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「虐待経験を笑われて安心した」否定でも過度の同情でもなく

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虐待サバイバーは夜を越えて

 「虐待経験を打ち明けたことがきっかけで結婚した夫婦」の夫側である福本浩平さん(仮名・28歳、お笑い芸人の卵)。4人きょうだいの長男として育ったが、母の再婚相手も、再々婚相手も、福本さんと弟に熾烈な暴力をふるった。

 アメリカのコメディドラマ『フルハウス』に出てくる父親たちに憧れた彼は、やがてお笑い芸人を志すようになる。

母の再婚相手は子どもたちを殴り続けた。芸人の卵が受けた虐待

 おとなの暴力や育児放棄により虐げられて育った子どもも、いずれ「おとな」になる。本連載では、元・被虐待児=虐待サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイ…

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「虐待経験を笑われて安心した」否定でも過度の同情でもなくの画像3 ウェジー 2019.12.26

お前、それどこでパクッてんの?

 子どものころから少し耳の聞こえが悪かった福本は、耳鼻科での通院と手術で学校を欠席することも多かった。部長となった中学のバスケットボール部でもうまく振る舞えず、さらに学校から足が遠のいてしまう。

 結果、不登校の一歩手前の状況に。3年生の夏、担任教師からは「出席日数が足りないから、全日制の高校に進学するのは厳しい」と通告されてしまう。「今から必死に勉強すれば、最低ランクの高校には入れるかも」とフォローはされたものの、どうしても勉強が好きになれなかった福本は、夜間に通う定時制高校への進学を決めた。

 完璧な人間を目指すために勉強を頑張る……という手もあったのかもしれないが、そこは福本もまだ若かった。嫌なモノは嫌。頑固な一面もあったのだ。

 ともかく定時制高校への進学が、お笑い芸人への道を開くことになった。

 ひと昔前までは、夜間の定時制高校は「荒れている」というイメージがあったかもしれない。しかし、福本の進学した学校は、和気あいあいとしたものだったという。

「基本的には、ヤンキーか引きこもりしかいませんでした。なのに意外……と思われるかもしれないですけど、イジメとかは本当になかったです。ただヤンチャしてるだけのヤツは、教室で楽しく話してたし、本気でケンカをしているヤツは引きこもりの子は相手にしないんです」

 もともとは戦後の1948年に、働く青少年たちのためにできた定時制高校。そこから約70年の歳月が経ち、教室の雰囲気も変化してきている。多くの学校が大学のように4年制で単位制のところも多く、授業ごとに周囲の顔ぶれが変化する。人間関係が固定化されないのも、いじめが起きなかったひとつの理由だったのかもしれない。

「定時制に行ってよかったなと思ったのは、まわりが同じ境遇のヤツばかりだったんですよ。話聞いてみたら片親だったり、親に暴力振るわれてたりとか」

 相変わらず他人の視線は怖かったが、同じような修羅場を潜り抜けた者同士だと思えば親近感も湧いた。特に休み時間は楽しいものだった。

 マンガ好きだった福本は、『スラムダンク』や古いマンガをよく学校に持ち込んでいた。それをヤンキーの生徒が「読みたい」と借りにくる。福本は気前よく3、4冊を渡した。それが何週間も続いたときに、そのヤンキーは不思議そうにこう尋ねてきたのだった。

――お前、これ毎回どうやってパクッてんの?

「思わず笑っちゃいました。お前らには『買う』っていう選択肢はないのかよ!と」

 ヤンキーと引きこもりという異文化コミュニケーション。このやり取りが、福本のツッコミの原型となったのかもしれない。マンガの一件以降、休み時間になると福本のまわりにはいろいろな生徒が集まってくるようになった。ヤンキーや引きこもりもいれば、少数ではあるがすでに定年退職したような年上の生徒もいる。

「みんながボケてくれるから、こっちもがんばってツッコんでましたね」と照れ臭そうに笑う。今思えば、ツッコミの「千本ノック」だ。そんなある日、男子生徒の一人が近づいてきてこう言ったことが転機となる。

