母の再婚相手は子どもたちを殴り続けた。芸人の卵が受けた虐待

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虐待サバイバーは夜を越えて

 おとなの暴力や育児放棄により虐げられて育った子どもも、いずれ「おとな」になる。本連載では、元・被虐待児=虐待サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイバーたちへの取材を元に「児童虐待のその後」を内側からレポートする。

 だれにでも、多かれ少なかれ「心の傷」というものは、存在するのかもしれない。同じ傷を抱えた男女が一緒に生きていくのは、はたして幸せなことなのだろうか。

 「虐待経験を打ち明けたことがきっかけで結婚した夫婦がいます。だんなさんも奥さんも、親から虐待されていたんですよ」と知り合いのライターから紹介されたとき、まっさきに浮かんだ疑問がそれだった。

福本浩平さん(仮名)28歳、お笑い芸人の卵
麻衣さん(仮名)30歳、ヨガスタジオ勤務

 ふたりは、2018年9月に入籍した。

 虐待を受けて育つと、安心できる愛され方、愛し方がわからないときがある。だからこそ、同じ境遇のふたりが出会ったときは、「周囲からは理解されない価値観」を共有できる心強さもあるだろう。ただし、それが同時に脆さであることも確かで、傷つけ合い、共倒れになってしまうこともある。

 わたし自身も、母親から暴力を受けて育った。そして学生時代に、複雑な家庭で育った同級生との恋愛で失敗している。「お前といると心中しそうだ」とその人は言った。前回取材をさせていただいた佐久間綾さん(仮名)もまた、両親とうまくいっていなかった恋人と別れ、虐待とは無縁の世界にいた夫を伴侶に選んだ。

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母の再婚相手は子どもたちを殴り続けた。芸人の卵が受けた虐待の画像3 ウェジー 2019.07.03

 だからこそ、このふたりがなぜ人生を共にすることを決めたのか、どうしても知りたかったのだ。それは、過去にハリネズミのジレンマを乗り越えられなかった人間の憧れにも近いのかもしれない。

他人の視線が怖かったツッコミ芸人

 今年のゴールデンウイークに突入した4月下旬の午後。新宿の個室喫茶店に、福本は「これからライブなんで」と、衣装のスーツが入った鞄を抱えて現れた。

 大柄でぽっちゃりした体型、つぶらな瞳の素朴な顔立ちにはどことなく人を安心させる雰囲気があった。わたしが最初に連想したのは、レイモンド・ブリッグズの絵本『スノーマン』に出てくるあの雪だるまだった。お笑いコンビを結成して9年目。都内で行う単独ライブでは、定員70人の会場が90人以上のお客で埋まるまでになったという。芸能プロダクションへの仮所属の話も出ており、一歩一歩進んでいるという確かな手ごたえを感じている。

 だが、福本ほどスポットライトを浴びる舞台が縁遠かった男もいないだろう。小学5年生まで義父から暴力を受けて育ち、人の目を気にするあまり「視線恐怖症」に悩まされていた。虐待の後遺症に苦しむ福本を救ってくれたのがこの“お笑いの世界”と、同じく“虐待経験を持つ妻”だという。いったいどんな出会いが彼を変えたのか。

 知人のライターを通してインタビューの依頼をしたところ、快く引き受けてくれた。最初は「ヨメも一緒に」とのことだったが予定が合わず、まずは一人で話を聞かせてもらうことになった。急いで来てくれたのか、その額には汗がにじんでいる。まずはどんな虐待を受けていたのか伺いたいと伝えると「お役に立てるかわかりませんが……」と、遠慮がちにウーロン茶に手を付けたあとで、生い立ちを語り始めた。

父親の違う4人きょうだいの長男として

 福本が生まれたのは、名古屋のベッドタウンとして発展した街。2005年には、「愛・地球博(愛知万博)」の開催地のひとつにもなった。西側には市の主要機関や大型商業施設、東側には自然豊かな山々や史跡が広がっている。福本の家はその街部の中心にあり、子育てをするには便利で恵まれた立地だった。

 しかし福本家の子どもたちは、父親には恵まれていなかったらしい。福本は、母親のことをこう話す。

「息子であるボクが言うのもナンですけど、男運はないな……と思ってましたね」

 母親は2回再婚し、父親の違う4人の子をもうけた。長男である福本と次男は最初の夫との子ども。2番目の夫とは子をなしておらず、長女と次女は3人目である現在の夫との間にできた子どもだった。

「2番目の人は暴力も多かったです。常に怒っている印象があって、ゴミの入ったゴミ袋を投げつけてきたり、タバコの火を近づけてきたりしました。で、8歳になったころ、気づいたら3人目――今のオヤジですね――に引き取られてました。後から知ったのですが、2人目のDVがひどくて母親が今のオヤジのところに逃げこんだみたいなんです」

