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行政任せの防災が命を奪う モラルハザードの危険性

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「Getty Images」より

 台風19号による豪雨は全国で甚大な被害をもたらした。NHKの報道によると、10月22日までに84人が亡くなり、9人が行方不明となっている。6万2409棟以上の住宅が水につかり、およそ4765棟の住宅が全半壊や一部損壊の被害を受けた。

 安倍晋三首相は、福島県や長野県の被災地を視察。「国としてできることはすべてやる」と強調した。

 行政の対応について、主要メディアは「住民の救助と生活の再建へ全力を挙げなければならない」(朝日新聞)、「あらゆる手だてを講じてもらいたい」(河北新報)と発破をかけている。被災者や、その苦しむ姿をメディアで目にした国民の多くも、同じく国に期待をかけているようだ。

 今回の台風のように、大きな自然災害が発生すると必ず政府が救援や復興の先頭に立つ。その光景をあまりにも見慣れているため、国民もメディアもそれが当然と信じて疑わない。ところが皮肉にも、政府のそうした積極的な災害対策こそが被害拡大の一因になっている可能性がある。

モラルハザードを引き起こす政府の災害対策

 経済学に「モラルハザード」という言葉がある。もともとは保険用語で、保険に加入したことによって、加入者が果たすべき注意を怠ったり、故意に事故を起こしたりするリスクのこと。経済学ではより広く、安全対策が逆に引き起こすリスクを意味する。つまり、危険回避の手段や制度を整備することにより、かえって人々の注意が散漫になって規律が失われ、危険が高まることを指す。

 政府の災害対策はモラルハザードを引き起こす懸念がある。日本では、災害後の迅速な復旧による生活の安定を目的に、災害復旧制度が設けられている。対象となる施設は河川や道路をはじめ、下水道、農地、港湾、漁港、公立学校など幅広い。この制度の特徴は、国庫補助率の高さだ。

 地方自治体が行う防災対策に関する公共事業に対しては、防災・安全交付金が交付されている。国庫補助率は一部の例外を除き、2分の1である。

 これに対し災害復旧制度における国の補助率は、年間の災害復旧にかかった費用を、その自治体の標準税収で割った値により決定され、最小でも3分の2、最大で1、つまり全額補助という高い補助率が適用される。補助率の計算は、自治体による事前の減災努力とは無関係だ。今回の台風19号のように、激甚災害に指定されると、自治体の財政力に応じて、補助率はさらにかさ上げされる。

 つまり、事前の減災努力にかかわらず事後に手厚い財政支援を行う仕組みがあらかじめ用意され、そのうえ、想定外の災害が発生した場合には支援が上乗せされてきたわけだ。

 野村総合研究所の上席コンサルタント浅野憲周氏は、災害復旧制度は「事前の減災投資よりも事後の救済を期待するようなモラルハザードを引き起こす要因となっている」と、内閣府経済社会総合研究所の報告書で指摘している。

 実際、税収の少ない自治体ほど災害時の復旧事業に対する補助率が高くなるため、地方では平時の公共投資は控え、災害時に復旧制度を活用した公共投資を行おうとする「災害待ち」の状態が生じているとの指摘もある。

ハザードマップや避難勧告は万能ではない

 行政の災害対策がモラルハザードをもたらすのは、施設復旧のようなハード面に限らない。避難行動などのソフト面にも及ぶ。東京大学大学院の片田敏孝特任教授(災害社会工学)は著書『人が死なない防災』(集英社新書)で、その事例を紹介している。

 2011年3月11日の東日本大震災以前、岩手県釜石市では、津波で浸水の恐れのある区域や避難場所などの周知を図るため、津波ハザードマップを住民に配布していた。大震災による津波の犠牲者の地域分布を見ると、驚くべき事実がわかる。ハザードマップの浸水想定区域を境に、外側の人が多数亡くなっているのだ。

 ハザードマップを見て、自分の家が浸水想定区域の外側だった人が「よかった、ウチには津波が来ない」と安心してしまった。その結果、ハザードマップの想定をはるかに超える津波から逃げ遅れ、命を落としたのである。

 もう一つの例は、2004年の新潟豪雨災害だ。被害の大きかった三条市、見附市、中之島町(現長岡市)の住民を対象に調査をしたところ、自由回答の一つに「浸水が進んでも避難勧告がなく、避難できなかった。市の責任は重い」というのがあった。これに対し片田氏は「あなたは逃げろと言われなければ逃げないのか」と警告する。実際、三条市では、床上浸水した平屋建ての家でも逃げておらず、犠牲者が出てもおかしくなかった。

 もちろん、行政の対応に問題がなかったかどうかはチェックが必要だし、問題があれば責任を問わなければならない。けれども、行政ができることには限度がある。

 たとえば、最近増えているゲリラ豪雨による急激な増水に対し避難勧告を出すのは難しい。一方、避難勧告は地域全体に一律で発令されるため、逃げる必要のないマンションの住民までが、わざわざ水につかった危ない場所を通って避難所に向かうケースも生じる。

 今回の台風19号でも、栃木県内で、秋山川が決壊した佐野市など7つの自治体の合わせて10の避難所で、いったん避難した人たちが別の場所に再び避難を迫られていた。

 NHKによれば、トイレが使えず長期的な避難には適していないと自治体が判断したり、土砂災害のリスクが高い地域にあったりしたことなどが再避難の理由だ。専門家は「台風が迫っているときに避難所から再び外に出る行為は非常にリスクが高い」と、避難所の運営のあり方や場所の設定に警鐘を鳴らす。

災害規模が甚大になる昨今、国や自治体の防災対策は限界に

 日本の防災は、1961年に施行された災害対策基本法に基づく。この法律には、防災はすべて行政が担うよう定めてある。政府は高度成長期の豊かな財政を支えにダムや堤防を造り、防災にそれなりの効果をあげた。

 しかし、それが半世紀以上続き、弊害も生まれた。自然災害に向かい合うのは行政で、住民はその下で庇護される構造が固まってしまったことだ。気候変動の影響もあって災害規模が甚大化し、国や自治体の財政も悪化し、防災の余力は衰えている。前出の片田氏は今回の台風19号について産経新聞の取材に答え、「『最終的に身を守るのは自分自身』という国民一人一人の意識改革が必要」と指摘する。

 その兆しは出ている。今回の台風19号では、企業や個人レベルで外出を控えたり、防災用品をあらかじめ買っておいたりと、民間での防災意識の高まりが見られた。

 堤防やダムなどの公共工事には、政治的な癒着や無駄が多いことも以前から指摘されている。行政が防災対策を縮小する代わりに、その分の税負担を軽くすれば、国民一人一人が家屋や地域の実情に応じた防災をもっとしやすくなるだろう。企業も水害保険などのサービスを充実させ、需要に応えるだろう。米国のように、水害保険の料率に防災対策の有無が反映されれば、防災努力を促すきっかけになる。

 安易な「自己責任論」を唱えているわけではない。私たちの大切な生命や財産は、政府に任せっきりにしていては守ることができないのだ。

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