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劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、ときに舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。
年末になり、家族で過ごす時間や機会が増える季節です。自分の幸せを願い案じてくれる親とひさしぶりに顔をあわせ、楽しい時を過ごすと同時に、仕事や結婚、将来について口やかましくいわれ、ちょっとうんざり……という経験をしたひとは多いのではないでしょうか。中でも母親と娘という関係はそれが顕著。母親たちが過ごした一世代前の価値観の無意識の強制に反発を覚えながらも、良かれと思っての発言だとわかっているから無下にもできず息苦しく感じるというのも、よく耳にする話です。
母と娘、息子の閉塞的な家庭
劇作家テネシー・ウィリアムズが書いたアメリカ現代演劇の名作「ガラスの動物園」は、家族、そして人間というものが抱えざるを得ない葛藤や苦しみ、悲しみの物語。戦前のアメリカを舞台にしていながらも、そのテーマは非常に今日的で、現代日本にも通じる呪縛を描いています。
大恐慌時代さなかの1930年代、アメリカ中西部セントルイス。さびれたアパートに暮らすウィングフィールド一家は母と娘、息子の3人家族。南部出身の母アマンダは、華やかな暮らしをしていた過去の思い出に縛られています。夫は十数年前に家を出ていき音信不通、アマンダは現状に常に不満を漏らしています。
足が不自由なせいで極度に内気な姉ローラは社会に対応できず、ガラス細工の動物たちが心のよりどころ。製靴会社の倉庫係をしながら一家の生活を支える弟のトムは詩を書くのが好きな文学青年ですが、母親と姉への複雑な愛憎と現実に対する閉塞感で苦悶しています。
「ガラスの動物園」は「欲望という名の電車」とともにウィリアムズの代表作のひとつ。出世作でもあり、1945年にブロードウェイで初演され、ニューヨーク劇評家協会賞を受賞しています。日本では50年に初演。脚本にウィリアムズ自身が携わった50年版など、2度映画化されています。
自伝的要素が強く、弟の名である「トム」は、ウィリアムズの本名であるトーマスの愛称。ウィリアムズの短編小説「ガラスの少女像」を脚本化した「紳士の訪問者」が下敷きになっており、登場人物の設定や構成は、一幕劇「ロング・グッドバイ」とも多くの共通点があります。
物語は、船乗りになったトムが過去に切り捨てた家族、なかでも姉への思慕と後悔を振り返る視点で展開していきます。独善的で口うるさい母アマンダは、手に職をつけさせるためローラをビジネススクールに入学させますが、彼女はすぐに登校拒否に。家族を養うことを放棄した夫の二の舞になるからとトムの詩作も認めませんが、夫が出て行ってしまったのは、おしつけがましい妻に追い込まれたからということには気づいていません。
自分で稼ぐことができそうにないローラを結婚させるため、アマンダはトムに姉の見合い相手を連れてくるよう言いつけます。そうしてウィングフィールド家を訪れたトムの同僚ジムは、ローラが高校時代にあこがれていた相手でした。
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