がん患者の親をもつ子どもたちにも、ケアが必要

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病いと子供と私

 在宅医療の看護師として働いていた満田裕美さん(仮名・◎歳)。がん患者のケアを長年行ってきたが、2016年に自身の乳がんが発覚し、両胸を切除した。

 医療者だからこそ、自分がしっかりしなければと冷静に病気と向き合い、家族を心配させまいと気丈に振る舞っていたが、治療開始から半年ほどして、中学3年のひとり娘の様子がおかしいことに気がついたという。

看護師が乳がんを患って。「医療者だからこそ家族に頼れなかった」

 医師や看護師など、医療関係者であっても、当然自らが病いと向き合わなければならないときもある。知識や情報、経験が豊富にあっても、自分が患者になったとき、…

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がん患者の親をもつ子どもたちにも、ケアが必要の画像2 ウェジー 2020.01.04

大好きだった友だちと遊ばなくなった娘

 がんと分かってから、裕美さんはほぼひとりで病いと向き合い続けてきた。会社員として多忙な夫にも中学3年生になった娘にも、いままで通りの生活を続けて欲しかったからこそ、苦しさやつらさをなるべくみせなかった。

「もっと夫にも甘えたりすればよかったんでしょうけど、しなかった。不安を伝えても、夫は悲しむだけで、その顔を見てまた私も落ち込んでしまう。抗がん剤治療で副作用がひどくでているときは、苦しい姿をみせたくなくて、寝室も別にしていました。

でもそれがかえって、ふたりを傷つけていたのかもしれませんね。普段通りすごしているようで、夫も娘も相当なストレスをかかえていたはず。でも病気なのは自分じゃないから、弱音を誰にも言えなかったんでしょうね」

 娘さんは小学校の途中で編入し、中高一貫校の女子高に通っていた。落ち着いた校風で、姉妹のように育った友だちと、勉強も部活もそれなりに頑張りながら穏やかに過ごす日々。高校受験は内部試験のみなのでのびのびとし、休日には友だちと出かけて楽しそうに青春を楽しんでいた。

「本人は、もともとそんなに勉強をするタイプでもなく、成績は中くらい。私もまあ、それでいいか、なんて思っていたんです。でも私が抗がん剤治療を始めて半年ほどしたころ、『授業がわからない』『学校に行きたくない』と言い出すようになったんです。気づけば、いままであれほど遊んでいた友だちとも出かけなくなっていました」

 それまでこれといった反抗は見せていなかったのに、不機嫌になり物に当たったり、教科書やプリントを床に投げてその上を歩いたりするようになった。

「いま思えばわかりやすいSOSだったのでしょうね。部屋が徐々に足の踏み場もないくらい汚くなっていて。あ、これは私の病気のストレスだ、と思いました」

居場所がなくバスで過ごしていた

 そんなある日、娘さんがいつまでたっても学校から戻らない日があった。部活があっても20時には帰るはずが、その日は22時を過ぎても戻らない。警察に届けようかと迷っていると、ようやく疲れた顔で帰ってきた。

「どこへ行っていたのかと聞くと、学校から家に戻るバスのなかで寝てしまったっていうんです。終点までいってもどって、またもどる。それを4往復繰り返して、そのあいだ寝ていてずっと気がつかなかったって。そんなはずはないですよね。そうか、この子は家出をしたくても、お金もないし居場所もない、どうしようもなかったんだって。でもこの息の詰まる家に帰ってきたくなくて、ずっとバスに乗るしかなかったんだと。そう思うと切なかったですね」

 その後もなんどか「寝過ごした」といって帰りが遅くなる。学校だけでなく頑張っていた英会話レッスンや習い事にもいかなくなった。イライラをつのらせていた夫が怒って注意をすると、「もうこんな家イヤだ!」と泣いて雨の中とびだしてしまった。

 夜もふけていたので、裕美さんも重い体をひきずってあちこち探し回った。3時間後、ようやく帰ってきた娘をみて心身ともにへとへとになった裕美さんは、このままではいけない、と思ったという。

「告知をしてすぐは取り乱したりもせず、がんばって普通に学校生活を送ってくれていた。でも抗がん剤治療の副作用で、母親が日々家の中で苦しむ姿を何カ月も目にしていると、やっぱり普通ではいられなかったんですね。学校の友だちにも打ち明けられないし、苦しかったんでしょうね……」

 子どもには親ががんになったと伝えるだけで終わりじゃない。がんの親を持つ日常が続いていくと、子どもたちには澱のように苦しさが溜まってしまう。吐き出す場所がなければなおさらだ。

 娘にもっと向き合うために抗がん剤治療をストップしようかと裕美さんは考えた。だが、主治医からは最後の1クールを残しての治療断念は、誰にとってもよくないと強く説得される。なんとか治療が一段落すると、もう、娘さんが高校進学を控える春休みになっていた。

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「Getty Images」より

親の病気を通して子供の価値観が変わった

「中3の3学期がすごく辛そうだったので、内部進学をせず別の高校にいってもいいのかな、と考えました。でも、娘に伝えるとすごく怒られて。『いまさら行ける学校なんてない。そんな非現実的なこと言わないで!』って」

 それならと本人の希望もあり春休みのうちに個人塾をみつけた。1対1で落ち着いて先生と話せる環境で復習ができたことはセラピー効果もあり、祖母が休み中に遊びに来て部屋を一緒に片づけてくれたことで、娘さんも少し落ち着いたかにみえた。

