宅配ドライバーが陥る地獄のような労働環境 個人事業主として「働かされる」非人道的なシステムを問う

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ケン・ローチ監督最新作『家族を想うとき』

 これまで移民や労働者などの社会問題を、映画というフィールドで描き続けてきた、イギリスの巨匠ケン・ローチ監督。引退作として福祉問題を扱った『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)で、カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞し、有終の美を飾った……はずだった。

 だが監督は、またしても新たな問題と出会い、それを世に訴えるために、引退発言を撤回してまで新たな作品を撮りあげた。それが、新作『家族を想うとき』である。

 描かれるのは、日本でも取り沙汰されている“働き方”についての問題。実質的にはその企業の従業員なのにも関わらず、個人事業主という立場で契約を結ばされてしまう、いわゆる「フランチャイズ契約」の悪用について扱っている。

 この映画、イギリスが舞台ながら、日本人もまったく“人ごと”とは思えない内容だ。

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『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

人を人として扱わない、地獄のような労働環境

 本作の主人公は、イギリス北東部の街ニューカッスルの賃貸住居に住む、労働者階級の中年男性・リッキー。彼には介護士の妻とふたりの子どもがいる。

 彼は家族のためにマイホームを手に入れるという夢を叶えるため、宅配ドライバーになる決意を固める。年齢的にはハードな仕事かもしれないが、そこで二年間みっちり働けば、まとまったお金になるはずだ。

 その会社で宅配の仕事をするには、正社員になるのではなく、労働者一人ひとりが個人事業主として会社と契約する必要があるのだという。そして、会社専用の車(バン)をドライバーが用意することも必須となる。

 この条件を飲み、契約を結んでバンをレンタルしようとするリッキーだったが、「買っちゃった方が長い目で見れば得だよ」と促され、バンを購入してしまう。だが、当然であるかのように進行していくこの契約の流れには、いくつもの落とし穴があった。

 驚くのは、配送ドライバーを管理する徹底されたシステムである。

 厳しいノルマにくわえ、勤務時間中にバンを数分離れただけでサボっているとみなされ、本部に連絡がいってしまう。労働者に働き方の裁量権はなく、とにかく時間中、割り当てられた荷物を届けるため、目一杯働かされるのである。これのどこが“個人事業”だというのだろうか……。

 リッキーは、バンに娘を乗せたことで、鬼軍曹のような(実質的な)上司に「規則だから乗せるな」と命令される。自分の車なのに、である。つまり、実質的にはバンは会社の持ち物であり、ドライバーは会社が払うべき必要経費を負担させられていたということだ。

 リッキーには、学校をさぼりがちな難しい年頃の息子や、まだ甘え盛りの娘がいる。だが、日夜仕事に追われているリッキーには、子どもたちをケアする余裕がまったくない。妻もパートタイムで介護の仕事をしていて、手一杯である。そんなこんなで、両親は疲れきって寝てばかりいるので、子どもに問題が起こっていても気づきようがない。その結果、家庭は日を追うごとに不和になっていく。そもそも、リッキーがモーレツに働いていたのは家族のためだったはずなのに……。

 リッキーは家庭を立て直そうと、まとまった休みをとることを会社に要求する。だが、その願いは拒否される。そして、自己都合で配送スケジュールに穴を空けるのならば、罰金を請求すると通告されてしまうのだった。会社は、労働者を守る責任は放棄する一方で、徹底した管理で労働者をがんじがらめにしていく。

 こんな常軌を逸した職場では働けないと、多くの観客は思うだろう。辞めてしまえばいいと思うかもしれない。しかし、リッキーは逃げることができない。妻の乗用車を売ってまで無理をして、“仕事にしか使えない”バンを買ってしまったからである。

 リッキーは、自分自身が仕事を選び取っていると思っているが、実際には誘導され、逃げ場のないところに追い込まれていたのだ。そして、彼が従うことを強いられているシステムは、実際の生活の事情を全然考慮してくれない。そんなリッキーを、果たして「自己責任だ」と斬って捨てることができるだろうか。

 本作でのリッキーの悲劇はまだまだ続いていく。彼がどうなっていくのかは、映画館のスクリーンで観てほしい。

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『家族を想うとき』photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019

『家族を想うとき』と同じことは、日本でも起こっている

 この内容が真におそろしいのは、本作で描かれた様々な描写が、実際に起きているということだ。

 このような雇用契約を結んだ非正規の労働者のなかには、フードバンク(余った食べ物を生活困窮者に分配する福祉事業)を利用している人もいる。監督は『わたしは、ダニエル・ブレイク』撮影時に、このような人々に出会い話を聞くことで、フランチャイズの労働に対して大きな疑問を持ったのだという。

 いったい、なぜ会社はこんなにも労働者いじめをしなければならないのか。問題の根は、配送業界の過当競争にある。

 ネットショッピングの需要が拡大し、迅速な配送サービスが望まれるなか、各企業は生き残りをかけて、それを安価に提供できるように経費を抑えようとする。そのうえで利益を出そうとすると、負担を労働者に押し付けるしかない。そもそも、ビジネスとしても自然環境保護の観点からいっても、このような配送システムがこれから先、持続可能なのかすら疑問だ。

 日本でも、最近サービスが始まった「Uber Eats(ウーバーイーツ)」で同様の問題が起きているほか、コンビニのオーナー、アニメーター、チラシ配り、内職などなど、業界の慣例による個人事業委託契約によって、保障なしの低賃金労働が存続している。

 本作で描かれているリッキーの状況は、われわれにとって“参考になる”という感想に収まるレベルではなく、日本人の生きている現実そのものであるといえよう。

 さすがケン・ローチ監督だと思わされるのは、問題へのアプローチが、きわめて理性的であることだ。単に貧困者をみじめに描いて感動させるというつくりではなく、現実に存在するシステムの不備を具体的に指摘し、それによって不幸になっている人々がいるという事実を、映画というかたちでシンプルに表現している。

 それが分かりやすく具体的であるおかげで、社会の何が問題なのか、どこをどう変えたらいいのか論点が整理され、建設的な議論が生まれやすい状況を作っている。このように優れて怜悧なまなざしを持っていることが、ケン・ローチが真に巨匠たるゆえんだ。その円熟の境地に達した視線が、観客に目覚めを促し、場合によっては戦う根拠となり得る象徴的な映画へと、本作を押し上げている。

『家族を想うとき』
2019年12月13日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で順次公開。
【配 給】ロングライド
© Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019

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