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「誰もヒーローにしない」ということ ― 韓国生まれの表現者 イ・ラン インタビュー

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イ・ラン ©服部健太郎

 韓国で生まれたイ・ランは、シンガー・ソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト、そして小説家として活動する多彩な表現者だ。その活躍は、日本のカルチャーシーンでも注目を集める。

 ジャンルや国境を行き交うイ・ランのまなざしは“社会”と“個”の関係性に向けられており、その真摯で豊かな言葉は私たちにシンパシーを抱かせると同時に、新たな気づきをもたらす。彼女が“地獄”(ヘル)という言葉で形容するこの社会で生きる私達は、何に気づき、どこへ向かおうか。常に何かに気づき、変化しているイ・ランの現在地を聞きに行った。

 

 

――最近、身の回りで起こった出来事によって、新しい発見をしたことはありましたか?

イ・ラン:先週、韓国で開催された“家族ではないから”というイベントに参加して、歌を歌ってきました。韓国ではまだ結婚というのは男女しか出来ない制度なので、それ以外の家族の形は認められていないんですけど、そのイベントではいろんな“家族”を持つ人たちが、それぞれ「うちはこんな家族です」って発表していました。
 社会的に家族として認められていない、同性のパートナーを持つ人で、自分が死んだときにパートナーへ保険金が渡るように保険会社とどう戦って認められたのかという話をする人もいました。
 性愛の関係ではなく社会的に助け合えるパートナーを何人か持つ人からは、自分がガンで闘病していたときにパートナーたちがどのように連帯して助けてくれたかを教えてくれました。
 その時、その人が使っていたのは“마을연대”、日本語にすると“町連帯”という言葉だったんですけど、そういういろんな家族の話を聞いていたら、「こんなにいっぱい家族の形があるのに、法律はまだまだ過去のまんまだな」と思ったんです。それぞれ自分が頑張って探した家族がいるのに、社会の方から「あなたたちは家族じゃない」と言われるのは違うでしょう。

――他者から「それは違う」と否定されて悩む人は多いと思いますし、自分の在り方が既存の社会的な価値観と違っているというだけで、攻撃を受けてしまう人もいます。イベントで話をした方々のように、オリジナルな自分のことを発表する姿は周りに勇気を与えますね。

イ・ラン:そうも思いましたけど、でもそうやって皆の前に出る人たちが“ヒーロー”のように見られることも危険だなと考えているんです。

――危険というのは?

イ・ラン:最近、ソルリというアイドルが自殺で亡くなりました(※2019年10月、女性アイドルグループf(x) 元メンバー・ソルリが自宅で亡くなっているのが発見された。訃報後、SNS上において彼女に向けられていた悪質な書き込みや女性蔑視的な発言に対する怒りが広がっている)。
 ソルリが自殺したこと、私はすごく悲しくて。ソルリは自分の考えをはっきり言う人で、たくさんの人に勇気を与えていたのですが、それによっていっぱいバッシングを受けていました。
 ソルリが亡くなる一週間前、彼女のインスタライブを見ました。画面には見ている人たちが投稿したコメントがずっと流れるんですけど、その多くは醜い悪口で、彼女はその言葉をじっと見ているだけでした。ソルリはノーブラでテレビ番組に出たことがあって、何万人もの人からバッシングを受けていたんですけど、私はなんでソルリがノーブラだというだけでこんな騒ぎになるのかわからなかった。
 きっと皆、ソルリのようなアイドルはブラジャーを着けていて当たり前だから着けるべきだって書き込んだんだと思うけど、ブラジャーを着けるかどうかなんてその人の自由でしょう。しかも、ソルリがノーブラでテレビ番組に出たのは何年も前のことなのに、亡くなる直前のインスタライブでもそれについてのバッシングコメントが本当にいっぱいで。
 彼女が自殺したことで、一人の人間が“ヒーロー”にされることの危うさについて実感したんです。たぶん、皆は「ソルリが言ってくれるだろう」「ソルリがやってくれるだろう」と考えていたし、ソルリが先頭に立って皆の代わりに戦ってくれると思っていた。でも、そうやって生きていた彼女はどれだけ辛かったんだろうと思うと、すごくショックだったんです。

