さて、おむつなし育児はこのような活動を通じて「赤ちゃんの排泄は、親子のコミュニケーションに重要」「おむつは親の都合である」ということもさかんに唱えているのですが、おまピクは親の都合じゃないの? という盛大な違和感。本来家庭内でやることを、あえての公共の場、しかも野外でやるのですから(合宿もあるそうですが、それは一般の人の目に触れなさそうなのでアリだと思います)。さらにはその姿をネットにあげ、「かわいいうちの子」「素敵な私たち」「世に知られるべき、良質な育児法」という、自己陶酔と使命感。子どもの都合、ドコー? また、おむつの中に出すのは不自然で気持ちよくない! と主張している界隈ですが、この手の布教者って「赤ちゃんの代弁者」になりがちなのも、謎。
もちろん写真そのものは、文句なくカワイイ。ムッチムチの赤ちゃんが、お尻丸出しでおまるに座っている姿はひとことで言って、尊い。親たちが「嗚呼、この一瞬を永遠に……!」と写真に収めるのは至極当然。しかし言うまでもなく、共有は家族もしくは親密なママ友どまりが常識の範疇です。
公共性より自分たちの満足?
インスタで「#おまるピクニック」「#おむつなし育児」「#排泄コミュニケーション」などのタグを追ってみると、ほぼほぼいわゆる「自然派育児」の世界。その「ていねいな」子育て風景には、つい感心させられます。掲載されている写真は、いかにも体によさそうな質素な手作りおやつ。昔ながらの抱っこ紐。そしてキャラ率の驚異的な低さ。アースカラーの服を着た子どもが満面の笑みで手にしているのは、アンパンマンやディズニーではなく、干し柿ですよ。
非公開: 0~2歳まで便利だった育児グッズ。離乳食はベビーフード、使いやすいスタイ、保湿とシャンプー
小さな子供と一緒に暮らす中で、なるべく親子ともどもストレスフリーな生活ができるよう、便利グッズを活用しています。抱っこひもやオムツ専用ごみ箱につい…
こんな「ていねいな生活」をしている人たちがなぜ、おまピクのような「雑」なことをしでかすのか。公共の都合より自分たちの満足が優先に見えるそれに、いかに世俗の価値観とは違う世界を生きているのかが、現れています。もちろん実践者すべてがそういう人ではなく、いろいろなグラデーションがあるのでしょうが。
おまピク関連の人たちをインスタで追っていくと、こんなコメントも見られました。
「おむつなし育児ができるかできないかは、赤ちゃんの立場に立って想像できるかできないかの差だ」「おむつなしベビーは穏やか」「世間の当たり前より、子どもの気持ちよさを感じて欲しい」etc…
嗚呼、異界。私が一番ずっこけたのは、大やけどを負った3歳女児を自宅に放置したとし、保護責任者遺棄の罪に問われたという事件へ感想をのべていた某おむつなし育児アドバイザー。ニュース番組のテロップで「長女のおむつにイライラ」と表示されていたことから、SNSでこう語っていたのです。
「おむつに頼り過ぎないことを早くから知ってたり、排泄の大切さとか知っていれば、親も子どもも辛い思いしなかっただろうになーと…」
それ、子どもにとっていいことなの?
いやいや。この事件で問題なのは、おむつ外しが遅れてイラついたことではなく、恵まれているとは言いがたい子育て環境になった背景でしょうよ~。社会問題も目に入らず排泄ファーストになってしまう思考回路、一点集中すぎてちょっと怖い。そして「おむつなし育児をしないからこうなるんだ」と言わんばかりの空気に、育児周りに蔓延する呪いのひとつを見た思いでした。
スマホ育児ダメ説の源流、『テレビに子守をさせないで』が残した呪い
子どもの不調は何でもかんでも母親のせい! だから母親「だけ」が滅私奉公の精神をもって、育児に臨むべし。そんな思想が色濃く表れている昭和の珍説「母源病」…
おまるピクニックは大問題である! とは思いません。ちょっとはしゃいじゃった自然派さん、程度のお話でしょう。ただ、それって本当に子どもにとっていいことなのか!? という疑問しか浮かばない出来事でした。野グソを「セルフトラップ」とし、そこに寄ってくるお目当ての虫を捕獲する昆虫採集愛好家とは違い、おかしなものを引き寄せることになりそうですから。
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