 しかし、高校にあがってみると、ますます学校を休みがちになり、心身にも不調を来し始めたという。

「頭痛や、腰や足がしびれて歩きづらくなったり、突然目が見えないといったり。その度に病院につれていって検査をするんですが、原因が分からない。本当に体がつらそうで、歩くのも大変で。学校には週に2〜3日なんとか通うという感じでした。友だちとも遊ばなくなり、部屋出寝ているか泣いている状態が、1年くらい続きましたね」

 そんな状態が続いても学校側からは特別コンタクトもなければ、相談にのってくれることもなかった。さらに近所の幼なじみの子が、父親を突然失くし、引越ししていったことも、娘さんの気持ちを暗くした。

「いい学校ではあったんですが、なにか問題があったらそれまでというか。学校に合わなくなったり、家庭の事情が変わると辞めていく人もいて。、娘にはそういう環境がとても閉ざされた世界に感じられたようです。いつもみんな元気で幸せではいられない。でも問題がある人はそこにいづらい。そうした雰囲気に疑問を持ち始めたようで。この環境を抜け出したいという気持ちを強くしたようでした」

 イヤなら辞めていいよ、という裕美さんに、かといって高校をドロップアウトする勇気もないんだ、と泣きながら娘さんは訴えた。

「ママの人生じゃないからそう言えるのよ。やめたら人生がよくなるわけじゃない。やめるのも続けるのもどちらもつらいし勇気がいる、怖いよ」

自立のきっかけは親でも学校でもなく

 どん底のような時間を親子で過ごしながらも、裕美さんは治療が落ち着いたこともあり自分の活動を再開し始めた。アルバイトでクリニックの手伝いをしたり、キャンサーペアレンツで知りあった仲間との「絵本プロジェクト」に積極的に参加しはじめる。(前回参照)

 子どもを持つたくさんの親たちががんになり、中には亡くなってしまう人もいる。それでもやれることを見つけて、人生に向き合っていることを、娘さんにも包み隠さず話すようになった。

「人生に理不尽なことは起きる。でもそれでもやっていくしかないということを少しずつ娘も学んでいるようでした」

 あるときキャンサーペアレンツのイベントで、当事者と医療者が語り合うイベントがあった。参加してみると、医療者側に看護学生の女性がいた。

「彼女は実は、親御さんを中学生の時に亡くされていて。娘の不登校の相談をしたら、気持ちが痛いほどわかると言ってくれたんです。自分もそういう時期を乗り越えて、支えた手くれた人がいたから今がある、と。『学校に行けない時期があってもきっと大丈夫。』と言ってくれて気持ちがらくになりました」

 娘さんが高2の夏休み、何かしらのボランティアをする課題が出た。ボランティア先として、例の看護学生たちがあるお寺で行っている子ども食堂を紹介してみると、驚くことに娘さんは自分で彼女に連絡をとり、足を運んだ。

「一度行って、すごく楽しかったようで。2、3回訪れてボランティアをしていました。かつて同じ境遇にあった看護学生の彼女ともいろいろ話せたようで、ほっとしたのかもしれません。子ども食堂にくる子たちもそれぞれに事情を抱えている。みんなそれぞれいろんなものを抱えている、自分だけじゃないということを知ったことで、娘はずいぶん救われたみたいですね」

 逃げてばかりはいられない。自分はどう生きたいのか、そんなことを娘さんは考えたのだろうか。高校2年のなかばになると、大学受験をしたい、と言うようになった。

「娘の学校は内部進学で大学にあがる人も多い。娘は不登校気味で、成績もがた落ちだったから、塾の先生にまで受験は反対されたんですけど本人の意思は固くて。『わたしはこれまで何も頑張ってこなかった。だからここで頑張りたい』って言ったんです。へぇ、そんなこと思ってたんだって驚きました」

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「Getty Images」より

正解はない。でも応援しあうのが家族

 それからは、娘さんは学校でも塾でも、一生懸命勉強に励んだ。進みたい道も自分なりに考え、進路を決めてきたと言う。結果、どうなるのかわからない。親としては心配もある。でも、裕美さんは、必要以上に娘を応援しすぎないよう気をつけていると言う。

「結局、親や学校だけじゃない世界に出会ったことで娘は成長できたんですよね。何とかしてあげようと私ももがいたけれど、親ができることなんて本当は少なくて。なにが正解の生き方か本当にわからない。私も病気になってそう思いました。自分で道をみつけて努力することができるようになったのなら、受験の結果はどうあれ、あとはもう娘は自立していくだけなんだなって思うんです。すごく成長してくれたと思います」

 そんな娘さんを見てか、裕美さん自身も、自分の体や仕事への向き合いかたを少しずつ変えていった。

「がんって『これで完治』となかなかいえない病気。今もホルモン治療は続けているし、再発の漠然とした不安はいつもあります。でもそこにとらわれて、人生を楽しまないのは違うかなって。病気になって、それまで自分のやってきたことや自信が全て失われるような気がしていたけれど、またここからやりたいことを少しずつやっていけばいいって、やっとそう思えるようになりました」

 裕美さんは現在、キャンサーペアレンツの絵本プロジェクトを通して、子どもたちへのメッセージを発信しようとし、同時にがんの親を持つ子どもたちへの支援をするべく本格的に勉強を始めている。

 看護師としてずっと抱えてきた「病気の親を持つ子どもたちをサポートしたい」という思いが、自らの体験を通してより現実的でクリアなものになった。裕美さん家族はいま、それぞれが地に足をつけて自分の目指す方向へと歩んでいる。

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