障害者が生きることに説得力なんていらない

文=山本ぽてと
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『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は 障害者運動が教えてくれる』(現代書館)著者・荒井裕樹さん

「どうして、みんな、もっと怒らないの?」

 晩年の横田弘さん(よこた・ひろし)は、よくそう呟いていたという。

 横田弘さんは脳性まひ者の運動団体「青い芝の会」神奈川県連合会に所属した運動家。70年代の障害者運動を牽引したひとりとして知られる。バスジャックや座り込みも行った一連の運動は、今までの障害者像を覆すパワフルなものだった。

 今年の8月に刊行された、荒井裕樹さんの新刊『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は 障害者運動が教えてくれる』(現代書館)は、そんな横田弘さんや障害者運動をめぐる対談集だ。著者であり、障害者文化論を専門とする荒井裕樹さんに話を聞いた。

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荒井裕樹(あらい・ゆうき)
2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学) 。日本学術振興会特別研究員、 東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、 現在は二松学舎大学文学部准教授。東京精神科病院協会「 心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『 隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)、『 差別されてる自覚はあるか』(現代書館)。

多くの人が生きづらい

――まずは「青い芝の会」について教えてください。

荒井 簡単に説明すると、1957年に結成された脳性まひ者による運動団体です。その中でも、横田弘さんが所属した「青い芝の会神奈川県連合会」は激しい抗議運動で知られています。

車いすの乗車拒否を繰り返していた路線バスへの抗議行動(「川崎バス闘争」)、公立病院で出生前診断を行うことへの反対活動や養護学校義務化への抗議など、70年代から力強い運動を展開してきました。

――なぜいま「青い芝の会」の運動に注目しているのでしょうか。

荒井 2010年代後半になると、半世紀も前に「青い芝の会」が批判してきたことが社会の中で次々と現れはじめました。例えば格安航空会社のバニラ・エアで車いす利用者に対する搭乗拒否が起きた際には「川崎バス闘争」が参照されましたし、相模原殺傷事件が起きたあとには横田さんの著作『障害者殺しの思想』が注目されました。SNSを中心に「青い芝の会」のメッセージに共感する人たちも出てきた。

 当時、障害者が生きていくための社会資源はほとんどありませんでした。そんな状況の中で戦ってきた人たちの言葉が、閉塞する現代社会のなかで「障害者」と言われない人にも響いている。障害のあるなしに関わらず、多くの人が彼らの抱えた生きづらさに直面しているのではないか。だからこそ、半世紀前の障害者運動を学ぶことで、今の生きづらさをサバイバルする知恵が見えてくるのではないか。それが本書に通底しているテーマです。

マジョリティ―と大きな主語

――本の中では、九龍ジョーさん、尾上浩二さん、川口有美子さん、原一男さんと小林佐智子さん、中島岳志さんと対談をされていますが、基本的には2016年の相模原事件以後に収録されたものが中心ですよね。

荒井 第2章の尾上浩二さん(DPI日本会議)の対談だけ、事件前の2014年収録です。尾上さんは脳性マヒの当事者で、大学時代に「青い芝の会」に入り、それから障害者運動の第一線で活躍されてきた方です。相模原で起きたような大きな事件があると、フェーズが変わってしまうようなことがありますが、尾上さんの話は古くならないと思いました。

――尾上さんとの対談で特に興味深かったのは、横田さんの時代と比べて「障害」の意味が変化してきたという指摘です。

荒井 かつて「障害」は「生きづらさの象徴」でしたが、今は「障害」に「生きやすさのカケラ」のような意味が含まれはじめていると感じています。「障害」とカテゴライズしてもらったほうが、自分でも説明できない自分の「生きづらさ」を説明できる。また、相手を「障害」とカテゴライズした方が接し方の方向性が見えてくる、といった具合です。