――誰かをヒーローとして見ることは、自分の問題や悩みをその人に仮託することでもあって、もしかしたらその人を傷つけてしまっていることもあるのかも知れない。

イ・ラン:私も人から「強いね」とか「強いからそんなこと出来るんだね」なんて言われるけど、それってすごくプレッシャーを感じるんです。一人の人間は誰も強くないんです。強いから自分の意見を言えるなんて人間はいません。世界はなんで“皆の代表”を作ってしまうのか、わかりません。でも、だからって「皆がヒーローになりましょう、皆がそれぞれ自分の考えを声に出しましょう」って言っても、自分の考えを口にすることで攻撃を受けたり、危ない目に遭うこともあるでしょう。「勇気を出して、話して」と言うこと自体が、暴力にもなりかねない。

――エンパワメントのつもりが、暴力になってしまう。そうはならないために、どうしたらいいと思いますか。

イ・ラン:難しい。どうやったら皆がそれぞれ自分の生き方を認められていけるか、もうちょっと考えないといけないですよね。
 私はテレビの現場を少し経験したことがあるんですけど、そのときに「ここには一人も幸せそうな人がいないな」と思ったんです。時間もないし、多くの人やお金が動く。そういう現場で余裕なく働き続けて、過労死したり自殺したりする芸能人やスタッフもたくさんいます。なのに「ちょっとストップしましょう!」と言える人が誰もいない。それはテレビの世界だけじゃなくて、今は社会全体がそうなっていると思います。

――皆が自分のことで精一杯になってしまって、周りが見えなくなってしまっているんですね。

イ・ラン:はい。みんながゾンビみたいになっている。人間じゃなくなってしまう。誰も幸せになれていないのに、なんで誰も立ち止まらないのかなって、すごく怖いです。

――ソルリさんに対する世間の見方もそうですし、社会全体を見てもお互いがお互いを一人の人間として見れていないから、孤独なヒーローやゾンビを生み出してしまう構造になってしまっているんだと思います。

イ・ラン:そうですね。私はお正月のソウルが大好きなんですけど、なぜかと言うと、皆が実家に帰って、街が静かになるから。お正月というものがソウルのストップボタンを強制的に押してくれる、それを感じるのがとても好きです。私もタワーに登ってみたりして、ソウルの街を見下ろしたりするんですよ。
 でもね、元々は皆がそれぞれ自分のストップボタンを持っているはずなんです。なのに押さない。皆、ストップボタンを押して、人間になりたいはずなのに。

――社会が強制的に停止しないと、自分でストップボタンを押せなくなっている。

イ・ラン:誰もがそうなってしまっていると思います。女性なら「タバコだめ」「ノーブラだめ」なんて言われて、社会が思う女性らしさのイメージに合わせないと攻撃されてしまう。でも、じゃあ一体いつ、社会や他人のためじゃない、自分のための自分になるんですか? ソルリが自殺したとき、皆が「あれは自殺じゃない。他殺だ」と言いました。彼女は、自分のための自分になりたかっただけなのに、それを許さなかった社会が彼女を殺した。ああ、地獄(ヘル)だ……。

笑いながら話を続けるか、コップの水をぶちまけるか

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©服部健太郎

――この社会に生きる中で、自分になろうとすると、攻撃を受けてしまう。その葛藤に悩んでいる人って、いっぱいいるんじゃないかと思うんです。

イ・ラン:そうですね。私はフェミニストであろうとしているけど、一緒に仕事をやろうと声をかけてくるクライアントの中には、とてもミソジニーなことを言う人もいるんです。その人と仕事をすればいっぱいお金が貰えるし、次のキャリアにもつながるという現実的な結果が得られるけど、フェミニストの私としては嫌だから、どうすべきか悩むことはすごく多い。

――たとえ相手に悪気はなかったとしても、嫌な思いをするタイミングがたくさんあります。その度に何かを言い返したり、アクションを起こしたりする体力はこっちにもない。でもフェミニストとしては、何かを言わなきゃいけない、頑張らなきゃいけないと思っている自分もいる。今、そうやって頑張りすぎて、疲れてしまっている人も多いんじゃないかと思います。

