
虐待サバイバーは夜を越えて
「虐待経験を打ち明けたことがきっかけで結婚した夫婦」がいる。ここまで夫である福本浩平さん(仮名・28歳、お笑い芸人の卵)に話を聞いてきた。今回は妻の麻衣さん(仮名・30歳、ヨガスタジオ勤務)と暮らす新居へお邪魔し、ふたりの出逢いと麻衣さんの過去を聞いた。
福本さんは4人きょうだいの長男として育ったが、母の再婚相手も、再々婚相手も、子どもたちに熾烈な暴力をふるった。麻衣さんも5人きょうだいの長女だ。直接的な暴力こそなかったが、両親は育児に関心を示さなかったという。いわゆる、ネグレクト(育児放棄)である。
母の再婚相手は子どもたちを殴り続けた。芸人の卵が受けた虐待
おとなの暴力や育児放棄により虐げられて育った子どもも、いずれ「おとな」になる。本連載では、元・被虐待児=虐待サバイバーである筆者が、自身の体験やサバイ…
「虐待経験を笑われて安心した」否定でも過度の同情でもなく
「虐待経験を打ち明けたことがきっかけで結婚した夫婦」の夫側である福本浩平さん(仮名・28歳、お笑い芸人の卵)。4人きょうだいの長男として育ったが、母の…
自分をさらけだしたら嫌われるんじゃないか
視線恐怖症を乗り越えるべく、芸人として走り始めた福本だったが、プライベートではもう一つ悩みがあった。もう24歳になるというのに、女性と交際をした経験が一度もないことにコンプレックスを感じていたのだ。
気になる相手ができることは頻繁にあったが、「自分をさらけだしたら嫌われるのではないか」という恐れから踏み出せないでいた。父親が何度も変わっていること、暴力を振るわれてきたこと、そこで自分がきょうだいを助けられなかったこと、部活や勉強でコンプレックスを抱いていたこと。明るいふるまいの裏には、知られたくない無力感が山積みだった。
辛い気持ちを吐き出したくて、福本はブログをはじめた。アメブロで普段の自分とは違う金髪のアバター。芸人であることは特に打ち出さず、内容はきょうだいと出かけた場所や、その日のおやつなど他愛もないことばかり。「たいして売れてもいないのに、芸能人ぶって見られるのは嫌だった」からだと語る。
「あとボクは明るい人間じゃないので、まぁその自分が辛かったこととかを誰かに見てほしいというのもありました。3年間毎日更新していましたが、見てくれる人がどんどん増えていって楽しかったです。平均で毎日700人ぐらいが来てくれていたみたいです」
その中で気になる女性が現れる、それが「麻衣」だった。麻衣は積極的な子で、「ぼくのことが好きなのかな、というのは何となくわかっていました」と福本はいう。
自分の葛藤を書いた記事も読んだ上で、麻衣は関係を続けてくれているのだから、この内気な性格も受け入れているはずだ。しかしフラれて失敗したらという恐れから、自分からアクションを起こす勇気は持てなかった。ブログやtwitter、LINEなどでのやり取りが半年以上続いたころ、福本はこの状況を龍之介に相談する。すかさず「会ってみればいいじゃん」と龍之介。
「絶対行ってこい、失敗してもネタになるから」
と尻を叩かれ、送り出された。
気がつけば横浜の海で暗くなるまで
麻衣は横浜に住んでいるという、福本は川崎。電車で10分もかからない距離だ。
真冬の横浜駅。ダッフルコートを着て現れた麻衣は「ボクにはもったいない」と福本が躊躇するほどに、かわいらしい女性だった。聞けば、都内の百貨店で美容部員をしているという。「横浜を案内しますね」と導かれるままに、海を目指して歩いた。ふだんは人見知りの福本だったが、麻衣は聞き上手で不思議と話が弾んだ。
海をのぞむ公園のベンチ。気づけば人に明かしたことのなかった過去の話がとめどなくあふれてきた。夢中で話した。寒風が吹きすさぶ中、麻衣はそれをぜんぶ頷いて聞いてくれた。一緒にお昼を食べるはずが、気がつけばあたりは薄暗くなっている。もう夕方だった。
「鎌倉パスタ食べようと思ったのに、こんな時間になっちゃったね」
おかしそうに麻衣が笑った。
そのとき福本は思った。この人には何でも話して大丈夫、ボクを解放してくれる存在かもしれない。なんとも言えない安堵感だった。
「この世界に、ボクのことをちゃんと好きでいてくれる人が存在するんだ」と震えた。24年間の恋人いない歴に、終止符が打たれた瞬間だった。
「彼女はボクの全部を肯定してくれるんです。ボクは自信がないのもあって、猫背でうつむいて歩くのがくせなんですけど、それを見ても『かわいいよ』って言ってくれる。ぜんぶほめてくれるんです」
まさに天使のように見えた。
しかし、同時に不思議でもあった。どうしてこんなにいい子がボクなんかを?
