ライフ

上野千鶴子とセックスワークについて 「男女」の「恋愛」だけが良いセックスか?

【この記事のキーワード】

「GettyImages」より

 東京大学名誉教授の上野千鶴子によるセックスをめぐる発言に、少なくない数の批判が向かっている。その発言というのは11月20日に朝日新聞社が運営するwebメディアのひとつ「かがみよかがみ」が掲載した、<上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」>という記事で出たものだ。

 「かがみよかがみ」は10月、「5年後の女の子たちへ」をテーマにエッセイを募集。投稿者の中から20歳から25歳までの4人の女性が選出され、上野千鶴子との座談会が開かれた。「当日の様子を伝えるレポート、参加者の感想を全11回で紹介」するという大型企画だが、炎上しているのはその第1回記事である。

 参加者のひとりである24歳の女性が「私はセックスが大好きだが、男性の欲望に加担し男性からの承認に依存している気がして複雑な気持ちになる」と吐露することから、座談会記事は始まる。

 上野千鶴子は<まず、年長の世代が性に保守的だとは思わないでほしいの>と言い、<セックスの基本の「き」はね、欲望っていうものが自分の中にあることを認識して、その欲望の主体になれるかどうか>と説く。

 そして上野千鶴子は、セックスのクオリティについて語っていき、次のように発言したのだった。

<上野:私がセックスワークや少女売春になぜ賛成できないかというと、「そのセックス、やってて楽しいの?あなたにとって何なの?」って思っちゃうからなのよ。自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う。自分を粗末に扱わない男を選んでほしい、だってそっちの方が絶対セックスのクオリティが高いもん。>

 それまでプライベートなセックスの話をしているのに、唐突に出てくる「セックスワークや少女売春」というワード。まず労働としての「セックスワーク」と、違法行為にあたる「少女売春」を並べることがあまりにも雑だ。

 セックスワークと一言でいうけれども、ソープはペニスを膣に挿入する行為があるもののデリヘル(ヘルス)はフェラチオや手コキ、素股など疑似セックスのサービスだ。恋愛ムードを提供するサービスだったり、SM気分を堪能するサービスだったり、痴漢ごっこなどのイメージプレイだったり、お客の需要も提供サービスも様々ある。「セックス」そのものと同列に扱うことは、大いなる誤解ではないか。

 そのうえで問いたい。セックスワーカー(現実には女性だけではないが座談会では女性に限定しているであろうことから、本稿でも女性に限定する)は、快楽や満足を求めて「セックス」をしているのだろうか。否、労働の対価として金銭を得るため、という答えがもっとも多いだろう。なぜ労働としての性的サービスを、「セックス」と同じもののように扱ってしまうのだろう。これではまるで、勘違いした風俗客のようだ。

 自ら望んでいないのにセックスワークに従事する以外の選択肢を絶たれたセックスワーカー、強制的な労働、病気の蔓延など健康管理や衛生面の問題など、日本の風俗産業は問題含みだろう。だからこそセックスワーカーは今以上に安全な労働環境を保護されるべきだ。労働内容を否定されるいわれはない。同時にこうした問題は性風俗に限った話ではなく、広く労働問題として捉える必要がある。その視点を欠いて、そこで働く労働者個人の問題に帰結していいのだろうか。

 上野千鶴子と座談会に参加した女性たち、「かがみよかがみ」の読者たちは、セックスワークに無縁だと、想定されているのかもしれない。だが「主体的で楽しいセックス」のクオリティを追求できる安全な場所から、セックスワークや少女売春を「そのセックス、やってて楽しいの?」などと批判するのは違うだろう。

「パパ活」女子中高生の“パパ”になる男たちは罪に自覚的か?

 読売新聞が10月12日、『軽い動機「パパ活」女子中高生に横行…性被害も』と報じた。同記事はヤフーニュースにも配信されているが、コメント数は50…

ウェジー 2018.10.19

JKビジネス根絶キャンペーン、大人たちに「売り物じゃない」「高値をつけない」周知を

 内閣府男女共同参画局は、4月を<AV出演強要・「JKビジネス」等防止月間>と定め、ウェブ上で被害防止に関する動画・ポスター・リーフレットを配信して…

ウェジー 2018.03.29

「男と女と愛」の雑で保守的なセックス観

 もうひとつこの座談会で残念に感じたことがある。上野千鶴子は冒頭、<まず、年長の世代が性に保守的だとは思わないでほしいの>と話したが、彼女がこの第1回記事で展開したセックストークは、とても保守的だった。

<上野:男と女がセックスする時は、単純な「裸の付き合い」なんかじゃないのよ。人類数千年の文化の歴史を背負ってるから。女が自由な女っていうシナリオを生きているつもりでも、男は男のシナリオのなかにいるのよね。だから、同じ行為をしていてもディスコミュニケーションが起きるの。でもしょうがないのよ、異文化接触だから。あと数世紀かかってもこの異文化の非対称性はなくならないと思う。>

<上野:だけどね。シナリオが変わらないとしても、自分のシナリオは自分で選ぶことができる。場合によっては、相手の男のシナリオに付け込んでそれを利用することさえできる。ごく稀には男のシナリオをちゃんと教育して変えさせてやることもできる。ただ、男を変えるためには、相当のエネルギーと時間がいるから、時間とエネルギーを投資するだけの男に巡り合えるかどうか、そして、投資するだけの愛があるかどうかね。愛がなくちゃやってられないし、愛がなければ女だって男を消費して、使い捨てるでしょう。>

<上野:男は欲望をあからさまに出してくるから、主体性を持っていないと女は「やらせてあげる」になっちゃう。だから、「やらせてあげた」自分に満足することになってしまうのよね。欲望の客体となって「やらせてあげた」セックスよりも、欲望の主体になるセックスの方が、クオリティは上がる。上げるためには、お互いのシナリオのすりあわせをしないといけないけど、そのすりあわせは1回や2回のカジュアルセックスじゃできないでしょう。>

 座談会の参加者たちが、「私はセックスが大好き」「私はセックスの対価にお金を受け取ったことがある」といった個人的な話をしているのに、上野千鶴子はそうではない。「男は」「女は」「人類数千年の文化の歴史」と、主語を大きくして壮大な話にしてしまっている。

 モノガミーの異性愛、つまり男女1対1の恋愛感情を基盤にした、クオリティの高い豊かなセックスこそ至高。それって随分と保守的でロマンチックだ。ヘテロセクシャル以外のセックスはどこにいってしまったのだろう。

 そもそも他人のセックスのクオリティがどうのこうの、とジャッジする態度にも疑問はある。ただこの座談会の形式は、「若い女性たちが上野先生に教えを請う」ものになっているようなので、上野千鶴子が彼女たちを含む多くの男女のセックスをジャッジする構図も仕方がないのだろう。この目新しさゼロの構図も含めて、「かがみよかがみ」編集部は何ひとつ疑問に思わなかったのだろうか。

「いいね!」「フォロー」をクリックすると、SNSのタイムラインで最新記事が確認できます。