イ・ラン:それは、すっごく分かる。フェミニストとしての私は、ミソジニーなクライアントと対峙するのはとても覚悟が要ります。笑いながら話を続けるのか、それとも目の前のコップの水をぶちまけてしまうのか。どっちにするかという選択肢が必ず目の前に現れて、いつも迷っています。同意できない話には同意できないと伝えたいし、目の前のコップの水をぶちまけてしまいたいんだけれど、でも私にも明日があると考えると、そんなことは出来ないことが多い。そういうことで、いちいち迷っています。

――でも、すぐに社会は変わらないし、答えは出ません。

イ・ラン:だから私は、自分が描く小説の中で「自分に明日がなかったら、今この瞬間に出来ること」をやるんです。小説の中でなら、相手にコップの水をぶちまけることが出来るから。そうやって、自分の話をすることで自分になれるんです。

――小説の中で、自分になるんですね。

イ・ラン:でも、それも怖いなと思いながらやっているんですけど。最近、韓国で出した本のあとがきでも「本を出すことがすごく怖いけど、出します」ということを書いたんです。いつになったら、自分の話をすることが怖くならなくなるんだろう。

――「すごく怖いけど」。それでも、ランさんが自分の話をしようと思うのはなぜですか?

イ・ラン:怖がっている私に、「一緒にいるから大丈夫ですよ」と言ってくれる人がいるからです。例えばこの本のときは、そう言ってくれる編集者の人たちがいました。その人たちがいなければ、私は怖がって何も出来なかったと思う。誰にとっても、そうやって連帯してくれる人がいたらいいのにと思います。
 さっき話した家族のイベントで、自分自身のこと、レズビアンであることやパートナーとの生活を話していた人たちも、怖かっただろうけど、その会場には「一緒にいるから大丈夫」って連帯してくれる人たちがいたから、自分の話が出来たんだと思う。

――他者を“ヒーロー”として見るのではなく、“仲間”として見る、連帯する。

イ・ラン:うん。人って結局一人だから、皆怖いんですよ。私が本を出すときは「本が出来上がったことが嬉しい」ではなくて、その過程で「誰かと連帯が出来たことが嬉しい」んです。この経験が、私にとってどれだけ大きな力になっているか。
 自分の本や音楽に対しても、私が嬉しいなと思う反応は「自分も書きたい」「自分も曲を作りたい」というものです。私は勉強家じゃないし、文章や音楽の作り方をちゃんと学んできたわけではないから、だからこそ皆に「自分にも作れそう」って思ってもらいたい。

――ランさんのように表舞台にいる人だけではなく、どんな人でも誰かと連帯する経験を持てればと思います。

イ・ラン:皆、本当は自分の話をしたいんだと思います。私のお母さんは、私が子供の頃から密かにずっと文章を書き続けてきました。でもある時、その文章を書いたノートを全部捨ててしまったんです。私はそれがとても辛くて、なぜ捨てたのか考えたんですけど、きっとお母さんは自分のことを話すのが怖かったから捨てちゃったんじゃないかなと思いました。もし、お母さんの周りに「いいね」とか「もっと書けば?」とか言ってくれたり、話を聞いてくれたりする人がいたら、きっとお母さんはノートを捨てなかったでしょう。
 ヒーローが話をしているのを、黙って聞けばいいわけじゃないんです。皆がそれぞれ自分の話をすればいいし、皆がその話を聞いたらいい。

――ランさんがフェミニストとしての自分を自覚したのも、他のフェミニストの話を聞いたことがきっかけだということでしたね。それまで“名誉男性”(男尊女卑的価値観を持つ女性を指す言葉)として生きてきた自分にショックを受けたとも話していました。変化とは混乱を生むもので、新しい価値観と出会うことで戸惑いを受けることもあると思います。

イ・ラン:新しい考えと出会うことで、これまでの当たり前を見直しますから、私は混乱ばかりです。例えば、人は好きな人とキスするじゃないですか。「なんで口と口をつけることが愛の表現なの?」って思った時期もあって。

