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「息子が生まれるまで出産」インドの多子化問題の背景に潜む男女格差

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「Getty Images」より

 2019年10月7日、日本経済新聞は、日本における2019年の出生数が、推定より2年早く90万人を割る可能性があると報じた。2016年に出生数が100万人を下回って以来、少子化は政府の想定を超えるペースで進んでいる。出生数の減少が、社会保障や経済成長に影を落とすことは明白だ。

 日本で少子化問題が年々深刻化する中、人口約13億人、平均年齢27歳の大国インドでは、多子が問題になっている。今年73回目を迎えた8月15日のインドの独立記念日、モディ首相は式典のスピーチでこう述べた。

 「子どもたちが十分な教育や医療を受けられるよう、小さなファミリーを作ってください」

 インドと言っても広大で、州により事情は異なるが、首都のニューデリーから約400キロに位置する、筆者が在住していた北西部ラジャスタン州の状況を紹介しよう。

結婚して大家族単位が基本のインド社会

 インドは、適齢期になると、誰しもが結婚する社会である。都市部では恋愛結婚も増えてはいるが、インドの中でも保守的なラジャスタン州では、まだまだ少ない。結婚は同じカースト同士でのお見合いが主流だ。カーストとは、インドの約8割を占めるヒンドゥー教徒の階級制度である。

 適齢期になると、両親や親戚が息子や娘の結婚相手を探す。その後、本人たちは、お互いの両親や親戚一同と共にお見合いし、会って数回以内に結婚を決めるのが通常のプロセスだ。結婚後も、長男だけでなく息子は全員、実家で両親と同居する大家族スタイルが主である。家族旅行に行く際も、三世代全員一緒であることも珍しくない。

 結婚して子どもがいるのは当然で、特に息子は“親の面倒をみる存在として”重要、というのが社会の風潮だ。娘は婚家に嫁いでしまうので、とにかく息子が欲しい。息子が生まれるまで子どもを産み続ける家庭もあり、これが人口増加の原因のひとつにもなっている。

多子による貧困で教育の機会を失う女子

 女子が主体の多子は、主に親自身が教育を受けられなかった貧困家庭に多く見られる。そして、20代から40代の親世代は、自分が教育を受けられなかった分、子どもには機会を与えてあげたいと子どもの教育に熱心な人が多い。しかし、多子で経済的な事情がある場合、教育が優先されるのはまず息子だ。

 学校に行かせてもらえない女子たちは、山羊など家畜の放牧、小さな弟妹の世話、食事の用意や掃除、手洗いによる洗濯にいたるまで家事をこなす。父は工場などに働きに行き、母は近所の裕福な家庭の食事作りや掃除などの仕事にでかけ、一日中家にいないことも多い。

 このような事情を憂慮して、筆者が在住していた町では、「女子にも教育を」と貧困層家庭の女子を対象にした学費無料の女子校ができ、多くの女子たちが勉強している。学校に通えるようになった女子たちの喜びは大きく、勉強に熱心に取り組む子も多い。

 この女子校に通う生徒の中には7人姉妹もいる。4人姉妹くらいは珍しくないのだ。

貧困による神頼みの医療

 多子による教育の機会の欠如とともに深刻な問題は、医療である。多子による貧困が原因で、子どもが病気になっても十分な医療を施せず、重症化するケースも多い。

 筆者は前述の女子校で奉仕活動をしていた関係で、この地域の多くの貧困家庭を訪問する機会があった。たまたま立ち寄った家庭で、女子校に通う長女が熱を出して寝込んでいて、非常に苦しそうだった。父親に話を聞くと、「これは子どもたちが小さい時に皆かかるマタジという病気で、神様に祈れば治る」と言う。薬を飲ませたか聞くと、「薬局で買ってきた薬を飲ませたが効かなかった」。

 この時はマタジという病気が何かわからなかったが、父親が薬を飲ませる意志があることは確認できた。女子校のインド人代表者に電話して事情を話すと、A病院のBドクターのところに連れて行くように告げられた。Bドクターは、この女子校の生徒をいつも無料で診察してくれるという。

 その後、長女と母親を連れてBドクターの診察を受けた際、母親が「この子がマタジになっちゃって」と言った瞬間、ドクターの顔が曇る。マタジって何だろう?

