
「Getty Images」より
なぜ過労死がなくならないのか
2019年10月末、レディースアパレルブランドで働く女性が過労死したと告発するTwitter投稿があった。投稿はまたたく間に拡散され、今も事件の経緯について議論されている。女性のご遺族を名乗るアカウントは、女性は退職届を出したものの会社側に聞き入れてもらえず、過重労働を強いられて亡くなってしまったと主張している。
すでに一部の投稿が削除されており、証拠資料などの精査ができないことから、現時点では女性のご遺族の主張をそのまま信頼するわけにはいかない。だが、2016年に起きた大手広告代理店・電通の社員だった高橋まつりさんの過労自死の経緯と重ねると、ご遺族の主張は荒唐無稽とも思えないのが正直な感想である。
無法地帯と化した日本の職場
なぜこのようなトラブルが日本の職場では起きてしまうのだろうか。私は、会社で働く人のほとんどが、自分自身に与えられている権利や、万が一トラブルに巻き込まれた時に、どこに相談したらよいかといった知識を身に付ける機会がなくなってしまったことが原因だと考えている。
非正規労働者が当たり前ではなく、正社員雇用が大多数だった時代は、多くの会社に労働組合という組織があった。労働組合とは、憲法28条と労働組合法を根拠に、社員側が会社側と同じ席について働く条件を交渉する権利(団体交渉権)や、会社側が提示した条件を飲めないと判断した場合、仕事をせずに抗議する権利(団体行動権(ストライキ)を認めている存在である。
当然、労働時間についても厳密な交渉がなされることが多かった。そのため、過労死が起こるほどの過重労働が常態化していれば、会社内で労働組合からサポートを受けられることができた。
しかしながら、非正規労働者の増えた昨今、各会社内に労働組合があるとは限らなくなった。また、会社法が改正され、以前より少ない資本金で会社を設立することが可能となった結果、経営者側が労働者側よりも圧倒的に強い状態が続き、違法労働が常態化している。
加えて、労働関連の法令違反を取り締まる労働基準監督官は、全国で3241名しかいない(2016年度)。ちなみに警視庁管内の警察官の総数は46581人である(2018年現在)。当然のことながら、物理的にブラック企業をすべて取り締まることはできない。事実上、大多数の人が、無法地帯に等しい中で働かなければならなくなったわけである。
本連載では、このような世相の中で、自分の身を守る方法について触れていくが、今回は、ブラック企業から脱出する方法だ。
責任感の強さや生真面目さにつけこまれる
私自身、ブラック企業に潜入して取材したり、前述の労働組合でトラブルに巻き込まれた方の相談を担当してきた。その経験からすると、ブラック企業から追い込まれた状態になる人のほとんどが、本人の責任感の強さや、生真面目さにつけこまれたケースだった。
退職届を受理してもらえず、ずるずると働く羽目になった理由でもっとも多かったのは、会社側の恫喝を受け泣き寝入りするケースだ。しかし、どれもこれも会社側の脅しを真に受ける必要などなかったのである。
例1「お前が抜けたら、会社は損害を受ける。責任を取れるなら辞めていい」
労働基準法第16条で、損害賠償の予定を規定してはいけないと定められている。そもそも会社員の一般的な雇用契約は、原則として仕事の成果ではなく、会社側から指示を受けて労働時間を提供した対価をもらう形式であり、このような会社側の主張は通用しないことがほとんどである。
例2「退職届受理してやるから、次のやつを探してこい」
社員が抜けて業務が回らなくなっても会社の経営責任であって、雇われて働いている人にはなんら責任はない。
例3「就業規定で、退職届は1年前までに出すことになってるんだよ」
退職届の提出規定は、就業規則よりも、社員に有利な範囲において労働基準法ないし民法が優先される。民法が適用される場合、労働期間が定められてない雇用契約であれば、二週間前まで。有期雇用の場合は、原則として契約満了日まで。例外として6カ月以上の有期労働期間を定めて契約した場合は、3カ月前までに通告と規定されている。退職予定日の1年前というのはありえない。
例4「お前、辞めて次の仕事なんかないだろ? こちらもできることは考えるから、もう少しがんばってくれよ」
