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ヒゲはほしいが「男になりたい」わけじゃないトランスたち

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トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた

 知らない人から道を聞かれることが多い。月に一度は声をかけられて、そのたびに道を教えたりスマホを一緒にながめたりする。単に自分がお人好しに見えるからだろうと思ってきたが、先日飲み会で女性たちが「ナンパ目的で道を聞かれるのがいやだ」と話しているのを聞いて驚いた。自分が考えたこともないことを経験している人たちがいるらしい。

 トランス男性の私はこれまでSNSで女性嫌悪の男性からウザがらみされたこともないし、男性からの性的なまなざしに困惑したこともない。その意味では、このような日常を生きている女性に比べて楽をしている部分がある。もっともシス女性たちの多くは日常的に性別欄に悩まされるようなトランスならではの困難は感じたことがないだろうし、どの施設に男女共用トイレがあったか、などということを彼女たちは気に留めることもないだろう。特権というのはモザイク状になっている。

 先日、関西クィア映画祭でトランス男性を描いた映画を何本か見た。そのうちの一つは短編で、男性に性別移行していく主人公がマッチョな倉庫内での仕事につき、トランスであることをバレないように必死に周りに合わせていく、というものだった。性別移行の前を知るパートナーが職場に車で迎えに来ると、その彼女の外見がいかにもレズビアンっぽいということを同僚の男たちはばかにして笑う。結局、彼は彼女に別れを切り出して、マッチョな男社会の一員として生きていくことを選ぶ。後味のわるさMAX、だれも幸せになっていない作品だったが、性別移行にまつわるジレンマをよく描いていた。

 せっかく自認する性別でパスしているのに、男らしさのルールや文化に異議を唱えたら、苦労して手に入れた環境を自分でぐちゃぐちゃにしてしまうことになりかねない。だから、抵抗するのは安易ではない。そう感じて生きているトランス男性は少なからずいるのではないだろうか。

 映画祭では、ヒゲや筋肉など男性的な外見はほしいけれど、特権がほしいわけじゃないと葛藤するトランスたちのドキュメンタリーも上映された。男も女も社会的に構築され、さまざまな差別の歴史を持っていて、それを手放しで無邪気に歓迎するトランスばかりでもない。テストステロン注射をする人みんなが男文化を支持しているわけではないし「男になりたい」わけでもない。

 自分の外見が今より男性寄りになったら、私も女性には道を聞けなくなるのかもしれないと思うと悲しい。いままでもナンパだと間違われたことはある。でも、気軽に道を聞けないような社会も嫌だから、自分のできる範囲でセクハラには怒り続けようと思う。男として見られることは楽だが、多数派にパスしてしまうことを心の底から喜べるかといえば、それはまた別の話だ。

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