社会を支える既存の価値観への疑問――K-POPと韓国文学、発展の源泉

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(左)『82年生まれ、キム・ジヨン』(著者:チョ・ナムジュ 訳:斎藤真理子/筑摩書房)/(右)セウォル号の犠牲者に対する追悼のシンボルである黄色のリボンを映したBTS『春の日』(MVより)

 韓国で100万部を超えるベストセラーとなったチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』は、日本でも昨年に邦訳版が刊行されるや累計刷部数14万部を突破し、外国文学として稀に見る大ヒットを飛ばした。いま韓国文学は、世界の米ビルボードのヒットチャートを席巻するK-POPと同様に、世界中で大きなブームになっている。

 女性差別をテーマにした『82年生まれ、キム・ジヨン』が、2016年に発生した「江南通り魔殺人事件」と、それをきっかけに起こったフェミニズム運動を背景に持つことは明らかだが、このような韓国文学における表現について、9月発売の『STUDIO VOICE』“次代のアジアへ――明滅する芸術”特集内の“韓国文学探訪記”(INFASパブリケーションズ)でたいへん興味深い意見を読んだ。

 同誌には『82年生まれ、キム・ジヨン』の版元である韓国の出版社・民音社が発行する文芸誌『Littor』の編集長、ソ・ヒョイン氏のインタビューが掲載されており、そこでソ氏はこのように語っていた。

<歴史上、韓国の文学者は社会的な責任を強く感じてきました。作家たる立場の人間は社会のあり方に対して声を上げていかなければならない、民衆を引っ張っていかなければならないという考えです>
<読者の側にも、面白いだけではなく社会性が溶け込んだ作品を読みたいと言う需要があります>
<現在の(K−POP)スターたちは、アイドルからさらに進んで、みずから社会問題に取り組み、メッセージを発しなければならないという責任感を持っている>

 つまり、韓国の文学者たちが持つ“社会の代弁者”たる姿勢は読者によって求められているものであり、さらにその姿勢はK-POPにまで広まっているというのだ。

 では、韓国の表現者たちはいま、社会の何を代弁しているのだろうか?

“社会の代弁者”であり続けた韓国文学と1997年のIMF危機

 韓国の文学者たちがこれまで抱えてきた社会的な責任とはどのようなものか。

 『82年生まれ、キム・ジヨン』の邦訳を手がけた翻訳家の斉藤真理子氏は、今年3月に行われた「朝日ブックアカデミー」座談会にて、韓国文学の特徴について「韓国は非常に早いスピードで経済発展した国家です」と前置いた上でこう語っていた。「かつて韓国文学のテーマは、植民地支配を受けた経験、南北分断、朝鮮戦争、軍事独裁政権による人権弾圧など、歴史の重みを背負った大きなものであることがしばしばでした」

 しかし、こうした流れは韓国が1987年に民主化を遂げたことで変化をみせたという。かつての軍事独裁国家から市民本位の民主主義国家となり、軍事政権からの解放が現実のものとなったのだ。

 しかし、国民に対する社会からの抑圧は実質的に継続されることとなる。1997年、外貨の急速な流出により政府が国際通貨基金(IMF)に緊急融資を要請したことを契機に韓国経済が窮地に陥ったことで、人々の暮らしは一変した。国内企業の倒産が相次いで、多くの労働者が路頭に迷うこととなったことから、これを「IMF危機」と呼ぶ。

 その後、政策によって韓国経済は立ち直りを見せたが、企業は非正規雇用の比率を高めた上に、正規職に対しても“名誉退職”の名のもとに40代定年制を導入。またIMF危機をきっかけに国際競争力は高まったものの、同時に雇用の不安定や貧富格差など、現代韓国社会が抱える諸問題が生まれている。

 そんな社会的状況下、カルチャーの担い手である文学者たちは、個人における本質的な権利を求めて、“個人の目線から描かれた物語”を描くようになる。

 2016年に『菜食主義者』でアジア初のマン・ブッカー国際賞を獲得したハン・ガンや、パク・ミンギュ、チョン・セランなど、民主化以降の社会から影響を受けて経済危機を経験したとされる世代の作家たちによる作品は、かつての作家たちの社会に対する強いまなざしを受け継ぎながらも、より“個人”の世界へ焦点が当てられている。他方で、1997年のIMF危機を経験した通称“IMF世代”と呼ばれる作家陣による、韓国社会が抱える影を描いた作品も多く生まれた。

 こうして、90年代後半以降の韓国カルチャーはIMF危機の後遺症を抱えることになったが、2014年のセウォル号事件によって再びの悲しみと喪失を経験することとなる。

2014年のセウォル号事件を歌うK-POPアーティストたち

 2014年4月16日、韓国南西部沖合を運行していた旅客船セウォル号が転覆し、死者299人、行方不明者5人の大事故を引き起こした。事故の原因について調べが進むにつれ、セウォル号は過剰積載や経験に乏しい船長を含んだ乗組員、悪天候など、万全とは言い難い状況下で出航を強行したことが判明する。さらに艦内アナウンスによる救命胴衣の着用や避難指示は無かったといい、また救助活動の指示を放棄した船長は我先にと脱出するなどありえない無責任さが、修学旅行中だったタウォン高校の生徒を含む多くの乗客を海に沈めた。

 助けられたはずの多くの命が失われていった事実は、韓国国民に大きな衝撃を与え、悲しみと憤りを共有させた。欠航による赤字損失を恐れていた船会社によってもたらされたこの大事故は、IMF危機がもたらした階級格差・低運賃と低賃金が、労働や安全に対するモラルを崩壊させ、人命さえ蔑ろにする社会の在り方を浮き彫りにしたのだ。

