ハリー・ポッターシリーズは既に初作刊行から20年もたっていますが、いまだに子供達に人気があります。シリーズの著者であるJ・K・ローリングは、アルバス・ダンブルドア先生はゲイだと思うと発言しています。これはファンの間で大きな議論を引き起こしており、小説からわからない設定で一貫性に欠けるとか、著者の意図にそって作品を読む必要はないとか、様々な批判があります。芸術作品は世に出た瞬間、受け手の自由な解釈にさらされるもので、必ずしも著者の意図にそって読む必要はないので、後者の主張は当然といえるものです。
しかしながら、私が非常に疑問に思っているのは、ダンブルドアがゲイなのは、本当に小説からわからないのか……?ということです。
実は私は、(お恥ずかしいことですが)学生時代はあまりハリー・ポッターなどの現代小説に興味が無く、2007年のローリングのこの発言を全く知らない状態で日本語訳が出てから『ハリー・ポッターと死の秘宝』を読んだのですが、その時に「あ、ダンブルドアってゲイなのかな?」と思いました。その後、博士課程でファン研究などを始めてからローリングの発言を知り、ああやっぱりゲイだったんだ、と完全に納得しました。私以外にも、イギリス文学をかなり読み慣れている人で「読んだ時に気付いた」という読者が多少いたようです。少なくとも「小説からダンブルドアの性的指向は全くわからない」というわけではないのではないか……と思うので、今回の連載ではなぜ原作からダンブルドアがゲイだと解釈できるのかを書いてみたいと思います。
その名を口にできぬ愛
まず、イギリス文学における同性愛の表現とその分析について、少しだけまとめておきましょう。イギリス文学史において大変有名な一節に、「その名を口にできぬ愛」(“the Love that dare not speak its name”)というものがあります。これはオスカー・ワイルドの男性の恋人だったアルフレッド・ダグラスの詩「ふたつの愛」(“Two Loves”)の最終行で、同性愛の婉曲かつ詩的な表現としてよく知られています。男性間性交渉が犯罪だったイギリスにおいて、同性愛はしばしば「口にできない」(“unspeakable”)ことと見なされていました。同性愛はずっといろいろなところにあるものなのですが、あまりはっきりとは描けなかったのです。
こうした背景もあり、イギリス文学(他の英語圏文学や英語以外の文学でもそういうところはあるでしょうが)においては、それとわからないように作品に同性愛を織り込んだり、また読むほうもはっきり明示されていない関係について同性愛を読み込んだりするような技術がかなり発達しています。これは以前にバズ・ラーマン論や『わたしを離さないで』論で紹介したクィア批評でとくに発達した読み方です。明示されてはいないものの、文学的慣習などからして同性愛者ではないかと考えられるキャラクターを、“coded gay character”、つまり「暗号化されたゲイのキャラクター」などと言います。
J・K・ローリングはかなりイギリス文学の伝統にのっとって書く作家です。ダンブルドアの性的指向について考える際には、おそらくこうしたイギリス文学における慣習をおさえておいたほうが、より深い読みができるでしょう。
口にできない、昔好きだった人
まずは『死の秘宝』終盤で、ダンブルドアが、かつての友人であったゲラート・グリンデルバルドについてハリーに話すところを見てみましょう。若きアルバスが家族の世話をするため、魔法の探求をあきらめて故郷であるゴドリックの谷に戻ってきた時の焦燥を説明する場面です。
‘[…]Trapped and wasted, I thought! And then, of course, he came…’
Dumbledore looked directly into Harry’s eyes again.
