看護師が乳がんを患って。「医療者だからこそ家族に頼れなかった」

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病いと子供と私

 医師や看護師など、医療関係者であっても、当然自らが病いと向き合わなければならないときもある。知識や情報、経験が豊富にあっても、自分が患者になったとき、動揺するのは当然のことだ。

 看護師として長く、末期がん患者などを中心とした在宅診療にかかわってきた満田裕美さん(仮名・◎歳)。自分ががんに罹患してはじめて感じた戸惑い、思春期の娘や夫など家族に対する複雑な思いについて語ってくれた。

がん患者の親をもつ子どもたちにケアが必要

 裕美さんは20年以上、訪問診療をするクリニックで看護師として働いていた。往診をする医師とともに、療養中の患者の自宅を訪れ、看護をする。病院ではなく在宅での診療ということもあり、患者は高齢者や末期症状にあるがん患者が多かった。

「現在の医療保険制度は昔と違って長期入院が難しい仕組みになっています。がんでも、長期入院をすることはほとんどなくて、ある程度入院したら在宅で療養するほかない場合が多い。患者さんたちの進行が速いケースも少なくなく、つねに緊張感がある仕事でした」

 なかには、まだ小さな子どもがいる患者の姿もあった。裕美さんはいつもその子たちの様子が気になったという。

「子どもたちは親ががんで苦しむ姿を目の前で見ながら日々を暮らしています。親がつらいのはわかっているから、わがままも言わない。精神的なサポートが必要なのは目に見えているのに、医療者としては家族のことまで踏み込んで関与することが難しいんです。

かといって、子どもは学校の先生や友人などに、親が病気だと打ち明けたり簡単に相談できるわけでもない。子どもたちは”特別扱い”をされたり”かわいそう”と思われるのを一番嫌がりますからね。訪問看護の仕事を続けていくなかで、子どもたちのケアの必要性を強く感じるようになりました」

 だが、診療や看護の傍ら、子どもたちと接する機会はそう多くはない。たとえかかわりをもてても、診療が終わればその後家族と医療者との関係は絶たれてしまう。患者が亡くなって診療が終わることも少なくない。あの子たちは今、どうしているのだろう……裕美さんの記憶には、何人か忘れられない子どもたちの姿がある。

「特に子どものケアは医療や学校、地域のサポートがもっとあってもいいじゃないか、そのために自分はなにができるんだろう、と。40代後半になって、看護師としてベテランの域になってそう考え始めていた矢先、今度は自分ががんにかかったんです。乳がんでした」

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「Getty Images」より

1年ごとに検診を受けていたのに、両胸切除手術へ

 2016年、乳がん専門のクリニックで検診を受けた際、裕美さんは医師から左胸に大きなしこりがあると知らされる。そのとき裕美さんは48歳。

 裕美さんは40歳を過ぎてから、毎年欠かさず乳腺専門のクリニックで検診を受けていた。妹が35歳で乳がんに罹患したことから、リスクを考えてのことだった。

「1年前には何もなかったのに、こんなに大きなものが? と思うくらいのしこりが左胸にできていました。自分でチェックもしていたのにどうしてわからなかったんだろう、と驚きましたね」

 それでも、妹の治療がうまくいき状態が安定している様子をみていたこともあり、このとき裕美さんは冷静に診断結果を受け止めたという。

「妹がそうだったように、きっとすぐに的確な治療をすれば大丈夫だろうと思ったんですよね。ところが大きな病院でMRIなどの精密検査を受けた結果、右胸にもがんがあることがわかって。これは転移ではなく左とは全く別の種類のがんでした。しかも通常のマンモグラフィーでは診断できないほどちいさながん細胞は、乳管を通して右胸全体に広がっていたんです」

 思いがけず両方の胸に病巣があると知り、さすがに裕美さんはうろたえた。

「1年のうちにどうしてこんなにまでがんを育ててしまったんだろうって。なにがいけなかったのかと、やっぱり落ち込みました。でも結局考えても原因なんてわからない。左胸のおかげで右胸も早い段階でみつかったんだから命拾いしたんだと、気持ちをなんとか切り替えようとしました」

 2カ月後に両胸の全摘手術をすることを決めた裕美さん。乳房の再建手術は悩んだ末、行わないことにしたという。

告知も治療方針も家族には相談せず

「乳がんに関しては、日々治療法や情報がアップデートされています。妹のときは自費だった治療法も、いまでは保健適応になっていたりと、ありがたい半面、たくさんの選択肢がある。私も看護師が長かったので情報は得すいけれど、いざ、自分が病気になるとなにが正解かはわからないんです。

乳房の同時再建も、担当医には当然のように薦められました。でも、術後、抗がん剤をしながら、再建手術も半年ほどかけて複数回やっていくということが、どれだけ大変だろうと思うと不安で。悩んだあげく、胸の再建より、とにかく治療に専念しようと決めたんです」

