ハリー・ポッターとイギリス文学における同性愛~『ハリー・ポッターと死の秘宝』精読

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wikipediaより

 ハリー・ポッターシリーズは既に初作刊行から20年もたっていますが、いまだに子供達に人気があります。シリーズの著者であるJ・K・ローリングは、アルバス・ダンブルドア先生はゲイだと思うと発言しています。これはファンの間で大きな議論を引き起こしており、小説からわからない設定で一貫性に欠けるとか、著者の意図にそって作品を読む必要はないとか、様々な批判があります。芸術作品は世に出た瞬間、受け手の自由な解釈にさらされるもので、必ずしも著者の意図にそって読む必要はないので、後者の主張は当然といえるものです。

 しかしながら、私が非常に疑問に思っているのは、ダンブルドアがゲイなのは、本当に小説からわからないのか……?ということです。

 実は私は、(お恥ずかしいことですが)学生時代はあまりハリー・ポッターなどの現代小説に興味が無く、2007年のローリングのこの発言を全く知らない状態で日本語訳が出てから『ハリー・ポッターと死の秘宝』を読んだのですが、その時に「あ、ダンブルドアってゲイなのかな?」と思いました。その後、博士課程でファン研究などを始めてからローリングの発言を知り、ああやっぱりゲイだったんだ、と完全に納得しました。私以外にも、イギリス文学をかなり読み慣れている人で「読んだ時に気付いた」という読者が多少いたようです。少なくとも「小説からダンブルドアの性的指向は全くわからない」というわけではないのではないか……と思うので、今回の連載ではなぜ原作からダンブルドアがゲイだと解釈できるのかを書いてみたいと思います。

その名を口にできぬ愛

 まず、イギリス文学における同性愛の表現とその分析について、少しだけまとめておきましょう。イギリス文学史において大変有名な一節に、「その名を口にできぬ愛」(“the Love that dare not speak its name”)というものがあります。これはオスカー・ワイルドの男性の恋人だったアルフレッド・ダグラスの詩「ふたつの愛」(“Two Loves”)の最終行で、同性愛の婉曲かつ詩的な表現としてよく知られています。男性間性交渉が犯罪だったイギリスにおいて、同性愛はしばしば「口にできない」(“unspeakable”)ことと見なされていました。同性愛はずっといろいろなところにあるものなのですが、あまりはっきりとは描けなかったのです。

 こうした背景もあり、イギリス文学(他の英語圏文学や英語以外の文学でもそういうところはあるでしょうが)においては、それとわからないように作品に同性愛を織り込んだり、また読むほうもはっきり明示されていない関係について同性愛を読み込んだりするような技術がかなり発達しています。これは以前にバズ・ラーマン論『わたしを離さないで』論で紹介したクィア批評でとくに発達した読み方です。明示されてはいないものの、文学的慣習などからして同性愛者ではないかと考えられるキャラクターを、“coded gay character”、つまり「暗号化されたゲイのキャラクター」などと言います。

 J・K・ローリングはかなりイギリス文学の伝統にのっとって書く作家です。ダンブルドアの性的指向について考える際には、おそらくこうしたイギリス文学における慣習をおさえておいたほうが、より深い読みができるでしょう。

口にできない、昔好きだった人

 まずは『死の秘宝』終盤で、ダンブルドアが、かつての友人であったゲラート・グリンデルバルドについてハリーに話すところを見てみましょう。若きアルバスが家族の世話をするため、魔法の探求をあきらめて故郷であるゴドリックの谷に戻ってきた時の焦燥を説明する場面です。

‘[…]Trapped and wasted, I thought! And then, of course, he came…’
Dumbledore looked directly into Harry’s eyes again.
‘Grindelwald. You cannot imagine how his ideas caught me, Harry, inflamed me. Muggles forced into subservience. We wizards triumphant. Grindelwald and I, the glorious young leaders of the revolution.[’] (原著p. 573)

「籠の鳥だ、才能の浪費だ、わしはそう思った!そのとき、ちょうどあの男がやってきた……」
ダンブルドアは、再びハリーの目をまっすぐに見た。
「グリンデルバルドじゃ。あの者の考えがどんなにわしを惹きつけたか、どんなに興奮させたか、ハリー、きみには想像できまい。マグルを力で従属させる。われら魔法族が勝利する。グリンデルバルドとわしは、革命の栄光ある若き指導者となる」 (訳書下巻、p. 495) 

 日本語でもだいたい雰囲気はわかると思いますが、ここでダンブルドアが“inflamed”という言葉を使っているのがポイントです。これは「火をつける」という意味ですが、どちらかというと欲望を燃えあがらせるというようなニュアンスを持った動詞です。主語は“his ideas”、つまり「彼の考えていたこと」ですが、思想への共感を表すにしてはやや感情的な言葉遣いです。ここで「考え」を主語に持ってきているのは、自分の感情について言いよどんでいるからで、本当は“he”を主語にしたいのではないか、とも考えられます。ダンブルドアはいろいろ複雑なところがあるとはいえ、判断力も良心もある人物です。それにもかかわらずグリンデルバルドの危険思想に深入りしてしまった理由としては、考えに魅力を感じたというだけではなく、グリンデルバルド自体に欲望を感じて夢中になっていた可能性が考えられます。