‘Grindelwald. You cannot imagine how his ideas caught me, Harry, inflamed me. Muggles forced into subservience. We wizards triumphant. Grindelwald and I, the glorious young leaders of the revolution.[’] (原著p. 573)
「籠の鳥だ、才能の浪費だ、わしはそう思った!そのとき、ちょうどあの男がやってきた……」
ダンブルドアは、再びハリーの目をまっすぐに見た。
「グリンデルバルドじゃ。あの者の考えがどんなにわしを惹きつけたか、どんなに興奮させたか、ハリー、きみには想像できまい。マグルを力で従属させる。われら魔法族が勝利する。グリンデルバルドとわしは、革命の栄光ある若き指導者となる」 (訳書下巻、p. 495)
日本語でもだいたい雰囲気はわかると思いますが、ここでダンブルドアが“inflamed”という言葉を使っているのがポイントです。これは「火をつける」という意味ですが、どちらかというと欲望を燃えあがらせるというようなニュアンスを持った動詞です。主語は“his ideas”、つまり「彼の考えていたこと」ですが、思想への共感を表すにしてはやや感情的な言葉遣いです。ここで「考え」を主語に持ってきているのは、自分の感情について言いよどんでいるからで、本当は“he”を主語にしたいのではないか、とも考えられます。ダンブルドアはいろいろ複雑なところがあるとはいえ、判断力も良心もある人物です。それにもかかわらずグリンデルバルドの危険思想に深入りしてしまった理由としては、考えに魅力を感じたというだけではなく、グリンデルバルド自体に欲望を感じて夢中になっていた可能性が考えられます。
さらに“Grindelwald and I”というふうに、自分たちを2人1組として考えていることもポイントです。ダンブルドアはこの後、“Invincible masters of death, Grindelwald and Dumbledore! Two months of insanity, of cruel dreams”(原著p. 574)「死の克服者、無敵のグリンデルバルドとダンブルドア! 二か月の愚かしくも残酷な夢」(訳書下巻p. 496)と述べており、単に死を克服することだけではなく、グリンデルバルドとペアでそれを行うことが大事だったことがわかります。「愚かしくも」というのは原文では“insanity”、つまり「狂気」で、感情に動かされ、理性を失ったことが示唆されています。全体的に、ダンブルドアがグリンデルバルドへの思いを描写する語彙は非常に感情的です。
ダンブルドアがここで回想している内容のもうひとつのポイントは、グリンデルバルドの邪悪さを自分が見ないようにしていたことへの後悔です。“Did I know, in my heart of hearts, what Gellert Grindelwald was? I think I did, but I closed my eyes.” (原著pp. 573-574)「心の奥の奥で、わしはゲラート・グリンデルバルドの本質を知っていたのだろうか?知っていたと思う。しかし目をつむったのじゃ」(訳書下巻p. 496)と、自分の「心」(“heart”)で感じていたことを否認していたとハリーに説明しています。若きアルバスがグリンデルバルドの欠点になんとなく気付きながら、それを無視していたのはなぜでしょうか?単にグリンデルバルドの思想に共感していたからというだけではなく、グリンデルバルド自身のことが好きで離れられなかったからでしょう。この「好き」がどういう「好き」だったのかは明確に読み取れませんが、恋心と解釈する余地はあります。恋をすると相手の欠点が見えなくなってしまうというのはよくあることだからです。
さらにダンブルドアは“That which I had always sensed in him, though I pretended not to, now sprang into terrible being.” (原著p. 574)「気づかぬふりをしてはおったが、グリンデルバルドにはそのような面があると常々わしが感じておったものが、恐ろしい形で飛び出した」(訳書下巻、p. 497)と、グリンデルバルドが本性を露わにした時のことを回想しています。ここでグリンデルバルドの爆発を描写するダンブルドアの言葉は、まるで相手の乱暴な振る舞いにうすうすは気づいていながら恋に夢中でそれを否認していた若者が、相手に初めて暴力を振るわれて気づいた、とでもいうような表現です。日本語では「気づかぬふりをしてはおったが」というのが最初に来ていますが、英語ではこの部分にあたる“though I pretended not to”が挿入的に途中に入っており、ダンブルドアの口調には若干のためらいが感じられます。若き日のアルバスはグリンデルバルドの暴力性に気づいていながら、相手の魅力に惹かれて離れられなかったことがわかります。
この場面のダンブルドアの言葉をよく読むと、激しい感情がある一方、ためらいが感じられます。私は初めてこの部分を読んだ時、ダンブルドアは昔グリンデルバルドに恋をしていたけれども(グリンデルバルドがそれにどう反応したのかは不明)、そのことをハリーに対して言いたくないのだ、と解釈しました。恋に溺れて危険思想に入れ込み、さらにそのせいで家族を失ってしまったなどというのは、率直に話すにはあまりにもショッキングな出来事です。ダンブルドアにとって、グリンデルバルドに対する恋心は、社会的な偏見よりもむしろ自分のトラウマのせいで「口にできない」(“unspeakable”)ものになってしまっていると考えられます。ダンブルドアはハリー・ポッターシリーズでは数少ない、ヴォルデモートを「名前を言ってはいけないあの人」と呼ばずに名指しする勇気のある人物ですが、彼にも口にしたくないものがあるのです。
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