 それは同時に、世の中に余裕がなくなっていることも意味しています。尾上さんは“かつての障害者が置かれていた「除外」のような状態が、社会全体に蔓延してきた”とおっしゃっていました。そうした状況で「青い芝の会」の運動に共感する人が増えてきた。

 その一方で、「障害」とカテゴライズされた人に対する一定の配慮を、「ズルい」と考える風潮も強まっています。

――最近は「みんながマイノリティなんだ」「みんな当事者なんだ」というようなことが言われたりもしますよね。

荒井 みんなそれぞれ「弱者」としての側面を抱えているのは、事実だと思います。ぼくも閉所恐怖症なので、バスに乗れないし、急行電車に乗れない。でも、マジョリティとかマイノリティって、社会からの疎外度合いのことだと思うんです。

 例えば、ぼくは携帯電話やアパートの契約をしたり、役所で手続きしたり、電車に乗ったりするのにあまり苦労しません。でも、これは別にぼくが偉いわけではなく、「社会がその層に合わせて制度設計した人たち」に、たまたまぼくがいるからだと思います。でも、いまの社会のあり方を考えると、いつ、その「層」からはじかれるかなんてわかりません。

 マイノリティは、こうしたことひとつひとつに苦労を強いられます。身体障害者なら街の物理的な制度設計からも疎外されているので、朝起きて、駅に行って電車に乗るだけでも大変です。多くの人が意識せずにできていることに、実はひとつひとつ苦労しないといけない人たちがいるわけです。

 でも近年は、これまでマジョリティだった層も社会から疎外されてきたためか、乱暴な言辞を弄して「マジョリティの側にいようとする」ような感覚が溢れてきたように思います。川崎区の殺傷事件の時、犯人に対して「一人で死ね」と言う言葉がでたり、。特定の人たちの医療費を削減しろとかいう言葉がでたりする。誰かに生きる価値がある/価値がないのを、自分で裁ける立場にいるかのように発言は恐ろしいです。人間の尊厳とか人権の概念とかを全部すっ飛ばして「世界の設計図」を自分で描きたがるような発言は、だいたい「主語」が大きいですね。「国家」とか「社会」といったものと平気で同一化できる。そうした感覚がマイノリティへの排他的な言動と結びついて、ますます強固になっている。

立ち止まれる人/立ち止まれない人

荒井 ぼくはもともと大学院で近代文学を専攻していたのですが、ひょんなことから横田弘さんや、花田春兆さんといった脳性まひの運動家に出会いました。自分の中に無自覚なマジョリティ感覚があることを、横田さんにも花田さんにもずいぶん指摘されました。ぼくは脳性まひ運動家のところに「留学」したようなものだと思っています。

――「留学」する中で、気がついたことはありますか?

荒井 「スピード感覚」が全然違うことです。例えば車いすの人と街を歩くと、よく立ち止まることになります。段差があるから通れない、エレベータが混んでいるから乗れない。そんなふうに、ひとつひとつ「立ち止まる」。そして「立ち止まらないと見えてこない社会」がありました。

 今回、れいわ新選組から、重度身体障害者である舩後靖彦さん、木村英子さんが当選しました。これから、国会が一つ一つ「立ち止まる」ことになると思います。「賛成の諸君の起立を求める」というけど、車いすの人はどうするのか? 人口呼吸器がついているけど、ネクタイをしないとダメなのか? 

――当たり前が問い直されて、異文化交流のようなことが起こるわけですね。

荒井 異文化交流って、違和感を抱えながら慣れていくことだと思います。

 この社会には「立ち止まれない人」がたくさんいます。実はぼくも「立ち止まれない人」です。車いすを押すのと同じように、幼い子どもと歩いていても、よく立ち止まります。でも、ぼくは子どもよりも先を歩いてしまって、子どものペースに合わせられない。どこかで「自分一人だったらもっとテキパキできるのに」と思ってしまう自分がいます。「自分基準」と「社会基準」みたいなものが一致していて、「みんなこっちに合わせろよ」みたいな感覚がある。