――福本は、面白いから芸人になればいいのに。

 無力感や視線恐怖症で自信を失っていた福本の心に、光が差した瞬間だった。校内には、大学進学ではなくファッション業界や音楽業界を目指す者も多かった。子どものころからお笑い好きで、吉本新喜劇をかぶりつくように見ていた[y1] 福本は、ここではじめて自らが「笑いの供給側」に立つことを意識するようになる。そこには、視線恐怖症を直したいという願いもあった。

「芸人って、すごく人から見られる仕事じゃないですか。病気直しじゃないですけど、芸人さんになってみようって」

 オリジナルのショック療法ということだろう。

 視線恐怖を含む「社会不安障害」は、長期化するとうつ病やパニック障害、アルコール依存症などを併発するリスクがあるという。近年では精神科や心療内科での治療がすすめられていることを考えると、福本のこの選択は、本人の言う通りかなりの荒療治かもしれない。

 それまでは保育士を目指していた福本だったが、3年生の三者面談で突然芸人になると宣言する。世間体を気にする母親はうろたえたが、福本は揺るがなかった。

深夜のファミレスで身をよじって笑う相方

 70年代まで、お笑い芸人を目指す若者たちは、師匠のもとに弟子入りするのが一般的だった。そのスタイルを一変させたのが、1982年に大阪で開校した吉本興業の吉本総合芸能学院、通称NSCである。

 第一期生としてダウンタウンというスター芸人が生み出されたことから、後に続けとばかりに若者が殺到。その後は数々の「芸人養成所」が設立された。最近ではYouTubeなどの動画サイトやSNSから馬脚を現す芸人もいるが、やはり王道は未だ養成所にある。どこの養成所でも一定の審査はあるが、レッスン頻度によって年間30万円~100万円代で入所することができる。

 さまぁ~ずに憧れて、19歳でホリプロが経営する芸人養成学校「目黒笑売塾」に入った福本。入所後は、ダンスやトークなどの練習もあるが、基本はひたすら漫才やコントをつくり、講師やほかの生徒の前で披露する「ネタ見せ」の日々。視線恐怖に苦しんでいた福本は、最初のネタ見せの記憶をこう語る。

「一番最初のネタ見せは、過去のM-1から好きな芸人さんのネタを丸々コピーして、漫才を体感しよう!みたいな感じでした。ボクはまだ相方がいなかったので、余っていた同い年の人と組んでやったのですが、めちゃくちゃ緊張しましたね。ネタをやって笑かしてやるというよりは、台本をちゃんと覚えた通りできるかどうかだけを考えてやってました。緊張しすぎて余裕もなかったので、ウケとかはどうでもよかったのが正直なところです」

 「講師の視線が怖い」と感じるよりも、「覚えたことがきちんと話せるか」という緊張がはるかに上回った。確かに、ショック療法といえばショック療法だろう。

 現在の“相方”である小野寺龍之介(仮名)とも、この養成所で出会った。福本がツッコミ、龍之介はボケ。養成所といえば売れるために熾烈な生き残り合戦が繰り広げられる、相方は戦友であり運命共同体だ。二人の距離は自然と縮まった。

 はじめて虐待の過去を打ち明けた相手も、龍之介だった。

 それはコンビを結成したばかりのころ。深夜のファミリーレストランで、福本と龍之介は膝をつき合わせてコントのネタを考えていた。なかなかアイデアが浮かばないときには、ネタの素材として重宝する定番ジャンルがある。その一つが子ども時代の思い出だった。

「じゃあさ、福本の子ども時代ってどんな感じだったの?」

 何気なく飛び出した龍之介の問いに、福本は息が詰まる。かわいいきょうだいとの思い出はあれど、同時に、殴られ蹴られる哀しさや、食べ物のない惨めさも噴き出てきたからだ。しかし、相方を半ば友人のように感じていた福本は、このとき勇気を出してはじめて口を開く。