 さらに“Grindelwald and I”というふうに、自分たちを2人1組として考えていることもポイントです。ダンブルドアはこの後、“Invincible masters of death, Grindelwald and Dumbledore! Two months of insanity, of cruel dreams”(原著p. 574)「死の克服者、無敵のグリンデルバルドとダンブルドア! 二か月の愚かしくも残酷な夢」(訳書下巻p. 496)と述べており、単に死を克服することだけではなく、グリンデルバルドとペアでそれを行うことが大事だったことがわかります。「愚かしくも」というのは原文では“insanity”、つまり「狂気」で、感情に動かされ、理性を失ったことが示唆されています。全体的に、ダンブルドアがグリンデルバルドへの思いを描写する語彙は非常に感情的です。

 ダンブルドアがここで回想している内容のもうひとつのポイントは、グリンデルバルドの邪悪さを自分が見ないようにしていたことへの後悔です。“Did I know, in my heart of hearts, what Gellert Grindelwald was? I think I did, but I closed my eyes.” (原著pp. 573-574)「心の奥の奥で、わしはゲラート・グリンデルバルドの本質を知っていたのだろうか?知っていたと思う。しかし目をつむったのじゃ」(訳書下巻p. 496)と、自分の「心」(“heart”)で感じていたことを否認していたとハリーに説明しています。若きアルバスがグリンデルバルドの欠点になんとなく気付きながら、それを無視していたのはなぜでしょうか?単にグリンデルバルドの思想に共感していたからというだけではなく、グリンデルバルド自身のことが好きで離れられなかったからでしょう。この「好き」がどういう「好き」だったのかは明確に読み取れませんが、恋心と解釈する余地はあります。恋をすると相手の欠点が見えなくなってしまうというのはよくあることだからです。

 さらにダンブルドアは“That which I had always sensed in him, though I pretended not to, now sprang into terrible being.” (原著p. 574)「気づかぬふりをしてはおったが、グリンデルバルドにはそのような面があると常々わしが感じておったものが、恐ろしい形で飛び出した」(訳書下巻、p. 497)と、グリンデルバルドが本性を露わにした時のことを回想しています。ここでグリンデルバルドの爆発を描写するダンブルドアの言葉は、まるで相手の乱暴な振る舞いにうすうすは気づいていながら恋に夢中でそれを否認していた若者が、相手に初めて暴力を振るわれて気づいた、とでもいうような表現です。日本語では「気づかぬふりをしてはおったが」というのが最初に来ていますが、英語ではこの部分にあたる“though I pretended not to”が挿入的に途中に入っており、ダンブルドアの口調には若干のためらいが感じられます。若き日のアルバスはグリンデルバルドの暴力性に気づいていながら、相手の魅力に惹かれて離れられなかったことがわかります。

 この場面のダンブルドアの言葉をよく読むと、激しい感情がある一方、ためらいが感じられます。私は初めてこの部分を読んだ時、ダンブルドアは昔グリンデルバルドに恋をしていたけれども(グリンデルバルドがそれにどう反応したのかは不明)、そのことをハリーに対して言いたくないのだ、と解釈しました。恋に溺れて危険思想に入れ込み、さらにそのせいで家族を失ってしまったなどというのは、率直に話すにはあまりにもショッキングな出来事です。ダンブルドアにとって、グリンデルバルドに対する恋心は、社会的な偏見よりもむしろ自分のトラウマのせいで「口にできない」(“unspeakable”)ものになってしまっていると考えられます。ダンブルドアはハリー・ポッターシリーズでは数少ない、ヴォルデモートを「名前を言ってはいけないあの人」と呼ばずに名指しする勇気のある人物ですが、彼にも口にしたくないものがあるのです。

リータ・スキーターは全く何にも気づいていないのか?

 こうした読解をふまえて『死の秘宝』の前の部分を見てみると、いくつかこうした解釈を支持するような要素が見つかります。前半部分には、扇情的な記事が得意なジャーナリストであるリータ・スキーターが書いた『アルバス・ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘』をハリーとハーマイオニが読む場面がありますが、この本の中でバチルダ・バグショットは大甥であるグリンデルバルドのことを“charming boy”(原著p. 291)「魅力的な少年」(訳書上巻p. 519)だったと回想し、グリンデルバルドと若きアルバスのことを“both such brilliant young boys, they got on like a cauldron on fire”(原著p. 291)「才気あふれる若い二人は、まるで火にかけた大鍋のように相性がよく」(訳書下巻p. 520)と述べています。ここにも、“inflamed”同様、火の比喩が出てきています。バチルダが恋心に気づいていたかどうかはともかく、若きアルバスとグリンデルバルドの間には、端から見てとれるくらいの情熱の炎があったらしいことがわかります。