吐くまで蹴られても自分を責めた

 暴力から逃れて再々婚をしたはずが……蓋を開けてみれば現在の父親も苛立ちを子どもにぶつけるタイプの人間だった。

 母親が三度目の結婚をした男は、大卒で大手製薬会社にMRとして勤務していた。MRとは、病院で処方される「医療用医薬品」を扱う、いわば製薬会社の営業・広報マンだ。病院や調剤薬局などに頻繁に足を運び、自社の薬や医療機器を勧める。また現場で出た効果や副作用についても、ヒアリングして持ち帰り製品の向上にもつなげていく。まさに医者と互角に渡り合える知識と、高いコミュニケーション能力が求められる仕事だ。

 そんな仕事についていた父親は優秀な人だったのだろう。もしかしたら、同じ素養を幼かった福本にも求めたのかもしれない。“しつけ”は厳しかった。

 父親は勉強を教えてくれたが、福本が上手く答えられないと、鉛筆を持っている手の甲を鉛筆で突き刺された。トイレに行くために父親の部屋の前を歩けば、「うるさい、もっと静かに歩け!」と怒鳴られる。倒れて嘔吐するまで、腹を蹴られることも日常的にあったという。今でこそ大柄な福本だが、小学校3~4年生まではガリガリに痩せていて身長も低かった。

「なんでボクはこんなに怒られるんだろう。どうしたらもっと褒められるようになるんだろうとか、理不尽なことでも、ぜんぶ自分を責めてました」

 二代目、三代目と父親が代わっても、自分は殴られ続けている。これはどうしてなのか?

 理解ができなかった福本は、その理由が自分にあると考えるようになった。それは自分を責め続けるのに等しい、辛い作業だっただろう。しかし、今では見方が変わったという。福本はまるで他人事のように穏やかな口調で話した。

「そのときのオヤジは、23、24 歳とかでまだ若かったんですよ。自分の子でもないボクと弟が急に家に来て、単純に育て方がわからなかったんじゃないですかね。ボクは今も笑い話でオヤジに言ったりしますもん。昔はボクが歩いているだけで蹴ったよね、とか」

 これには少し驚いた。今まで話を聞いてきた虐待サバイバーの場合、自分を攻撃してきた相手に当時のことをあっけらかんと話せるというケースは極めてまれだったからだ。ましてや、暴行されたことを笑って話すだなんて。たいていの場合は、当時のことを語り合えないまま親の死を迎えたり、絶縁したりする。

 福本は、どうしてそんなに物分かりがよく、冷静なのだろう。わたしは、福本がすでに父親と和解しているのだと予想した。しかし、答えはそれを裏切るものだった。

「だってボク、オヤジを家族と思ったことないですもん」

「フルハウス」のお父さんになりたくて

 歴代の「オヤジ」は、愛着のある家族ではない。あくまで“今食べさせてくれる人”だと心の中で一線を引いていた福本。だからこそ理想の「お父さん」像を追い求めていたし、幸せな家庭への憧れも強烈なものだった。

 理想のお父さんは、アメリカのコメディドラマ『フルハウス』の中にいた。日本でも1987年から1995年にかけてテレビ放送された人気番組だ。3人の女の子を抱えた父親が事故で妻を失い、それを心配した義弟と男友達が家族として加わる。彼らは「3人のお父さん」(あるいは「おじさん」)として、ときに失敗し泣き笑いしながら子どもたちを育てていくのだ。

 福本は、この番組を小学1年生のときから憧れの眼差しで見ていた。

「優しいけど『ルールは守らなきゃダメだぞ』っていうちょっと厳しめのお父さんと、笑いで色々楽しませてくれるお父さん、本当のお父さん。自分はあの全員が合わさったお父さんになりたいと思っていました。『将来はコレになるんだ』と決めていたから、目の前のオヤジのことはどうでもよくなっていました」

 家の中で常に緊張を強いられていたこともあり、それを解きほぐしてくれる「笑い」も父性の大切な要素として映ったのかもしれない。

 当時福本が住んでいた名古屋といえば、大阪と東京の中間地点であり東西の“お笑い文化”も入ってくる土地柄。90年代は東京を皮切りに、全国で吉本興業の専用劇場が設置されはじめたころでもあった。