 セウォル号事件の影響は、やはり文学界にも及んだ。2014年の韓国国内小説の分野累計販売において、上位10位以内に入った韓国小説はわずか2冊と低迷していたが、これについて後に多くの韓国人作家が「事故の悲しみにより執筆活動に集中できずにいた」と語っている。

 しかし、文学者たちはただ悲しみに暮れるだけに留まらなかった。“私たちの社会は何を間違えて、このような事態を引き起こしたのか”――この悲惨なセウォル号の事故で露わとなった社会の傾きを前にして、文学者たちは自らの作品を通してその問題点と向き合い、社会のあるべき姿を追求していく。

 こうした流れの中で誕生した作品たちは、水難事故により幼い息子を失った夫婦の物語をはじめ、「喪失」と「悲しみ」にまつわる物語を集めたキム・エランによる短編集『外は夏』に代表されるように、“セウォル号事件以後文学”と呼ばれている。

 セウォル号事件に目を向けたのは文学分野だけでなく、K-POPも例外でなかった。

 例えば、ガールズグループf(x)が2014年に発表した楽曲『Red Light』の歌詞には<沈没する時/点灯した鮮明なRed Light><あなたが言う“最善”って言い訳/私には疑問だらけ>といったフレーズがあることから、セウォル号事件を引き起こした社会に対する批判精神が込められた作品であると評され、一部の音楽番組では放送不適格判定を受けるなど騒動を起こした。

 後に作品製作を手がけたSMエンターテインメント社は、本楽曲はセウォル号事故を受けて制作された作品であるものと認め、“沈没”という直接的な言葉を使用したことについても、内部で協議を重ねた結果での決断であったことを明らかにしている。

 また、ボーイズグループBTSの2017年の楽曲『春の日』MVにも、セウォル号の犠牲者に対する追悼のシンボルである黄色のリボンなど、事故を反映させた様々なモチーフが見られる。BTS側は事故と作品の関連性については明らかにしていないが、本作のMVには、究極の最小不幸社会とその犠牲となる少年を描いたアーシュラ・K・ル・グィンによるSF短編小説『オメラスから歩み去る人々』のモチーフが登場することからも、ネット上では“社会の犠牲となる若者たちに目を向けた作品”であるという考察がなされている。

 この『春の日』について、メンバーのキム・ナムジュンは「僕たちは公人の1人として責任を感じないといけないと思った。いつか気持ちを集めて伝えたいと思っていた」と語っている。

 またこの他にもBlock BメンバーのZICOやWINNERのソン・ミンホらは自らの体に黄色いリボンのタトゥーを刻むなど、それぞれが自身にできる方法で“事故を風化させまい”とする意思表示を行っている。このように、現在第一線で活躍する多くのK-POPアーティストたちによるセウォル号事件に対し向けられる当事者性をはらんだ問題意識は、彼らが当時犠牲となった修学旅行生たちと近い世代であることも無関係ではないだろう。

 米カルチャーサイト「KULTSCENE」は、セウォル号事件がK-POP作品に及ぼした影響について取り上げた記事で、<本来社会的な悲しみの反映を敬遠されるポップカルチャーが悲劇との関係性を保持し、またファンがそれに目を向けたのは、特に印象的である>と論じた。しかし逆に言えば、セウォル号事件が韓国社会全体に与えた影響は、ポップカルチャーにおいても目を背けられないほどに大きなものであったとも言えるし、また韓国には、時代を引き受けようとする責任感ある表現者たちが分野を問わずに存在しているという状況もうかがい知ることができるだろう。

韓国カルチャー発展の源泉

 先述した“IMF世代”と呼ばれる作家の1人であるキム・グミの作品で、IMF危機が韓国社会へ落とした影を描いていると評される『あまりにも真昼の恋愛』の邦訳を手がけた翻訳家のすんみ氏は、本書のあとがきで<経済成長が謳われ、競争を強いられてきた韓国の若い世代はいま、今日まで韓国社会を支えてきた既存の価値観に疑問を抱いている。どうしてこのような社会になってしまったのかと問い続けている><「明日はどうなるかわからない」というのが、現代の韓国社会の素直な感情表現なのである>と綴っている。

 また、同じくIMF世代の作家で『誰でもない』を書いたファン・ジョンウンは、2018年に来日した際イベントでこう語っていた。

 <没落の大きな理由は社会構造にあるのですが、毎日、目の前のことに追われていると、構造的な問題について考える余裕がありませんよね。考えてみたところで解決方法はないようですし、個人個人の状況があまりにも悲惨なのになすすべがないので、日々無力感を覚え、この無力感が、自分と他人への嫌悪感に発展して、嫌悪感が高じると他人への想像力も弱まってしまいます。自分自身への想像力も同じですよね。お互いがお互いを憎み、幻滅し、そうやってみんながだめになっていく状況が続いていると感じました>

 つまり、現代の韓国においては、社会全体に通底する個の問題と、既存の社会構造の関係性が重要視されているのだろう。

 1997年のIMF危機、2014年のセウォル号事件――文学、そしてK-POPの分野で、社会の代弁者であろうとする表現者たちと、その作品を求める人々が分かち合う、共通の痛み。韓国カルチャーにおける強烈な同時代性には、作品の作り手と受け手が共有する当事者意識と、社会問題を断ち切ろうとする責任感が垣間見える。これこそが、現代韓国カルチャー発展の源泉となっているのではないだろうか。

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