難役ゆえに演じる俳優がいない…いつかは舞台で観たい「サド侯爵夫人」

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 6年後。ルネはサドが罰金刑で済まされるという再審の結果を聞き喜びますが、モントルイユのたくらみにより夫は再逮捕。悪徳を尽くす夫の自由をなぜ願うのかと母に問われ、ルネは「貞淑のため」と答えますが、言い争いは加速します。モントルイユは、ルネがサドとともに“汚らわしい行為”に耽っていたことを知っていると突きつけ、手をあげようとしますが、ルネの返した言葉は「私が身をくねらして喜びでもしたらどうなさる?」。

 サドが再逮捕されてから12年が経ち、1790年4月。フランス革命の勃発で王族や貴族に身の危険が迫り、アンヌは母たちにベニスへの逃亡を提案。裁判によるこれまでの判決は無効となるため、サドは釈放されましたが、ルネはシミアーヌのいる修道院へ入ろうとしていました。待ちつづけた夫が帰ってくるというときに自分が去ろうとする理由は、夫はあらゆる悪をかき集め、もう自分の手の届かない領域にいるから。自分たちが住んでいる世界は、彼の創った世界だと悟ったから。そして、年老いた物乞いのような風貌になってしまった夫が訪ねて来たとき、ルネは家政婦シャルロットに命じ、夫を拒絶します。

これまで侯爵夫人を演じた名優

 登場人物は、サド侯爵夫人ルネに母のモントルイユ夫人、その友人のサン・フォン伯爵夫人らサド侯爵にまつわる6人の女性(ちなみに「サド侯爵夫人」の戯曲は新潮文庫に収録されていますが、男性4人のみが登場する戯曲「わが友ヒットラー」と対をなしており、ともに収められています)。

 ルネは「貞淑」、モントルイユは「法・社会・道徳」、シミアーヌは「神」、サン・フォンは「肉欲」、アンヌは「女の無邪気さと無節操」、シャルロットは「民衆」をそれぞれ代表する者として描かれていますが、サド本人は、登場しません。6人から語られるサドは、ときに悪徳であり、ときには無垢なる少年。劇中のフランス貴族の着飾った衣装と同じくらいきらびやかに飾り立てられた三島の、怒涛のようなセリフで語られるのは、悪徳と貞淑との対比です。

 近年の上演でいえば、2012年に野村萬斎演出版で蒼井優が演じたルネは、貞淑さをもって夫の不道徳な行為を覆いつくす底知れなさとだからこそのなまめかしさが、セリフにもある「貞淑の怪物」そのものでした。また、2008年に鈴木勝秀が演出した男性キャストのみの上演では、ルネ役の篠井英介(篠井は1990年にも、男性キャストのみの同作でルネを演じています)は、男性であることが過剰な虚構を積み重ねた世界観のなかで逆に説得力があり、知的なたたずまいとともに、母モントルイユとの対峙で、リアリティとスケールを感じさせていました。

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