レズビアン死亡症候群、サイコレズビアン…ステレオタイプなマイノリティ描写はなぜ問題?

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(C)2018 Twentieth Century Fox

 このところ、日本では『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)や『きのう何食べた?』(テレビ東京系)など、ゲイの男性に関するテレビドラマがいくつか出てきて話題になっています。日本は英語圏に比べると、いくつか例外はあるにせよ、ゲイ男性を主人公とするテレビドラマが発達するのが遅かったのですが、それでもこのような番組が出てきたのは表現の多様化という点で歓迎すべきでしょう。

 一方、ゲイの男性に比べるとまだあまり日本のテレビドラマに大きく登場していないのがレズビアンの女性です。おそらくこれからは出てくるのではないかと思いますが、その前に、これまで英語圏のテレビや映画でレズビアンの女性がどのように描かれてきたのかということをおさらいしておいてもいいかな……と思うので、今回の記事ではレズビアンのステレオタイプについて扱います。

 ここで紹介するのはほんの一例で、他にもいろいろあるのですが、手はじめにいくつか、21世紀の作品にもしばしば見受けられるものを紹介していきたいと思います。

とにかく不幸

 英語圏で少し前によく言われていたステレオタイプとしては、レズビアンはみんな見た目や振る舞いが伝統的な男っぽさに倣っている、というものです。髪が短いとか、あっさりしたユニセックスな服装を好むとか、男性の間で流行っているような趣味を愛好している、というのがその例です。もちろんそういうレズビアンもいるし、性的指向にかかわらず、伝統的に男性に人気があるもののほうが趣味にあうという女性はたくさんいます。一方、とくに男っぽい服装などに興味のないレズビアンもいるので、画一的なイメージばかりが流布するのはよくありません。

 一方、このようなステレオタイプについては、おそらく日本の今後のテレビ番組ではそんなに出てくることがないのではないか……と私は勝手に予想しています。というのも、日本の社会は見た目に関して保守的なところがあるので、テレビ製作者がレズビアンのドラマを作るとしても、視聴者受けを考えて伝統的な女性っぽい可愛らしさを備えた登場人物を出すほうを選ぶのではないかと思うからです。男っぽい服が好きなレズビアンよりも、女の子っぽいオシャレをするのが好きなレズビアンを多く見かけることになるかもしれません。

 英語圏の同性愛表象で2010年代に問題になったのは、レズビアンにかぎらずセクシュアルマイノリティの登場人物がとにかく不幸になる話が多いということです。この話の型は「ベリー・ユア・ゲイズ」(“Bury Your Gays”,「ゲイ埋葬譚」くらいの意味)と言われています。昔の作品では登場人物が性的指向のせいで殺されたり、自殺したり、破滅するなど、まるで同性愛が悪いことで不幸の根源なのだというような表現が散見されます。古典的なところでは、同性愛の噂を立てられたせいでヒロインたちの人生が崩壊していく様子を描いたリリアン・ヘルマンの戯曲『子供の時間』(1934)とその映画化『噂の二人』(1961)などがあります。

 おそらくこの変形と言えるもので、女同士の恋は真正のものではないから不幸な結末を迎えるだけで、本来、女性は男性を必要としているのだ、というオチになるものがあります。たとえばグレタ・ガルボが実在するスウェーデン女王を演じた『クリスチナ女王』(1933)では、ヒロインのクリスチナは侍女のエバに恋をしていますが、エバには実は男性の恋人がおり、クリスチナは手ひどく裏切られます。クリスチナは結局、男性であるスペイン大使アントニオと情熱的な恋に落ち、その結果退位します。この映画はガルボの演技と中性的な魅力が素晴らしい作品ですが、レズビアンの恋は不幸なだけで結局は女と男の恋こそがホンモノ、みたいな物語はこの後もずっと作られることになります。

 同性愛が不幸な結末を迎える傾向は、同性愛自体の描き方があまりネガティヴでなくなってからも長く続きます。メジャーなハリウッド映画として初めてゲイの男性を主人公にしてヒットを飛ばした『フィラデルフィア』(1995)では、主人公がエイズで亡くなります。ゲイの恋愛ものとして画期的だった『ブロークバック・マウンテン』(2005)も主人公のひとりが死んで終わります。

 レズビアンについては「デッド・レズビアン・シンドローム」(“Dead Lesbian Syndrome”、「レズビアン死亡症候群」)という言葉があるくらい深刻です。とくにアメリカのテレビドラマに登場するレズビアンの女性は死亡率が高いことで有名で、2015-2016年のテレビドラマシーズンで死亡したキャラクターのうち1割がセクシュアルマイノリティの女性でした。統計の取り方が若干異なるので単純比較はできませんが、このシーズンのテレビドラマのメインキャストのうち、セクシュアルマイノリティの人物は6.4パーセントだったことを考えると、アメリカのテレビドラマに出てくるセクシュアルマイノリティの女性登場人物は死ぬ確率がかなり高いことになります。

 別に、恋が不幸な結末を迎えたり、登場人物が死んだりするからその作品がダメだ、というわけではありません。異性愛のロマンス映画である『カサブランカ』(1942)や『ローマの休日』(1953)は悲恋物ですが名作として名高く、『ブロークバック・マウンテン』もそういう悲恋映画の古典のひとつに数えられるでしょう。さらに、エルトン・ジョンの半生を描いた『ロケットマン』(2019)のように、ゲイの主人公の恋がうまくいかなくてもかなりポジティヴに終わるという斬新な作品も登場しています。

 問題は異性愛に比べて同性愛のほうがやたら悲劇的な扱いを受ける例が多いことです。ひとつひとつの作品ではなく、全体的な傾向が重要だと言えます。同性愛者の恋人同士も幸せになれる、というポジティヴなモデルを提示する作品が少ないのです。さらに、プロットが複雑なテレビドラマなどでは、シスジェンダーで異性愛者の登場人物のプロットを進めるためにセクシュアルマイノリティの登場人物、とくに女性が犠牲になるのが問題視されています。

 しかしながら、このやたらとレズビアンが不幸になる傾向は、女性同士のカップルが別れそうで結局別れない様子を描いた『キャロル』(2015)あたりから変わってきています。2017年頃から、アメリカのテレビドラマでセクシュアルマイノリティの女性が死亡する事例は減少しています。レズビアン死亡症候群はだんだん改善の兆しを見せているようです。

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