
「Getty Images」より
日本のあらゆる職場で「当たり前」と思われてきた叱責や嫌がらせ、強制的な労働などに「パワーハラスメント」という名がつき、是正すべきだという世論が高まって随分経つ。先日、厚生労働省の労働政策審議会雇用環境・均等分科会は、5月に成立した「職場でのパワーハラスメント防止を企業に義務付ける労働施策総合推進法の改正法(以下、パワハラ防止法)」に基づき、「職場におけるパワーハラスメントに関して雇用管理上講ずべき措置等に関する指針の素案(以下、素案)」を発表した。
しかしこの素案、現状のパワハラ問題を改善に向かわせるどころか、ますますパワハラ被害を助長する恐れがある。11月12日、日本労働弁護団が「真に実効性のあるパワハラ指針の策定を求める集会」を緊急開催したが、同事務局次長を務める新村響子弁護士はこの素案に危機感を覚えたという。
なぜなら、5月にの「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する附帯決議」で議論された、「パワハラを労働者の主観に配慮すること」「自社の労働者だけでなく、取引先や就活中の学生など広い範囲で捉えること」などが全く反映されていなかったのだ。
(参考)女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案に対する附帯決議

新村響子弁護士
広島大学附属福山高校卒。一橋大学法学部卒。司法修習第58期。2005年弁護士登録。東京弁護士会所属。主な取扱分野:「労働事件(解雇、雇い止め、残業代請求、降格・配転、労働災害など)」「離婚(DV事案含む)、不貞行為の慰謝料請求(原告・被告)」「相続(遺言・遺産分割・相続放棄・限定承認)」など。担当した主な事件:「(株)東和システム 名ばかり管理職 残業代請求事件」「不正競争防止法事件 2008年勝訴」「医療過誤事件 2010年、2011年 多額の損害賠償を勝ち取る和解成立」など。
居酒屋やカラオケでのパワハラが許されてしまう
特に強い懸念があるのは、「パワハラが認められる範囲の狭さ」だ。
素案では、ハラスメントが該当する“場所”を、「事業主が雇用する労働者が業務を遂行する場所。当該労働者が通常就業している場所以外の場所であっても、当該労働者が業務を遂行する場所については、『職場』に含まれる」に限定している。
新村弁護士「パワハラ関連の裁判をやっていると、休日や退社後に居酒屋や娯楽施設などで暴力や暴言を受けたという例があり、職場(業務を遂行する場所)以外であっても“指導者責任”は認められています。
しかしこの素案が通れば、職場以外で起きたパワハラは認められず、企業側も『職場以外で起きたらから対応しなくて良い』と認識してしまいかねません。するといざ裁判を起こされた時に指導者責任を追及されて足元をすくわれることがある。これでは労使ともにメリットがありません」
それだけではない。パワハラ防止法の条文では「職場において行われる」「優越的な関係を背景とした言動」「業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」をパワハラと定義しているが、この二番目も曲者だ。
素案では<当該事業主の業務を遂行するに当たって、当該言動を受ける労働者が行為者に対して抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係を背景として行われるもの>とある。
新村弁護士「上司のみならず同僚からパワハラを受けるケースもありますし、SOGI・フリーランス・就活生なども弱い立場になりやすく、パワハラ被害に遭うことは珍しくありません。ですが、こういった人たちは『抵抗・拒絶することができない関係』と捉えてもらえるでしょうか。『抵抗できないわけではない存在』と位置づけ、パワハラの対象から外される恐れがあります」
パワハラの防止について厚生労働省内で検討が開始されたのは2014年頃であるが、当時「優越性・優位性は広く捉えよう」という議論があったという。
新村弁護士「この法案を作るための検討会の議事録を読み返してみると、使用者側の委員が自身の体験談として『優越性は、過去の経験値・勤続年数・職務遂行スキル・対人関係スキル・個人的感情などが絡み合って生まれる』と語っていました。にもかかわらず、今回の素案ではこういった優位性の捉え方を全く汲めていないですよね。このままでは、これまで勝てていた裁判や労災認定されていたことが覆る可能性があり、パワハラ被害者が救済されなくなるかもしれません」
もう一つの「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」についても、懸念がある。素案には「業務上明らかに必要のない言動」「業務の目的を大きく逸脱した言動」に加えて、「労働者の行動が問題となる場合は、その内容・程度とそれに対する指導の態様等の相対的な関係性が重要な要素となる」という一文があるのだ。
新村弁護士「難しく書かれていますが、これは『労働者が問題行動をしている場合では、ある程度の厳しい指導は問題ない』という解釈ができてしまうのです。これまでの裁判例では、ミスや遅刻が多かったパワハラ被害者は少なくないですが、それでも『暴言や暴力は仕方ない』とはなっていません」
「マナーがなっていなければパワハラOK」という解釈も
素案には「パワハラに該当する例」と「パワハラに該当しない例」が紹介されているが、このように「パワハラに該当しない例」を載せることが加害者に言い訳を与える可能性もある。
新村弁護士「該当しない例の中に、『誤ってぶつかる、物をぶつけてしまう等により怪我をさせること』とあります。では加害者が物をぶつけても過失を主張すればパワハラが適用されないのでしょうか。
他の該当しない例には、『遅刻や服装の乱れなど社会的ルールやマナーを欠いた言動・行動が見られ、再三注意してもそれが改善されない労働者に対して強く注意をすること』とあります。社会的ルールやマナーも範囲が広く、上司や同僚、取引先の人間が『お前はルールが分かっていない・マナーがなっていない』という言い分でパワハラ的指導をするケースが生じるかもしれません。『該当しない例』を設ける必要性は無いはずです」
新村弁護士はこの素案ではパワハラ問題が改善するどころか悪化する可能性があると懸念を強めている。
新村弁護士「国際労働機関(ILO)が職場での暴力やハラスメントを全面的に禁止する国際条約を採択して、世界的にハラスメント防止に対する機運が高まっています。にもかかわらず、日本がこのような穴だらけの素案を作ってしまった良いのでしょうか」

11月12日、集会の模様