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「チョップまでならアリ」体罰指導を容認するメディアや保護者たち

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「Getty Images」より

 学校の部活動やクラブチームでの“指導”と称した体罰の表面化が後を絶たない。

 今月2日、熊本県立済々黌(せいせいこう)高校の元生徒が、ソフトテニス部で丸刈りを強制され不登校になったとして、県を相手取った裁判の第1回口頭弁論が行われた。元生徒が県に要求している賠償金は1円。つまり賠償金が目当てなのではなく、学校の風習を改めることを目的とした裁判だ。

 報道によると、元生徒は済々黌高校に入学後、応援団から屋上に呼び出され、大声で30分以上も校歌を歌わされたという。また入部したソフトテニス部では、部の先輩から指導として強制的に丸刈りにされた。学校側も丸刈り強制を認めており、100年以上続く部の伝統となっていたようだ。済々黌高校は熊本県トップの高偏差値を誇る進学校である。

 その後、元生徒は精神的苦痛から不登校になり、学校から進級の不可を告げられたため、退学。学校は適切な対応を怠ったと、原告側は主張している。一方の学校側は、丸刈り強制と元生徒が不登校になったことに因果関係はなく、学校の対応は適切だったと主張する。学校という空間では、指導や伝統の名のもとに、他者を強制的に丸刈りにする人権侵害行為が容認されてしまうのだろうか。

 そもそも教職員から生徒・児童への体罰は、学校教育法で禁止されているが、学校の部活やクラブチームなどのスポーツの場では、上の者から下の者への暴力行為や体罰指導が後を絶たない。体罰を受ける側の生徒や児童の保護者も「強くなるために体罰は必要」と、容認する傾向にある。

 今年5月に、尼崎市立尼崎高等学校(兵庫県)の男子バレーボール部や軟式野球部で、コーチを務める臨時講師が部員に体罰を加えていたことが発覚したが、このとき保護者の間ではコーチの早期復活や、体罰を肯定し厳しい指導がなくなることを懸念する声が出たという。体罰を受けた部員は鼓膜が破損、一時的に意識を失うほどの大怪我を負ったにもかかわらずだ。

体罰が外部に漏れないように保護者が「誓約書」を作成

 7月に大分県の小学生女児バレーボールチームでの体罰が発覚した際も、一部の保護者は体罰を容認し、外部に漏れないように手を尽くしていた。女児に体罰を加えたのはチームの監督で、監督は小学校の校長でもあった。

 監督は女児2人に対して、態度が悪いという理由からグラウンドを10周走らせ、平手で頭を叩いたという。チームの関係者は、県小学生バレーボール連盟に体罰を相談するが、連盟は被害者やその保護者に事情聴取をせずに「体罰はなし」と判断した。

 さらに一部の保護者は連盟に体罰が報告されたことを知ると保護者会を開いた。保護者会では、告げ口をしたのは誰かという犯人探しや、体罰の事実を外部に漏らさないための誓約書が配られたという。毎日新聞の報道によると、配られた誓約書には以下の条件が記載されていた。

  • 1. 指導者の批評批判は一切しない
  • 2. 他の保護者や子ども達への批評批判、傷つける言動や行為は一切しない
  • 3. クラブ活動におけるケガや事故が起こった場合、他人を追求しない
  • 4. チーム内で起こったことを公言しない
  • 5. チームワークを乱す行為をしない
  • 6. 指導者、保護者、チーム全体について、関係協会や団体等に訴える行為を一切しない

学校での体罰は明確に禁止されている

 大分の体罰問題を取り上げた情報バラエティ番組『バイキング』(フジテレビ系)では、出演者のブラックマヨネーズ・吉田敬が「体罰は必要だ」と持論を述べていた。吉田の発言を発端に、番組では体罰の許容範囲についての議論が展開された。

<体罰を全部なくす必要はないと思っている>
<先生が手を出さないと調子にのるやつもでてくる>
<チョップまでならアリ>

 なぜ、保護者は体罰を容認するのか。その一因に、自分も体罰がある環境で育ったからというものがあるだろう。しかし、体罰が子どもの脳を委縮、変形させ、健全な成長を阻害することが国内外の研究で明らかになっている。もっとも影響を受けるのは、脳の「前頭前野」という部分で、ここは感情や思考をコントロールする役割を担っている。その危険性を理解してもなお、体罰による指導やしつけが必要だと言えるのだろうか。

 前出『バイキング』のように、体罰禁止の話になると、「どこからがダメでどこまでならOKなのか」という許容範囲の話になりがちだが、そもそも、子どもの指導方法から体罰という選択肢を外せないものだろうか。

 平成30年度文部科学白書には、このように明記されている。

<体罰は,「学校教育法」により厳に禁止されており,児童生徒の人権の尊重という観点からも許されるものではありません。また,体罰は,違法行為であるのみならず,児童生徒の心身に深刻な悪影響を与え,教員等及び学校への信頼を失墜させる行為であり,児童生徒に力による解決への志向を助長させ,いじめや暴力行為などの連鎖を生むおそれがあります。>

 2011年、大阪市立桜宮高バスケットボール部の主将だった男子生徒が顧問に体罰を受けて自殺した事件は、メディアでも大きく扱われた。この事件を受け、文部科学省は「体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底」を通知。ここでもまた、<体罰により正常な倫理観を養うことはできず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの連鎖を生む恐れがある>と明示し、正当防衛を除き、暴力による懲戒ではなく粘り強く指導すべしとあった。「チョップまでならアリ」などといった、暴力を正当化する基準はどこにもない。「体罰を全部なくす必要」があるのだ。

 だが一方で、教育現場には教員の過重労働問題もある。生徒ひとりひとりと信頼関係を築き粘り強い指導を続けることは理想だが、そのためのリソースが足りていないという問題もあろう。暴力を伴う指導で生徒を黙らせることは簡単だが、生徒に話して聞かせて理解を得ることは容易ではない。

 だからこそ教員の重すぎる負担を減らし、より良い指導のできる環境を整えていかなければならない。暴力・暴言を用いらずに子どもを指導していく方法も教員ひとりひとりの試行錯誤に頼りすぎず、効果的なメソッドの共有があってしかるべきだ。学校での体罰が事件化するたびに体罰の許容範囲どうこうといった些末な議論をしていても何の意味もないだろう。

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