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妄想食堂「セブンイレブンのコーヒーで、ささやかな浪費の記憶を貯める」

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 気を抜くとすぐにセブンイレブンでコーヒーを買ってしまう。レジで紙コップを売ってもらって、横にある機械でゴーッと抽出するやつ。節制をしなければと思っているはずなのに、どうにもこれだけは我慢が効かない。仕事に疲れた帰り道なんかはとくに。夜の湿った空気の匂いを嗅ぐと、まぼろしのようにコーヒーの香りがやってくることがある。するともう、目は煌々と輝くあの看板を探しているのだった。

 小銭を出すか、残高に不安がなければ手持ちのSuicaでピッとやって紙コップをもらう。真っ黒のコーヒーはお腹を痛くするから、いつもカフェラテを選ぶ。ボタンの場所はいつまで経っても覚えられない。豆を砕く振動は、鼓膜だけではなく骨までも震わせて全身に行き渡る。少しの沈黙の後、とぽとぽと遠慮がちに黒い液体が注がれる。黒からとろみのある茶色に、そこへクリーム色が混じり、薄い乳白色になって収束するまで。まるで何かの儀式に臨むみたいに、私はただそれを見つめている。

 無駄遣いだ、と思う。すぐさま家計を圧迫するほどでもない、けれども砂時計の砂のように少しずつ少しずつ降り積もっていく浪費。本当は、お店で挽いてもらったコーヒーの豆も、コーヒーを淹れるためのドリッパーも、家に帰ればちゃんとある。自宅から徒歩二分のセブンイレブンでいちいち買うまでもない、そこそこの値段で、そこそこの味のコーヒー。これより質が良くて役に立つものなんて、ちょっと考えればいくらでもあるはずだ。もしかしたら自分は、コンビニでコーヒーを買う、という行為そのものを買っているのかもしれない。

 機械のランプが赤から緑へと変わり、プラスチックでできた扉の鍵が開く。かちっ。何かがうまくいったときの音。ちょっとした浪費をしたときに、私の脳内で鳴る音。閉じ込められていたコーヒーの匂いが燻って、強張っていた胸をゆっくりと広げていく。砂糖を入れ、頼りないぺらぺらのマドラーで泡をかき分け、薄いプラスチックの蓋をつけて、三分にも満たない儀式はおしまい。紙コップの表面には微かに動物の毛並みがあった。切実な温もりを手に、店の外へ出る。

 小さく穴を空けた飲み口をすすると、蒸気の粒がしゅっ、と舌の上を撫ぜる。唇にこまやかな泡がふれたと思うと、すぐに熱い液体に押し流されてしまう。息を深く吸い込んで、吐く。コーヒーの香りは、どうしてこうも胸にこたえるのだろう。青々とした夜風とも、痛いくらいに冷えた紺色の外気とも、あの香りはひしと抱き合って、いっそう切なく匂うのだった。

 たしかに、節約をすればお金が貯まる。お金だけではない。過去の自分との約束を守ったとか、未来の自分のためになることをしたとか、そういう「自分を甘やかさなかった」という実感だって、確実に心の中に貯まっていく。残念なことに、近頃の私にはそれができない。貯金はいつまでもできないし、無駄遣いを重ねてばかりいる。だけど反対に、コンビニのコーヒーを買うこと、またはそれに準ずる浪費によって、貯まっていくものもあるんじゃないかと思う。ちょっとしたお金と引き換えに、小さな儀式に臨むこと。今日の私を労い、また明日へと生活を持ち越していくための準備をすること。

 何かに甘えなかった記憶が自身を支えることがあるように、何かに甘えられた記憶が、自身を助けることだってある。たぶん私は「自分を甘やかすことができた」という実感を、日々少しずつ貯蓄しているのだ。それはきっと、いつかの私を守り、養い、満たしてくれる。大丈夫。私は今日も、自分にコーヒーを買ってあげることができた。

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