
「Getty Images」より
先日、銀行のATMで通帳記入をした。さまざまな支払いで悲しいほどお金が出ていく現実に直面する瞬間である。
すると、ATMが通常よりも多くの動作を行い始めた。通帳の記入欄が不足したので、新規通帳の発行を始めたのだ。便利になった。
以前は、新しい通帳を発行する際には銀行印を持参して窓口の銀行員に申し出る必要があった。しかし、現在は銀行印も銀行員も必要ない。ATMが自動的に処理してくれる。
5月に「デジタル手続法」も成立したことだし、このように印鑑を用いなければならない場面は減っていくのだろうなぁと思っていたら、ネット上で印鑑業界の既得権益がどうの、という話題が盛り上がっていた。
何かと思ったら、内閣改造でIT担当相に竹本直一なる人物が就任したことが問題視されていたのだ。それは、この竹本氏が、「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(はんこ議連)の会長だったからだ。
就任後には早速、印鑑とデジタルの共栄のために知恵を絞ると発言している。この発言を目にし、耳にした人たちが、「これは印鑑業界を守るために、日本のデジタル化が遅れるぞ」と懸念したのだった。
デジタル手続法案から削除された印鑑レス
先に成立した「デジタル手続法」の正式名称は、
「情報通信技術の活用による行政手続等に係る関係者の利便性の向上並びに行政運営の簡素化及び効率化を図るための行政手続等における情報通信の技術の利用に関する法律等の一部を改正する法律(デジタル手続法。令和元年法律第16号)」。
長い。
が、この正式名に、その概要が表されている。「隗より始めよ」ということで、まずは行政手続からデジタル化による業務改革を推進すべしということだろう。
もちろん、デジタル手続法第一条は、行政のみならず、民間における利便性の向上も謳っている。ところが当初、この法案には行政手続における本人確認印や法人設立における印鑑届出義務の廃止などが盛り込まれるはずだったのが、削除されてしまったのだ。
これは、全日本印章業協会などの印鑑関連の複数の団体からの要望書が提出されたことと無関係ではないだろう。そこに、今回のIT担当相の発言である。
印鑑レスの抵抗勢力
現状では、実印のみならず、複製が容易な、というよりも、そもそも量産されて文具店などで販売されている(この時点で価値が疑われるのだが)いわゆる「三文判」でさえ、その出番は多い。
さすがに土地や車の購入などでは実印の出番となるのもやむを得ないが、銀行口座の開設や郵便物・宅配物の受け取りも銀行印や認印が要る。
いまだに履歴書に捺印する習慣があることも意味がわからない。写真を見れば本人確認は簡単なはずだ。
それだけではない。会社内の業務手続きでも代表者印や会社印といった使い分けのわかりにくいものから、役職印や社員のデータ印まで、稟議書や経費精算書をはじめとするさまざまな書類を提出するたびに必要となる。もはや宗教的な儀式かまじないのような捺印まである。
ひどい場合には、出張中の上司から電話で、「オレの机の引き出しにハンコが入っているから、その書類に押して回しておいてくれ」などと言われると、もはや何のための捺印なのかわからない。
この程度の雑な本人確認であれば、デジタル化しても問題ないだろうと思う。ここでふと気づくのが、あらゆる書類や手続きをデジタル化すると困る業界が他にもある。それが、フォームの印刷で食べている業界と、用紙を製造している業界だ。
先日、産業廃棄物処理業界の関係者から、産業廃棄物処理の手続きに必要なマニフェストという7枚綴りの複写式伝票について興味深い話を聞いた。
この紙のマニフェストもご多分に漏れず排出事業者が捺印するようになっているのだが、1997年に廃掃法(廃棄物の処理及び清掃に関する法律)が改正され、電子マニフェストが導入された。
しかし、紙のマニフェストは一向になくならない。それは、この用紙の販売で莫大な利益を得ている団体があるからだという。となると、印鑑レスへの抵抗勢力は、印鑑業界だけではなさそうだ。
迷走する印鑑の歴史
印鑑の歴史を調べていたら、面白い経緯を知った。
日本で最古の印鑑は、歴史の授業で習った「漢委奴国王印」(かんのわのなのこくおういん)。純金製の印鑑で、西暦57年頃に漢から送られたものとされている。
ただ、このころは国内ではまだ印鑑は使用されていない。その後、大宝律令で官印が導入されたり室町時代に書画に押されたりしたようだが、書類で使われるようになったのは江戸時代かららしい。
ところが明治に入ると、現代の「デジタル手続法」よりはるかに早く、政府が印鑑偏重を悪習と捉えてこれを廃止しようとしている。