いわゆる泣き落しである。次の仕事があるかどうかは、会社に関係はない。そもそも、もう頑張れないし、状況が改善しないから退職すると言っているわけである。遠慮することはない。退職して新しい生活に踏み出したほうがいい。
「逃げるが勝ち」となることがほとんど
こうやって改めて文章にしてみると、会社側がいかに支離滅裂なことを言っているのが、わかるのではないだろうか。
前述したように、雇用期間の定めがないのであれば、最短二週間で退職できる。
また、雇用期間の定めがある場合は、原則契約満了日ないし、3カ月前まで退職を申し出ることはできないが、労働基準法第5条によって強制労働をさせることはできない。
また、民法628条によって「やむを得ない事由がある場合は、各当事者はただちに契約を解除できる」と規定されている。
私はこのことを逆手にとって、法で規定されている期日よりも前に、退職を宣言して出社拒否してしまう方法をとることを勧めている。たしかに法で規定している退職届の提出期限前に退職する場合、損害賠償を提起される可能性はゼロではない。だが、私自身、ブラック企業に何回か潜入取材をして脱出しているが、損害賠償を提起されたことはない。
一般的に考えれば、訴訟を提起する費用と時間のほうが企業にとって負担が大きい。また、脱出する前に、企業側が違法行為を重ねている証拠をきちんと収集して残しておけば、反訴も可能である。
そもそも、損害賠償を提起されたところで、自分がお金を持っていなければ、何一つ取られるものはないし、自分の健康や生命には代えられない。また、損害賠償訴訟提起のリスクを回避するために、あらかじめ専門家に相談して対策しておくと、ほぼリスクは回避できる。
主な相談先は3つ・退職代行はおすすめできない
ブラック企業から退職するにあたって、損害賠償などの報復を完全に回避した上で、退職を実行に移すための方法を相談できる専門家は以下のとおりである。
1・弁護士
日本労働弁護団をはじめ、労働法に強い弁護士が、退職について相談を請け負っている。初回の相談を無料などとしているケースも多く、経済面での条件が折り合うなら退職の一連の手続きについて委任してもよいと思われる。相談は30分で5000円程度が一般的な相場。退職手続きの一切合切を委任した場合、5万円前後からが相場と思われる。
2・労働基準監督署
実は、労働基準監督署は、労働基準法や労働安全衛生法などに明記されていること以外は、原則として介入することができない。特に退職届を受理してくれないことについては、民法が適用される範疇とされており、基本的には介入してくれない。ただ、違法残業や、労働基準法・労働安全衛生法に関する違反があった際に申告しておけば、公的な記録が残るだけでなく、牽制を利かせることができる。そのため、あたっておいて損はない。
3・労働組合
労働組合とは、前述のとおり、会社で働く人がトラブルに巻き込まれた際に一緒になって解決を考えてくれる互助組織である。会社内に労働組合がない場合でも、社外の労働組合に加盟して退職の方法について相談することができる。
費用は弁護士よりも安く、一般的に数千円の年会費と、支払われていない給与や残業代を回収した場合、1割程度の寄付を行うのが通例となっている。弁護士より費用が安い上に、団体交渉権といって、経営者を強制的に話し合いの席につかせる権利を法律上付与されているので、退職にまつわるトラブルがスムースに解決することが多い。
大手の労働組合の「連合」や「全労連」では、電話での相談窓口を設けている。まずは電話相談を利用したり、近くの支部を紹介してもらって相談に出向くのも良い方法だ。
この他に、最近話題になっている「退職代行サービス」があるが、私個人としてはお勧めしない。その理由だが、大多数の退職代行会社は、会社側に退職する旨をあなたに代わって伝えてくれるだけで、一切交渉もしてくれない(交渉を代行してくれる場合は、弁護士の資格が必要となる)。そのため、前述の会社側からの損害賠償提起などのリスクが払拭できないだけでなく、かえって話がこじれることになりかねない。
また、うがった見方をすれば、退職代行を利用した人物ということで、個人情報がリスト化されて、他の業者に売られるリスクもないとはいえない。これらの理由からまったくお勧めできない。
次回は、ブラック企業を退職するうえで客観的な証拠の集め方や、会社に郵送する内容証明郵便について紹介する。
(監修/山岸純)
(文/松沢直樹)