 第三章の川口有美子さんとの対談で、ぼくは育児について“なにがしんどいかというと、「なにもしない時間が」きつい”と発言しています。無意識のうちに仕事や研究を「なにか意味のある時間」で、育児やケアは「なにもしない時間」だと捉えていた。育児にはやらなければいけないことが膨大にあり、ケアの大切さも知っているはずなのにです。反省しました。

 ぼくは、この社会のマジョリティで、「男性」であることにも違和感なく生きてこられた。より多く早く効率的に仕事をするとか、業績を上げるとか、無意識にそうしたことに重きを置きながら生きてきた。ぼくにそうした感覚があることを「留学先」でずいぶんたしなめられたり、叱られたりしてきたけど、それまでに降り積もってきた感覚ってなかなか抜けないんですよ。

 そういう感覚が抜けない自分がしんどいんですが、自分をしんどいと思いつめてしまうのもしんどいので、最近は、そうやって生きてきた自分がいることを否定し過ぎなくてもいいんじゃないか、と。そんな聖人君子じゃないんだし。そんなふうに、最近ようやく「折り合い」をつけられるようになってきました。慣れてきたのかもしれません。

――「慣れ」というのは興味深い言葉ですね。第1章の九龍ジョーさんとの対談では、“(横田さんたちが)自分の身体を人目にさらすことで、「障害者が街にいる」という既成事実をつくっていった”という話が出てきます。

荒井 1972年の映画『さようならCP』(原一男監督)を見ると、横田さんが電車に乗るだけで、車両の空気が凍っています。でも今は、車いすの人が電車に乗ってきても、空気が凍ることはほとんどありません。横田さんたちが、何十年もかけて、街に障害者のいる生活感覚を切り開いてきたのだと思います。街の方が慣れてきた。街が優しくなったわけではないと思います。

――「優しさ」ではない。横田さんは、行政交渉の場で「権利」という言葉を使ったこともないんですよね。

荒井 横田さんは「生きることは権利でさえない」と言っていました。権利以前の当たり前のことなのだと。生存権や天賦人権の概念はとても大切です。

 でも、尾上浩二さんもおっしゃっていますが、横田さんが訴えたのは「わざわざ社会思想的な理屈をもってこなければ、我々は生きてちゃいけないのか、という問い」だったんだろうと思います。確かに、普段みんなそんなに難しいこと言わずに生きているのに、ある特定の人たちだけが「生きること」に対して「裏付け」や「説得力」を求められるのであれば、それは差別ですよね。

障害者運動とストーリーテラー

――横田弘さんや「青い芝の会」の思想はすごくラディカルで、今の時代を生きる私たちが学べることはたくさんありますね。

荒井 でも、同時にぼくたちは「前進」しているのか考えないといけません。ジェンダーについての本を読むと、10年前、20年前の文章では「以前はこんな感じだったな」と感じるものがあります。でも「青い芝の会」の本は、いま読んでも、いまだに「ラディカル」です。

 72年の映画『さようならCP』には横田さんが、詩を読むパフォーマンスを街頭で行い、警察に止められるシーンがあるのですが、そこで警察は「責任者は誰?」と何度も映画の撮影隊に聞きます。パフォーマンスをした横田さん本人を責任者だと認めない。障害者には主体がないと思われていたからです。

 国会議員になった重度障害者のふたりに対して、「障害者には何もできない」「政治利用だ」という声が挙がりました。いまだに「何もできない」という認識なのか。おふたりとも、医療制度や福祉制度の「使い勝手の悪さ」に関しては厚生労働省の官僚よりも詳しいでしょうし、地方自治体での交渉から国会でのロビー活動などを粘り強く行ってきた実績があります。