 バチルダの回想では、アルバスはグリンデルバルドと1日中一緒に過ごした上、さらに夜中にふくろう便で手紙を届けるなどということをしていたようです。引用されている手紙の文面はグリンデルバルドの思想を称賛するものですが、最後に“if you had not been expelled, we would never have met.”(原著p. 291)「君が退学にならなければ、二人が出会うことはなかっただろう」(訳書上巻p. 521)と言って相手が退学になったことを喜ぶ、恋文のような表現があります。

 面白いのは、これに対するハーマイオニの反応です。ハーマイオニはダンブルドアの過去にショックを受けるハリーに対して、“even Rita can’t pretend that they knew each other for more than a few months one summer when they were both really young, and – ”(原著p. 294)「さすがのリータでさえ、二人が知り合ったのは、ひと夏のほんの二か月ほどだったということを否定できないし、二人とも、とても若いときだったし、それに……」(訳書上巻p. 525)と弁護しています。この台詞はまるで「ひと夏の恋」の話でもしているようで、全体的にこの場面のハーマイオニはかなり口ごもり気味です。ひょっとすると、ハーマイオニは案外、このリータの本を読んだだけで、ダンブルドアとグリンデルバルドの間に何か色恋沙汰があったらしいことを察知しているのかもしれません。

 不思議なのは、どうやら『アルバス・ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘』の中には、ダンブルドアがグリンデルバルドに恋をしていたというはっきりした記述がなさそうだということです。少なくとも『死の秘宝』を読むかぎりでは、リータがダンブルドアの同性愛に言及した気配はありません。リータは序盤で、“the whole Potter-Dumbledore relationship”「ポッター=ダンブルドアの関係のすべて」が“unhealthy, even sinister”「不健全で、むしろ忌まわしい」(原著pp. 28–29、訳書上巻pp. 39–40)と述べており、ダンブルドアのハリーに対する“unnatural interest”(原著p. 29)「不自然な関心」(訳書上巻p. 40)を告発しています。

 リータは極めてやり口の汚いライターです。これだけ読むと、おそらくリータはダンブルドアがハリーに児童性愛的関心を抱いていたとほのめかしたいのではないか……と予想できます。リータのやり口からすると、ダンブルドアがグリンデルバルドに抱いていた関心をことさらに性的なものだったかのように書いて、ゲイのダンブルドアがハリーに性的関心を抱いていたという偏見まみれのでっち上げを行ったほうが中傷を行うためには有利なはずです。しかしながら、リータはダンブルドアとグリンデルバルドの関係についてはっきり描いていません。スキャンダルには目端の利きそうなリータですが、そんなことも思いつかないくらい三流の書き手なのでしょうか?

ハリー・ポッターシリーズの問題点

 たぶん、この「リータがダンブルドアの同性愛を中傷しない」というところに、ハリー・ポッターシリーズにおける同性愛描写の限界があります。この作品は、法が同性愛を規制していた時代に培われたイギリス文学の伝統にのっとり、ほのめかしを繰り返すような形でダンブルドアの恋に言及しています。おそらくはかなりイギリス文学を読み慣れた大人しかわからないでしょう。

 一方、ハリー・ポッターシリーズは児童文学として構想されており、主な読者は子供であるはずです。そして、今のイギリスには同性愛を規制する法律はなく、本来であれば児童文学に明らかに同性愛者である登場人物が出てきても、描き方が子供の発達にあわせたものであれば問題はないはずです。しかしながらハリー・ポッターシリーズにおけるダンブルドアの描写は子供にわかるような明確なものではありません。さらに、リータを通して現代社会の同性愛差別を生々しく反映するような描写をすることも可能だったはずですが、児童文学としてはダークになりすぎると考えたのか、『死の秘宝』はこうした難しい課題を避けています。

 全体としては、ハリー・ポッターシリーズにおいてダンブルドアが若い頃、男性に恋をしていたということはテクストから読み取れますが、一方でそれがしっかりプロット上で掘り下げられていないところがいささかぬるい、という評価をしたいと思います。もちろん、ハリー・ポッターシリーズは他に面白いところがたくさんありますし、『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』などは似たようなモチーフをもっと上手に描いていたと思います。さらに、ダンブルドアの同性愛が中途半端な形でしか描かれなかった結果としてリータのライターとしての才能のなさが強調されることになったとしても、リータに同情してくれる読者はいないでしょうが……。

 しかしながら、注意して頂きたいのは、別にダンブルドアがゲイだという解釈を必ずしなくてもよい、ということです。私がここで提示した解釈は唯一の正解ではなく、単に著者であるローリングが主張している解釈はテクストから裏付けるのが可能だ、ということを示したものにすぎません。とんでもない大間違いさえしていなければ、読んだ人の数だけ、ダンブルドアの姿があってよいのです。テクストの魔法は、読む人によって効き方が違うのです。

参考文献

大橋洋一監訳『ゲイ短編小説集』平凡社、1999。
イヴ・コゾフスキー・セジウィック『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』外岡尚美訳、青土社、1999。
J・K・ローリング『ハリー・ポッターと死の秘宝』上下巻、松岡佑子訳、静山社、2011。
J. K. Rowling, Harry Potter and the Deathly Hallows, Bloomsbury, 2007.

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