 裕美さんはこうした選択を、ほぼひとりで行った。もちろん医師とは話し合ったが、家族にはなにも相談しなかった。

「そもそも、夫は『妻ががんになった』と聞くだけで動揺することが目に見えていました。だから告知もひとりで聞きましたし、伝えるときもこちらが気を使いましたね(笑)。治療方法も自分で決めてから、淡々と事実と今後の治療予定だけを伝えて。夫は案の定すごくショックを受けて、あからさまに落ち込んだり悲しんだりしていましたけどね(笑)」

 当時中学3年生だったひとり娘には、手術の日取りが決まった段階で、二人きりの時間をつくって伝えた。

「てっきりもう薄々は感づいていると思っていたんです。私は仕事を休んで病院に行っていたし、夫もしばらく挙動不審だったし(笑)。でも中学3年生ともなれば、学校や部活や友だちと遊ぶことで忙しくて親のことなんて見ていないんですね。試験が終わって一緒に買い物にいったとき、『いまだ!』と思って食事をしながら『実はママ、がんになって夏休みに手術するんだけど』ってさらりと伝えたんです。そうしたら……」

 娘さんの反応は以外なものだった。

「えっ!」と驚いた顔をして、黙り込んだかと思うと、彼女の頬に、つーっと涙がこぼれた。黙って、ぽろぽろと泣く娘を見て、裕美さんは慌てた。

「気づいてなかったの!? って。どうしようかと思って、声もかけられなくて」

 しばらく静かに泣いた後、娘さんは顔を上げ、「私は何をすればいいの? 夏休みも部活が忙しくなりそうなんだけど」と言った。気丈に、心を落ち着けた娘さんをみて、少しほっとして裕美さんは答えた。

「大丈夫、あなたの生活は変わらないよ。今まで通り、部活も頑張って」

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「Getty Images」より

普通の患者になりたい

 がんを患った患者が、その後どのような治療を行い、そこにはどのようなつらさが伴うのか。これまで何人ものがん患者を見てきただけに、裕美さんにはその経過がありありと想像できた。

「わかるからこそ、怖くて。不安でした。客観的に自分の状況を見て、支えてくれる人がほしかった。でも、家族には頼れなかったんです。自分より状況を把握しているわけじゃないし……。かといって、入院中も患者になりきれないんですよね。ナースに対する目がつい厳しくなってしまったり。

逆に患者になってみて初めて『ああ、患者さんてこういう気持ちだったんだ』ってかつての自分を反省することもありました。医師の忙しさもわかるから、相談もできず、頭の中が忙しくて誰にも頼れないんです。あれ、どうやったら普通の患者になれるんだろう? ってずっと思っていました」

 手術後の回復を待って、順に2種類の抗がん剤を使い、8クール6カ月の治療が始まった。それが終わると、分子標的薬(がん特有の分子を狙ってがん増殖を抑える治療法。標準治療に含まれる)を1年ほど続ける予定だった。

 実際に抗がん剤治療が始まると、予想通り、吐き気、だるさ、脱毛などの副作用に加え、味覚障害、手足のしびれ、発熱などが裕美さんを襲った。

「特につらかったのが、味覚障害と手足のしびれでした。歩いていてもすぐ躓いたり、料理をしても包丁がうまく握れなかったりやけどをしたり。日常生活が普通に送れなくなったということに、絶望してしまって。どんどん自信を失いました」

 具合の悪い妻を見て、夫は悲しみを募らせるばかり。「これは治療の副作用だから大丈夫」と裕美さんのほうが彼を励ますほどだった。

 休職していた仕事に戻るタイミングもみえず、焦りばかりが募った。同僚は優しく声をかけてくれたが、病気の厳しさを知っているだけに気を使われているのがわかった。患者会に出てみても、話題は治療法や病気の勉強会がほとんどで、自分の居場所はないように思った。 

「行き場所がどこにもなくて。家族にもどう頼ったり甘えたりしてもいいかわからなかった。唯一、治療を受けていた病院内の精神腫瘍科の先生が、気持ちを吐き出せる相手でした。医療関係者である私が、家族のこと、子どものこと、将来の不安、そういったことを気兼ねなく吐き出せてリセットできるのはやっぱり医療者だったんです」

 治療は長く続いたが、幸いなことに経過は順調だった。なんとか自分自身のバランスを保ち、日常生活を過ごしていたつもりだった裕美さん。だが、かつて看護師として気づいていたように、裕美さんの家族、子供もまた、ゴールが見えない闘病に静かに悲鳴をあげていた。

 裕美さんがそのことを自覚したのは、治療を始めてしばらくたってからのことだった。

(後半へ続く)

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