 Aドクターに話を聞くと、長女は水ぼうそうで、薬を飲めば1週間程度で回復するとのことだった。すでに両親には、診察料はかからないことと、薬代は学校が負担する旨を告げてあった。その後、長女は服薬の効果があり、1週間ほどで元気になった。数カ月前に次女が水ぼうそうにかかった時は、病院にかかれず、回復までに1カ月ほど要したという。

 後に、女子校のインド人代表者に、水ぼうそうをなぜマタジと呼ぶのか聞いた。この辺りでは、水ぼうそうにかかった時、昔からの風習で「ボドリ・マタ」という女神に祈祷するので、そう呼ばれるようになったという。ちなみに「マタ」は母を意味し、「ジ」は尊称だ。マタジという言葉でBドクターの顔が曇ったのは、水ぼうそうは薬で回復するのに、祈祷に頼る風潮を憂いているのだと、その時に理解した。

 5人の娘がいて、月収が6000ルピー(約9000円)の父親の収入では、今回のように医師の診察を受け効果がある治療薬(600ルピー=約900円)を購入するのは難しい。子どもを病院にかからせたくても不可能で、祈祷に頼るしかない現実がそこにはあった。

西洋医学を受け入れない家族

 水ぼうそうにかかった長女の両親は、治療費がかからないとわかると、彼女を病院に連れて行くことを承諾してくれた。一方で、西洋医学を受け入れない家庭もある。

 ある日、この女子校の創始者であるイタリア人女性と、2、3日欠席している生徒の家を訪問した。生徒は家の敷地内でヘビにふくらはぎを噛まれたと言い、見せてもらうと、噛まれた部分はもう一方の足の倍以上も腫れていて、歩くのもままならない様子であった。

 両親に病院に連れて行ったか聞くと、こういう時は病院へ連れて行ってはならず、祈祷しているから、じきに良くなると言い張る。無理には連れて行けないので、病院に行くなら学校が費用を負担する旨を告げた。

 しかし、数日が過ぎても症状は良くなるどころか、足の色が変色し始め、このまま放っておくと大変な事態になると思った。母親に、「祈祷は祈祷で、病院は病院で、両方したらいいのにと思うけど、それはダメなのか」と聞くと、「祈祷師に、病院に連れて行くと祈祷が効かなくなり、治らないからダメだと言われている」と話してくれた。それが祈祷師のビジネススタイルなのだろうと思った。

 そこで筆者は、女子校のインド人代表者にこの事情を説明した。代表者は、父親を説得して承諾を得て、この生徒を隣町で一番の病院へ、両親とともに連れて行った。足には、祈祷師がつけた孔雀の羽と草がぐるぐるに巻かれていた。これを見るなり診察にあたったドクターは顔をしかめ、「まず、これを外してくれ」と告げた。

 その後、しばらく入院して処置もうまく終わり、この生徒は退院できたが、あと少し遅かったら足を切断しなければならない可能性が高かったという。自分の子どもの足を切断する事態を望む親などいないだろうが、ここにも4人の子どもを抱え、貧困から医療を受けさせられず、祈祷に頼るしかない現実があった。

 ちなみに、この生徒に去年のインド訪問時に会ったが、足の機能はなんら変わらず調子が良いと聞き、嬉しかった。長ズボンをめくって、「傷あとはこんなに残っちゃってるんだけどね」と言っていたが、「ちょっと気になっちゃうだろうけど、まだ隠れるところで良かったかな」と言ったら、はにかんでいた。学校に通っていたからこそ、手を差し伸べられる機会を得たこの生徒は、幸運であったと思う。

南インドのケララ州との大きな違い

 インドで識字率が一番高く、教育水準が高いケララ州を訪れた際、保守的なラジャスタン州との大きな違いに驚いた。

 呼吸器系が弱い筆者は、以前、ケララ州のアーユルヴェーダ医学の病院に3週間ほど入院したことがある。

 アーユルヴェーダとは、数千年の歴史を誇るインド伝承医学だ。そこでは、病気の症状に合わせた薬草入りのオイルマッサージや、薬草の服薬、食事療法での治療が行われていた。

 病院では、オイルマッサージを施す女性、給仕や掃除などを受け持つ女性が4、5人働いていた。年齢は30代〜40代で、たまたまだろうが、娘2人という家族構成が多かった。娘たちは大学に通っている子も多く、大学の帰りに病院に寄って母親と帰る子も何人かいた。

 ここでは、娘しかいなくても子どもは2人? 息子信仰はないのかと思い、筆者を担当してくれたドクターの妻に質問してみた。ちなみに、妻もドクターで問診などを担当していた。

 妻は、「ケララ州では、あまり息子信仰は見られないわね。私たちも娘2人だし。大事なのは、しっかりと教育を受けること。自分で自分のことができれば男性にへつらう必要はないわよ」と言う。

 ラジャスタン州でも、教育を受けている層には、娘2人という家族構成の人たちもいる。ケララ州のドクターの家族構成が、娘2人なのは理解できるが、この病院で働く普通の女性たちもそうであるのは、やはり教育の賜物なのではないかと思った。

 モディ首相が提唱する小さなファミリーがインド全土に浸透していくのは、今の子どもたちが成人した後になるかもしれない。そして、多くの子どもたちが十分な教育と医療を受けられるようになった時、インドのさらなる成長時代が訪れるはずだ。

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