――これまで当たり前と思ってきたものをひとつひとつ見直して、プリミティヴな疑問に立ち返ったんですね。

イ・ラン:そうそう。もういちばん最初の、種になった気分でした。でも結局は「やっぱり好きな人の口と自分の口をつけると気分がいいもんね!」と思えるようになりましたけど。そうやって、これまでの当たり前を全部、最初から自分の頭で考え直したいなって思います。
たとえば、私は前まで、自分は男性のパートナーを持つことを当たり前にしていたけど、女友達に告白されてからは「なんで自分は男性の中からしかパートナーを探してこなかったんだろう?」という考えを持ったんです。色んな人の話の中に、未知があると思う。何が一番初めなのか、見つけるのが難しいから混乱するんだけど、だからこそ一緒にそれを考えたい。

――最近、ランさんが「これはなぜだろう」と考えたことは他にもありますか?

イ・ラン:今、漢字を勉強したくて公文式をやっているんです。“火”とか“木”とかをドリルに書いて覚えるところから始めているんですけど、学んでいくうちに「漢字って、すごくセクシズムだな」と思ったんです。漢字には女偏(おんなへん)や男偏(おとこへん)があるじゃないですか。でも、それってなんで性別を表す必要があるんですか?
 それである日、翻訳家の斎藤真理子さんとご飯を食べていたときにそのことを言ったら、「じゃあ、中性的な漢字を勝手に作っちゃえばいいんじゃない?」という話になったんです。
 例えば……“嫉妬”って、すごくミソジニーな漢字ですよね。ネガティヴな意味の言葉に“女”が入っていますから。きっとこの漢字は男性主義的な社会の中で作られたものでしょう。でも今、英語では“He”“She”だけじゃなく、性別を限定しない(三人称単数としての)“They”が使われるようになっていますよね。時代は変わっているんだから、この漢字をずっと使い続けるのはおかしいと思うんです。だから、女偏のところを勝手に“人間”に変えてみました。

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©服部健太郎

――漢字の勉強を始めたばかりのランさんが、漢字の持つセクシズムや“嫉妬”という文字のミソジニーについて気づいたことは、混乱しがちな私たちに原点に立ち返ることの大切さを教えてくれている気がします。

イ・ラン:私はまだ“嫉妬”を習うところまではたどり着いてないので、斎藤さんとお話したから気づけたんですけど。ほかにも女偏を使う漢字はありますか? 「地獄」とか「悪魔」の漢字は、女偏を使わないんですね?
 あとは、私は「お腹が減った」とか「早く帰ろう」とかを略した新しい言葉を作って、パートナーとの間で暗号のように使っています。たとえば、どこかでミソジニーで嫌だなって人と会ってしまった時にも、パートナーだけに「早く家に帰ろう」って伝えることができますから。
 ハンドサイン(手話)も好きです。新しい価値観や表現が世の中に出てきたときに、皆がそれぞれ新しいサインを作れるし、もしそれが便利なものであればSNSで広まっていくこともあるから。日本にもスラングがあるでしょう? 皆、勝手に作ったらいいのに。

――つまり、皆が声を持っているし、新しいものを作っていく力がある。

イ・ラン:新しい言葉を作るのは、研究者や博士、有名人みたいな“ヒーロー”だけではありません。自分の話を、自分の話しやすい言葉で話すことができる世の中になれば、皆の気分がいいですよね。新しい社会は、私たちの新しい言葉から始まると思います。

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©服部健太郎

※本インタビュー収録後の2019年11月24日、元KARAのク・ハラさんが命を絶ちました。謹んでご冥福をお祈りします。

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イ・ラン(이랑)
韓国ソウル生まれのマルチ・アーティスト。2012年にファースト・アルバム『ヨンヨンスン』を、2016年に第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞したセカンド・アルバム『神様ごっこ』をリリースして大きな注目を浴びる。2019年には柴田聡子との共作盤『ランナウェイ』とライブ・アルバム『クロミョン~ Lang Lee Live in Tokyo 2018 ~』を発表。さらに、2018年にはエッセイ集『悲しくてかっこいい人』を、2019年にはコミック『私が30代になった』を本邦でも上梓。その真摯で嘘のない発言やフレンドリーな姿勢、思考、行動が韓日両国でセンセーションとシンパシーを生んでいる。

(取材・構成/菅原史稀)

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