――百戦錬磨なんですね。

荒井 それなのに、いまだに障害者には主体がないと思われています。横田さんが路上パフォーマンスした時から、どれだけ前進しているのか。

――確かに、フェミニズムの領域には、「セクシュアルハラスメント」をはじめとして、様々な言葉が蓄積されています。

荒井 そう考えると、障害者差別があったときにみんなどんな言葉で闘うんでしょうか。相模原事件のあと、「同じ人間なのに」という言葉が出てきました。確かにそうなのですが、「青い芝の会」の結成メンバーである高山久子さんが、1956年に「小児麻痺患者も人間です」と書いた時と変わっていません。「優生思想」という言葉を障害者差別批判の文脈で使ったのも、横田さん達です。それから約半世紀、私たちはまだ同じ言葉を使っています。

 でも勘違いしてほしくないのは、そうした言葉を考える責任は、障害者の側ではなく、社会の側にあることです。

――社会の側ですか。

荒井 はい。日本の障害者運動の大きな問題は、運動の理念や哲学を語り広める「ストーリーテラー」がいなかったことです。例えば、本屋に行って伝記のコーナーを見ても、戦国武将や政治家、文化人、実業家はいるけれど、草の根の社会運動家がほとんどいません。草の根の社会運動に尽力した人たちは、「偉人」ではなく「奇人」として扱われて、運動も「社会全体」の問題ではなく「一部の人」の問題として受け止められてしまう。

 でも被爆者の運動や水俣病の患者運動、反基地運動、女性運動など、草の根の運動は続いてきて、社会を変えてきました。そして、障害者運動は、哲学的にも思想的にも面白い言葉を生み出してきました。「生きていることが労働だ」とか「迷惑をかける義務がある」とか。

――本の中では、声に出して読みたい名言がたくさんあって、“初鴉「生きるに遠慮がいるものか」(花田春兆)”とか、“男たちは、障害者運動に夢とロマンをかけ、女たちは、日々の生活をかけた。(内田みどり)”とか、痺れました。

荒井 ですが、実際に運動している人たちは、運動の哲学も、面白い言葉も、一般に広めることは難しい。そんな余裕がないからです。そうこうしているうちに資料はどんどん散逸していく。そういったものを語り継ぎ、一般の人たちにわかりやすく伝えていくストーリーテラーを障害者運動の中から出せ、というのは酷なことだと思う。

 「横田さんの車いすを押す人がいるように、ぼくは筆で横田さんと関わりたいです」とご本人にお伝えしたことがあります。障害者運動のことが心に響いた人であれば、そのことを草の根的に語り継いでいくべきだと思います。ぼくは人生のめぐり逢いの中で、花田さんと横田さんと知り合って、心を動かされた。だから、そこで教わったことを書き継ぐ。それは問題提起を受け止めた側の一つの関わり合いだと思います。

共生のための「怒り」

――最後に、タイトルの『どうして、もっと怒らないの?』は、晩年の横田さんの口癖だったようですが、どのような思いが込められている言葉なのでしょうか。

荒井 横田さんは「障害者差別に対して史上最も熱く怒った人物」だと思っています。「怒り」の感情は一般的には嫌われますが、横田さんのような障害者にとって、最後に残された自己表現は「怒り」でした。「怒りでしか守れないもの」を訴えたのが、70年代の障害者運動だったとぼくは捉えています。

 怒りと憎悪は違うものです。横田さんは共生のために怒りました。ともに生きていくためのルールをつくったり、それをされてしまうと自分は生きていけないから抗議したりするものが怒り。憎悪には葛藤がなく、相手の存在を拒絶し排除します。

 ウーマンリブの運動家・田中美津さんも「他人の痛みじゃ戦えない」と言っていています。これ、裏返せば「自分の痛みを見つめろ」ということです。自分が何者なのかを内省的に見つめていけば、怒らないといけないところが見えてくる。差別にあって、馬鹿にされて苦しい思いをしているのであれば、その思いをかみしめるうちに、世の中のでこぼこが見えてくる。制度や政策の黙っておれない点も見えてくる。自分を見つめたうえでの「怒り」をぼくは支持したいと思っています。
(取材・構成/山本ぽてと)

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