難役ゆえに演じる俳優がいない…いつかは舞台で観たい「サド侯爵夫人」

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劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、ときに舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

 そのものズバリな情景の写実性や映像美の技術が進化した現在、生身の俳優と対峙する舞台ならではの魅力といえば、観客の想像力を喚起すること。等身大の演技や自然体のたたずまいが流行っている昨今ですが、せっかくライブで演技を見るのならば、映像だと粗(あら)が見えてしまうこともありそうなダイナミックでゴージャスな世界観のなかで俳優の存在感を満喫したいものです。

悪徳を極める夫を待つ妻

 三島由紀夫の書いた「サド侯爵夫人」は、まさにそんな作品。徹底して美を追求した三島の装飾的で膨大なセリフに太刀打ちできるスケールの俳優の少なさから、戦後史上最高傑作という評価を得ながらも、けっして上演頻度が高いといえない戯曲です。

 日本を代表する小説家であり劇作家でもある三島は、風俗劇や歌舞伎の脚本、バレエの台本など多彩な戯曲を記しています。そのなかでもっとも完成度が高いと本人も自負していたのが、サディズムという言葉の語源となったサド侯爵と、彼にまつわる女性たちを描いた同作。三島と交友のあった澁澤龍彦の著作「サド侯爵の生涯」に着想を得て執筆し、当時顧問を務めていた劇団NLTによって1965年に初演。翌年の文部省芸術祭賞を受賞しています。日本離れした圧倒的風格で海外でも評価が高く、特に作品の舞台でもあるフランスで強く愛されており、三島や澁澤も愛読した作家マンディアルグによるフランス語訳の上演が有名。1979年にはルノー/バロー劇団がフランス語版で来日公演も行っています。

 場所は1772年のパリ。モントルイユ夫人邸に招かれた、サン・フォン伯爵夫人と敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人が、モントルイユ夫人の娘ルネの夫で、性的乱交で当局から追われるサド侯爵のスキャンダルについてうわさしています。性的に奔放なことで有名なサン・フォンはサドの悪徳に酔いしれ、彼の幼馴染であるシミアーヌはかばうものの、モントルイユはルネに離婚を勧めます。ルネはその言葉に応じませんが、ルネの妹アンヌはサドと肉体関係があったこと、それを姉も知っていると告白、母を激怒させます。

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