レズビアン死亡症候群、サイコレズビアン…ステレオタイプなマイノリティ描写はなぜ問題?

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サイコレズビアン

 もうひとつ、かなり根強いステレオタイプが「サイコレズビアン」です。同性愛者は悪人である、というのは古くから存在するステレオタイプで、やたらと他の女性に執着したり、ねたんだりして悪事に手を染めるレズビアンというのはお決まりのキャラクターです。これは「女は陰湿で精神不安定」というジェンダーに基づく偏見に、「レズビアンは他の女性に対して変態的な執着心を抱いている」というようなセクシュアリティに対する偏見が絡んだステレオタイプと言えます。

 おそらく最も古典的なものは『レベッカ』(1940)です。マンダレイ邸の主人であるマキシムの後妻になった「わたし」(ジョーン・フォンティン)を、先妻レベッカの忠実な召使いであった家政婦長ダンヴァース夫人(ジュディス・アンダーソン)が執拗にいじめるという話なのですが、この作品のダンヴァース夫人はレズビアンで、亡きレベッカに強い執着心を抱いています。ネタバレで恐縮ですが、ダンヴァース夫人は不幸な最後を遂げることになります。

 この手の作品はとてもたくさんあります。穏健なところでは『イヴの総て』(1950)のイヴ(アン・バクスター)から、もうちょっと穏やかでないものとしては『乙女の祈り』(1994)、『バタフライ・キス』(1996)、『あるスキャンダルの覚え書き』(2006)などです。

 変わったところでは、2015年にアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』がBBCドラマになった際、登場人物のひとりであるエミリー(ミランダ・リチャードソン)がサイコレズビアン的な役になりました。これは原作に明示されていないので、原作を刷新しようとしてステレオタイプになってしまった例かと思います。こうした作品群の中にも出来が優れたものはたくさんあるのですが、やはりやたらと悪いレズビアンが出てくる全体的な傾向に問題があると言えます。

 じゃあ人格に問題のあるレズビアンを映画やテレビに出してはいけないのか……と思う人もいるかもしれませんが、全くそういうわけではありません。既に、けっこう人格に問題のあるレズビアンやバイセクシュアルの女性が出てきているけれども、女性嫌悪や同性愛嫌悪があまり感じられない、奥行きのある作品というのはいくつか作られています。

 バイセクシュアルの女性たちが18世紀の宮廷で右往左往する時代もの『女王陛下のお気に入り』(2018)は、アン女王の寵愛をめぐる女官たちの争いを単なる「女は陰湿」というステレオタイプに陥らないブラックユーモアと深みを持たせて描いた政治諷刺劇です。『ある女流作家の罪と罰』(2018)は実在するレズビアンの犯罪者リー・イズラエルの半生をメリッサ・マッカーシー主演で描いた作品ですが、あまり人好きのしないワルな女を、平面的でない人物として丁寧に描いています。工夫次第でいくらでも、ステレオタイプを避けつつ複雑な人物を描くことができるのです。

 ここまで見てきた通り、ステレオタイプというのは個々の作品を見ているだけではよくわからず、多くの作品から傾向を抽出すると見えてくることが多いものです。特定の人々に特定のネガティヴな性質や展開が結びつけられ、その後に作品を作る人たちもついつい昔からあるアイディアに頼ってしまう……というようなことが繰り返されて、だんだん陳腐なステレオタイプが力を伸ばすことになります。見ている人たちのほうも、そうした描写を見慣れていると、現実に生きている人々にステレオタイプを投影しがちになります。さらに、差別されている属性の人たちがステレオタイプを内面化し、悩んでしまうこともあります。ステレオタイプを避けるには、周りを良く見て、面白いことをしようとして実は古くさいことを繰り返していないか、内省することが必要です。

 なお、このあたりに興味のある方は、ハリウッド映画におけるセクシュアルマイノリティ表現を分析したドキュメンタリー映画『セルロイド・クローゼット』(1995)を是非ご覧下さい。『フィラデルフィア』あたりまでの映画史を丁寧にたどった作品です。

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