女性と社会構造をめぐる問題は、「反抗する女性vs従順な女性」の対立にすり替えられてきた

連載 2019.11.17 15:05

令和の日本と共通する19世紀の「女性の労働問題」

 長年ミュージカルを観てきましたが「女の集団」をメインに据えたミュージカルを観るのが初めてであることに、幕が開いてすぐ気づきました。私が今までに観てきた商業ミュージカルはだいたい人気俳優がメインを張り、その相手役ポジションの女優がいて、二人の恋愛模様が軸になっているものがほとんどでした。「群衆」にフォーカスされる場面であってもメインは男性で、女性も「混ざっている」程度であることが多かったです。

 ミュージカルで「女の集団」が真ん中にいる場面といえば、例えばある男性キャラクターがいかに魅力的であるかを示すために女たちがきゃぴきゃぴと噂話をしているとか、あとは場面が娼館であることを表すための娼婦たちのナンバーであったり、「革命モノ」によく見られる母親たちが貧困を訴える場面だとか、そういうものに大きく分類できると思います。

 そのどれでもない、ただ女たちが女の集団として生活しているという表現を目の当たりにして、衝撃を受けました。当たり前の表現のはずなのに、驚いている自分がいかに凝り固まった「表現の中の女像」を持っていたかということに気づきました。

 さらに、一幕にあるサラとハリエットが互いに出会えたことや友情の喜びを歌うナンバーが、ミュージカルの文法に則るとどう考えても男女のロマンスの始まりで歌われる曲と表現であることもすごくよかったです。その直後にあるハリエットと男性のロマンス描写(男性からハリエットへの、同意のない突然のキス)は観客に違和感を与え、ともすれば不快感さえ覚える作りになっていました。ヘテロラブこそが王道であるミュージカル表現の「当たり前」を逆手に取って、観客に小さな違和感を与えていたように思います。

 女性の労働問題を真正面から扱った今作には、移民が女性よりも更に低賃金で働かされていることを示す描写もあり、現代日本の孕む問題が否応なく頭をよぎります。また、工場で働く女たちが労働環境の改善を求めて不満の声をあげる場面では同じ工場で働く男たちが「俺たちだって同じ条件で働かされていてつらいのに、女だからって文句を言うな」と抑圧し、暴力で女たちをねじ伏せようとする場面では、「これTwitterで毎日くらい見るやつ」と思いました。#Kutooに対するクソリプとか、最近なら献血ポスターの件なんかでもよく見ますよね。サラに「不満があるなら自分たちも声を上げればいい」と言われているところまで含めて、既視感がすごかったです。19世紀から何も変わっていないのか。

 世間に対して「女性に優しい企業」とアピールするためにハリエットを「働く女性代表」に祭り上げて広告塔として利用しながらも、現場では女たちを抑圧し「反抗すれば働く場を奪う」「いくらでも代わりはいる」と脅す工場の経営陣の姿勢も、つい昨日くらいにもSNSで見かけたような気がします。

 本当は「社会の構造を作っている男 VS 搾取される女」が対立しているはずなのに、いつの間にか当事者であるはずの男が「社会に反抗する女 VS 反抗しない従順な女」の対立にすり替えて、女同士を争わせようとするところも、同様です。「ファクトリーガールズ」では、対立させられたサラとハリエットが最後には和解し、それぞれの志を胸に別の道を選ぶという結末を迎えることで「女の敵は女」という言説がまやかしであることが伝えられていたので安心しました。

 というわけで、「あるある……」と涙を流し、キャストの名演に拍手喝采の「ファクトリーガールズ」でしたが、いくつか「これはいただけない」というところもありました。

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こはなみみこ

2019.11.17 15:05

レズビアンだけど男性と法律婚したフェミニスト。毒親育ちのADHD。全ての人が自分らしく、楽に生きられたらいいなと思って文章を書いています。

twitter:@mimimiko_mimiko

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