そこで印鑑の代わりに署名させようとしたところ、事務処理がかえって煩雑になることや識字率の低さなどを理由に、印鑑レスは頓挫してしまった。しかし数年後には、やはり印鑑は偽造しやすいということで、押印に自署を添えることが義務化されるというややこしいことになる。
ところがこれもまた、自署の手間が当時の大蔵省や銀行から反発され、一部の例外を除いて押印のみで良しとされた。とにかく明治時代は印鑑の扱いにおいて制度が迷走している。そして、デジタル技術が普及した令和の現代、再び印鑑を巡る議論が迷走しようとしている。
印鑑レスの時代がなかなか到来しないのは、印鑑業界の反発だけとも言い切れない。
というのも、実は電子帳簿保存法(1998年7月施行)やe-文書法(2005年4月施行)などの整備により、少なくとも財務や税務、総務、法務関係の書類はほとんど印鑑レスで処理できるような環境が整っているのだ。
相変わらず印鑑を必要としているのは、印鑑業界の圧力などではなく、むしろ現場の怠慢のせいとも考えられる。たとえば、企業の経営者や書類を多く扱う現場のITリテラシーが低いことや、新しい仕組みへの抵抗感、業務の効率化による人員削減への不安などが、印鑑レスを拒んでいるかもしれないのだ。
あるいは単純に、周りが変化していないから自分たちも変化する必要がないという惰性によるものかもしれない。さらには、経営者がデジタル化のためのシステム導入への投資に合理性を見出せていない場合もあるだろう。
なんでも規制緩和すべきではないが
私は新自由主義的な発想を好まないため、何でも規制緩和して自由競争にさらすことが良いという立場には立っていない。
たとえば医療の現場や水道などの公共性の高いインフラ、農業(畜産・酪農など)は規制で保護すべきだと考えている。これらは国民の生活の質や命の安全性に関わる事業だからだ。
余談だが、日本の経済評論家の多くが、「日本の農業は保護されすぎているから弱体化した。グローバルな競争にさらして強化すべきだ」というお門違いな主張をしているが、欧米こそ農業を保護して国際市場での競争を優位にし、食糧自給率も守っているのだ。
農業協同組合新聞が掲載した鈴木信宏東京大学教授ら作成の資料によれば、2013年の農業所得に占める補助金の割合は米国が35.2%、スイスが104.8%(!)、フランスが94.7%(!)、ドイツが69.7%、英国が90.5%(!)であるのに対し、日本は30.2%である。(食料・農業問題 本質と裏側 欧米農政への誤解【鈴木 宣弘・東京大学教授】JAcom 農業協同組合新聞)
しかし農業と違って、印鑑レスに関しては、印鑑業界や印刷業界を保護することが行政手続やビジネス上の手続きのデジタル化を阻害する可能性は高い。
とはいえ、デジタル化による印鑑レスがそのまま印鑑業界や印刷業界・製紙業界を壊滅させるとも思えない。もちろん、ある程度の影響はあるだろうが、栄え続ける業界はないのだ。
たとえば、私が印刷業界で働きはじめたころは、まだ写植や版下、製版といった業者がたくさん存在していた。ところが米国からアップル社のMacintoshとアルダス社やアドビ社らのソフトにより構成されたDTP(Desktop publishing)が日本に進出し、そこにモリサワが日本語用のデジタルフォントを提供したことで、パソコン1台で文字入力から組版まで完結してしまうデジタル環境ができあがってしまった。
その結果、写植、版下、製版が町から姿を消していった。デジタル化は、時としてこのように業界の構造を変えてしまう力があることは確かだ。そのため、印鑑業界(印章業界)側は印鑑レスに対して「商習慣を混乱させる」や「優れた本人確認の手段が失われる」「中小零細企業が廃業に追い込まれる」「印鑑を押す面倒が大事な決定に重みを与えている」などの理由を挙げて反発しているのも無理はない。しかし、残念ながら、デジタル化による利便性・効率化の前には、いずれも説得力がない。
それでもデジタル化は進む
すでに述べたが、印鑑レスが進まないのは印鑑業界の反発だけが理由ではなさそうだ。印鑑に代わる本人認証の仕組みとして電子署名やIDとパスワードの組み合わせなどが考えられるが、これらの利用にコストがかかっているようでは押すだけの印鑑に代わることが難しい。
また、OSやブラウザソフトのアップデートやハードウェアの変更のたびに不具合を起こしたり、そもそもシステムの提供元がサービスを停止したらどうするのか、などの不安点も解消しておく必要があるだろう。
といっても、世のデジタル化の波を止めることはできない。たとえIT担当相に「はんこ議連」の会長を据えようとも、日本の“大臣の寿命”の短さを考えれば、早晩、印鑑レスは加速しはじめるのではないだろうか。