こんなにとんとん拍子で幸せになってよいものだろうか?
実は、麻衣は麻衣で、幼いころからの重荷を抱えていたのである。
電車に揺られてふたりの新居に
新宿駅から30分ほど電車に揺られて、待ち合わせの駅に着く。この街には、ふたりの新居がある。
改札を出たところで迎えにきてくれた福本に気づくと、その横からスレンダーな女性がひょっこり顔を出した。麻衣だ。華やかな顔立ちに、ファッション誌のような服装とメイクがよく似合う。ブラウンのミディアムヘアに、ベージュ系で統一されたカットソーとロングスカート。華奢な指先で持つコーヒーの紙コップまでが、麻衣を引き立てるための小道具かのようだ。ふたりが並ぶと、美女と野獣…というか、美女と森のくまさんだ。
「遠くから、わざわざすみません。歩くと結構かかるんでタクシーで行きましょうか」
笑顔で気配りをしつつ、テキパキとしゃべるようすに、麻衣が対面の接客仕事を長いことしてきたのがわかる。今はヨガのインストラクターを目指しているという。
「この街並みがちょっとレトロな感じが好きなんですよね。物価も安いし、日常生活のたいていのものは近所でそろいますよ」
3人でタクシーに乗りこんだあと、麻衣はうれしそうに目を細めて車窓の景色を追う。大通りを脇道に入り、こじんまりとはしているが見晴らしのよいマンションの前で車はとまった。隣の戸建てには、黒塗りのベンツが駐車されている。「家賃、お高いんでしょう?」わたしが茶化すと、麻衣は「そんな」と謙遜して、「ふつうの相場からはだいぶ負けてもらったんですよー」と振り返って苦笑した。
ダイニングテーブルに、手土産に渡したウエハースを出して一緒に食べた。近況報告を兼ねての雑談がひと段落ついたとき、麻衣は言葉を一言一言探すようにしながら、子どものころに感じていたことを語りはじめた。
ギャンブル狂いの元競艇選手
麻衣は、両親に世話をしてもらった記憶がない。甘えた記憶も、逆に怒られた記憶もない。すべてが希薄だ。
「わたしの中では、(関わることを)放棄されてたっていうか。好かれてたという記憶も……あんまりないんですよね。……なんだろうこの感じ」
つまりは育児放棄のネグレクト家庭ということになる。「お父さんとお母さんは、自分に興味がなかったんだろう」とも言う。食事を出してもらったこともないし、学校の行事で必要なものをお願いしても「買えたら買ってくるよ」とだけ生返事をされて、本当に買ってもらえないことも度々あった。
福本が生まれる約3年前、1988年の横浜。競艇選手の父親と専業主婦の母親との間に、麻衣は第一子として誕生する。
「わたしがちっちゃいときは、お父さんは競艇の選手だったらしいんですよ。だけど、足をケガして辞めてから仕事を転々として」と麻衣は話す。もともとギャンブル狂いだった父親は、多額の借金も抱えていた。
賭け事の裏側も知っている選手が、なぜ自らもギャンブルに? と最初は疑問に思ったが、実はアスリートのギャンブル依存は近年問題視されているそうだ。イギリスでは2000年にアスリートが依存症を克服するための施設「スポーティング・チャンス・クリニック」が設立されている。
創設者のアダムス氏によると、昔のアスリートは、飲み屋に行くことでストレスを発散していたが、現在のスター選手は高額の賭博やインターネットに溺れているという(AFP通信)。確かに、勝負の興奮や相手との駆け引きはそのままギャンブルにも通じる。レースに勝てば莫大なカネが転がり込んでくる点も同じだ。
漫画はその時代を反映する。麻衣が生まれた年、奇しくも講談社の『週刊モーニング』では、田中誠の競輪漫画『ギャンブルレーサー』の連載がスタートしている。競輪選手でありながら私生活もギャンブル漬けという主人公が登場する作品だ。浮き沈みの激しい心理描写を見ていると、選手としての興奮を失った父親が、さらに「賭ける側」としてのめり込んだとしてもおかしくないだろうと思わされてしまう。
