは教員の優秀さに違いを生み出すのか、というのが次に気になる点だと思います。

 これらの点もしっかりと検証がなされています。その研究結果によると、やはり準備教育機関(大学)によって教員の優秀さが異なっているようです。これは教科を超えてある程度の一貫性もあるので、科目によって異なるカリキュラムや大学教員の能力などだけでなく、大学の設備といったものも教員の能力に影響を及ぼしていることが示唆されます。また、大学が教員の優秀さに影響を及ぼすように、教員が大学で取ってきた授業の内容も教員の優秀さに影響を及ぼしているようです。

 ではどのような大学(院)でどのような準備をしてきた教員が優秀なのでしょうか?

 残念なことに、このことを検証できるだけのデータが日本には存在していないので、日本の文脈ではどこの大学のどのカリキュラムが良いのかまでは分からないのが現状のはずです。最も大事な所が分からないのであれば、ここまで2000字もかけて何を議論してきたんだ、と怒りたくなるのもよく分かります。ですが、分からないものは分からないので仕方がありません。

 ただ、アメリカの研究結果を参考にすれば、少なくとも教員になる前にどのような準備をしてきたかは、その教員の資質に影響を与えることはわかります。例えば高校時代の成績といったような教員になる前の準備以外の要因が一定であれば、今回大臣が提唱されているような、大学の教職課程は経ずに研修だけを受けてきた先生に我が子を預けるのは、避けられるなら避けた方が良いということは言えそうです。

 また、教員の優秀さを決める要素がカリキュラムだけでないとしても、効果的なカリキュラムも存在していると考えるのが妥当でしょう。そうであれば、どれだけ真剣に学生時代に授業を受けていたかも一つの目安になりうるかもしれません。なぜなら、全ての授業を不真面目に受けてきたのであれば、効果的なカリキュラムが取得単位の中に混じっていてもそれが身に付いていないでしょうし、逆に全ての授業を真面目に受けてきたのであれば、大半の単位が無意味な物であったとしても、いくつかの効果的なカリキュラムは身に付いているので、僅かかもしれませんがその分だけ前者とは教員の資質において差が付いているはずですから。

 私も10年以上勤めた国際機関を辞め、博士課程の学生になり3年目になります。国連職員としての経験を持ち、働きながら博士号を取得して大学の教員になられる方々は少なくないですが、その多くが研究に必要な能力をコースワークや徒弟制を通じて身に付けていません。そうした教員から教わる学生が可哀想だなと思うようになってきました。全く同じことが恐らく学校の先生にも当てはまっていて、教育と無関係な経験を基に、まともな準備もせず、ショートカットさせて教員になってしまっては、きっと子供が可哀想な事になってしまうのでしょう。

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