「実はオレさ……、親父からいつも吐くまで蹴られてたんだけど、その日は絶対吐きたくなくてさ」

「え、うん……」

「なんでかって言ったら……」

「うん」

「オレの大好きなウナギを食べたから」

 その瞬間、大きな声とともに、腹を抱えてゲラゲラ笑う龍之介の姿があった。

 福本は意表を突かれた。そして湧いてきたのは、ある種の安心感だった。

「あ、これって面白いことなんだって思えましたね。ネタになるんだというか。まぁライブやテレビじゃ、たぶん披露できないですけど(笑)」

 本人に自覚があるかはわからないが、これはとても幸運な経験だったのではないだろうか。

 虐待サバイバーにとって、最初に誰にカミングアウトをし、どう反応されるかは、その後の運命を決めると言っても過言ではない。せっかく勇気をふりしぼって告白しても、親に対して否定的な考えを持つことを咎められたり、考えすぎではないかと取り合ってもらえなければ、自分のこれまでを否定されたと感じて心の扉を閉ざしてしまうからだ。

 一度そうなってしまうと、次に誰かに語るときには、何倍もの勇気が必要になるだろう。心を病んだり、自らの命を絶とうとしたときに、友人やまわりのオトナから「なんで相談してくれなかったの」と嘆かれたとしても、それは言わなかったのではない。言えなかったのだ。

 また過度な同情で傷つくこともある。ましてや福本のように完璧な人間を目指したものにとっては、自分の無力感をつきつけられる最悪のリアクションとなったかもしれない。

 それにしても、デリケートな告白を大爆笑で打ち返すというのは、なかなか勇気のいる技だ。龍之介は、当時どう感じていたのだろう。わたしは、福本から龍之介の連絡先を聞き、本人に直接聞いてみることにした。

ひとの告白を敢えて「一緒に笑う」こと

 龍之介に電話をかけ「虐待の取材に協力してほしい」と伝えると、開口一番「ボクの一番許せない犯罪は、幼児虐待とか性犯罪です。弱い者に向けた暴力は、ニュースを見ていても胸糞悪くなりますよ」と怒りをあらわにする。

 コントのときは、1枚の百円玉を拾うためだけに真冬の川に服を着たまま飛び込むなど、奇行にも近いボケ味の龍之介だったが、舞台を降りれば地に足のついた考えの持ち主でもあった。

 しかし、いよいよ虐待を打ち明けられたときのことを尋ねると、ようすがまるで違う。

「うーん。……なんか……おもしろく聞こえちゃったんですよねぇ……」

――おもしろく聞こえちゃったって!? 一体どういうことなんですか?

「実はこの業界にいると、芸人仲間や先輩から複雑な家庭環境の話を聞くこともよくあるんです。でもみんなプロなんで、そういう話をはじめたら湿っぽくしないで、どこかしらでオチをつけるんですよ。ANZEN漫才のみやぞんさんが実は韓国国籍だったって話もそうですけど、行きすぎた話や逸脱した話はどうしても面白いし、緊張と緩和がすごい。福本も芸人のはしくれなんで、そのへんを意識して話してたと思いますよ」

 芸人としての習い性が、深刻な話もエンタテイメントに変えてしまうということだろうか。しかし、話芸として単純に面白くない、いわゆるスベった場合などは、どうリアクションするのだろう。「そこは笑ってやるのが思いやりということもありますか」と尋ねると、「それはあるかもですね」という言葉が返ってきた。

 しかし、それは芸人の世界に限ったことではなく、一般の相手にも通じるものだと龍之介は言う。

「大学時代に仲のよかった女の子がいたのですが、家庭環境が複雑で『母親のことは結婚式にも呼ばない』と断言するほどでした。みんなは触れなかったけど、そこをイジってあげると彼女も喜ぶんですよ」

 そういえば、わたしが虐待の経験を話すときも、相手が悲しそうな表情をすると「この人にまで哀しみを移してしまった」と罪悪感を抱くことがよくある。と同時に「この人とは違うのだ」という壁を感じる。龍之介のようにその事実を一緒に笑うということは、ある意味、相手の隣に座って同じ視線に立つということなのかもしれない。

 相手によっては傷つくこともある“リアクション”ではあるが、この距離感に学ぶところは大きいように思う。

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