麻衣の父のようなギャンブル依存症のアスリートは、当時の日本にもたくさんいたのかもしれない。
小学校までお父さんがお金を借りに来る
「娘が産まれてこれから」というときに、生活は困窮した。見かねた父方の祖母が、自分の生命保険を解約してまとまった金を渡すが、父親はそれもギャンブルや借金の返済に使いこんでしまう。あきれ果てた祖母とは絶縁に近い状態になった。
頼る相手がいなくなった夫婦は、最終的には母親の実家に転がり込むことになる。衣食住の安定を得て夫婦は安心したのか、そこでほぼ年子になる4人の弟妹が生まれている。麻衣はあっという間に、たくさんのきょうだいのトップとなった。
しかし麻衣が小学2年生に上がったころ、父親は家を出ていく。「おばあちゃんにお金を出してもらうことが居心地悪かったんじゃないか」と麻衣は推測するが、真相は藪の中だ。どこかで持ち直せるタイミングあればよかったのだが、父親はそうはならなかった。
「お父さんは、お金関係が特にすごかったんです。別居してるところからわざわざウチにお金をせびりにきて、わたしたち子どものお金も、ぜんぶ持っていっちゃう人だったんですよ」
――ウチって、おばあちゃんの家に?
「そうですね、学校にも来たことがあります。小2のことから高校に入る前まで続いたかな。小学生のときは、まだお父さんの苗字を名乗っていたから、『〇〇なんだけど△△△(弟の名)いる?』って来て」
――え、学校の中まで入ってくるとか?
「はい、廊下のあたりまで。先生に『来たよ』って言われて教室の外に出たら『お金貸して』って言われてました」
――お金なんて……、お小遣いぐらいしかないですよね。そんなに少額なものまで?
「お金なんか持ってないですよ。でもお年玉とかも貸してって……」
籍はまだ抜いていなかった。曲がりなりにも保護者だったから学校の敷地にも入れたのだろう。
久々に会う父親だ。幼い麻衣には、言いたいことや聞いてほしかったことが山ほどあったに違いない。しかし、娘が父親を求める気持ちは無視され、一方的にカネだけを要求された。後に残ったのは、クラスメイトに家庭の問題を知られる恥ずかしさと父親への嫌悪感だった。母親には打ち明けられない。仕事はせずに家はいたが、「実家に甘えていたから」と子どもたちの面倒はすべて祖父母に任せきりだったのだ。
「お母さんは末っ子だったんで、おばあちゃんも強く言えなかったみたいです」。母親をかばっているのか祖母をかばっているのか、どちらにも受け取れる口調で麻衣が付け足した。
むしろプライドは高かった
わたしははじめ、麻衣の少女時代は「自信のない内気な子」だったのではないかと想像していた。かつて福本が自信を失くしていたように。しかし本人は、「自己主張が激しくワガママ」「むしろプライドは高かった」と言い切る。
祖父は元警察官。一軒家で立派な庭もある。その家は、一見裕福に見えた。
「おばあちゃんが、何でも買ってくれたし、望みも叶えてくれたんです。愛情表現もすごい上手で『マイちゃん!』みたいな感じでハグしてくれたり。わたしの中では『理想のお母さん』です。おじいちゃんは寡黙だったけど、わたしたちきょうだいが暴れてタンスや障子をめちゃめちゃにしても怒らなかったし、だいぶ甘やかされてたと思います」
両親から与えられなかったものを、祖父母はすべてといっていいほど与えてくれた。
おかげで、5人のきょうだいは伸び伸び育った。それは、見なくていいものを見ずにすんでいた幸せな時期だったのかもしれない。最初にその夢から覚めてしまったのは、長女である麻衣だった。
<つづく>