 福本が小学校1年生だった1997年には、息は短かったものの名古屋市内に「吉本栄3丁目劇場」もオープンした。土曜の昼には「吉本新喜劇」も放送されていた。

 福本のお気に入りは、「とにかくアゴがおもしろかった」という辻本茂雄だった。生活にはいつも“笑い”があった。

 そのうち福本は、今いる弟や妹たちの「親父」にもなろうと決意する。

 小学2~3年生の遊びたい盛りにもかかわらず、妹たちのオムツを替えたりお風呂に入れたりと誰より「親らしく』あろうと努めた。子ども部屋で小さなテントを立てて、4人でそこに入って絵を描いたこと。冒険ごっこをしたこと。弟が後ろをチョコチョコついてきたことは、昨日のことのように思い出す。福本はめずらしく真顔になって、「あいつらをあんな親父に取られたくなかったんです」ときっぱり言った。

 しかし、父親が帰ってくれば、かわいい弟は相変わらずうずくまって殴られている。福本自身は5年生になるころには、体もたくましくなり暴行されることはなくなった。だが、まだ父親に歯向かうほどには力がない。弟の泣き叫ぶ姿をただ見るしかなかったのは、自分が痛めつけられる何倍も辛かった。

「その当時は、親父に負けたくないって思いが強くて、そればっかり考えていました」

 妹たちは父親の実の娘になるため、手を上げられることこそなかったが、このままでは幸せになれる気がしない。愛する弟や妹を笑顔にするため、父親に勝つためには、もっと自分が完璧で“穴のない”人間にならなくてはいけない。「失敗」を極度に恐れるようになったのは、このころからだろうか。

 失敗をしたら、きょうだいが不幸になってしまう。

 失敗をしたら、幸せになれない。

 無意識にプレッシャーをかけ続けた。そして気がつけば、心の中にコントロールできない不安が渦巻くようになっていた。

クラスメイトの視線が怖くて、黒板に字が書けない

 小学校の高学年ごろから、クラスメイトなど他人の視線が異常に気になりはじめた。算数の授業中に問題の答えを黒板に書こうとする。しかし、背後からみんなが見ていると思うと頭が真っ白になり、手が震えて文字が書けなくなるのだ。

 最初は先生が冗談めかして「お前手ぇあげたじゃねえかよ」とからかい、福本も「すみません」と謝ることでやり過ごしていた。

 あがり症なのかな? あまり気にせず明るく振る舞っていた福本だったが、同じ状態が何度も続けば、さすがに自信を失っていく。ボクはこんなに簡単なこともできないのか。そんな自分をさらに誰かが見つめている。ボクを嘲っているのかもしれない。

 そのうち他人の視線を意識しすぎて耐えられなくなり、店に一人で入ることも、横断歩道を一人で渡ることもできなくなっていた。父親の転勤で神奈川県に転居したが、学校が変わってもその辛さは変わらない。中学生になるころには、うつむき背中を丸めて歩く、内気な少年ができあがっていた。

暴力で「不安を感じる」脳が変形する

 他人の視線を恐怖に感じるあまり、日常生活にも支障を生じる――。これはわたしたちにも起こり得る症状なのだろうか。そしてその「視線恐怖」は、虐待と関係があるのだろか。

 精神医学の世界では、「社会不安障害」(または社交不安障害/SAD=Social Anxiety Disorder)の症状として、福本のような視線恐怖を挙げている。また思春期に起こりがちな現象でもあるそうだ。

 原因としては、ひと昔前までは「内向的だから」「自意識過剰だから」などと性格的な問題として片づけられていた。しかし最近では、脳内で精神を安定させる働きをもつ「セロトニン」のバランスが崩れているという説や、恐怖や不安に関係する脳の「扁桃体」という部位が過剰に反応しているという説もある。

 そして、その「扁桃体」の働きをコントロールしているのが、「前頭前野」である。

 前頭前野については、興味深い研究結果がある。『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版)の著者である福井大学の友田明美教授の研究結果だ。4~15歳のあいだに、頬への平手打ちなどによる体罰を経験したアメリカ人男女の脳を調べた際、厳しい体罰を経験したグループは体罰を受けたことのないグループと比べて、前頭前野の容積が部位によって平均14.5%~19.1%も小さくなっていたそうだ。

 虐待と「社会不安障害」、また「視線恐怖」との関係は、無縁とは言い切れないだろう。

 これらは、いまでは精神科や心療内科の治療対象となっている。薬物療法では、セロトニンの働きを改善させる目的のSSRI(抗うつ薬)や抗不安薬、薬を使わない治療法としては認知行動療法などが有効とされている。

 だが、それを知らなかった福本は、まったく別の方法で「視線恐怖」を乗り越えようとした。

 それが、「お笑い芸人になる」という道だった。

※参考 『よくわかる社会不安障害』(山田和夫監修/主婦の友社) 『子どもの脳を傷つける親たち』(友田明美/NHK出版)

 

【第二回へ続く】

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